6.「朝から元気だなあ」
墓守の家に帰った翌朝。
町に借りている自分の部屋で目を覚ましたイクサは、二度寝をしようとして胸元の重みにうめき声をあげた。
「うぅ……また来たのか、ナナン……」
眠い。きのうは片道二時間の道のりを往復して、ついでに裏門番と呼ばれる老女の家の草むしりをしたのだ。かつてこれほど仕事にはげんだことがあったろうか。
こんなに頑張った自分は、二度寝どころかきょう一日寝ていてもいいくらいなのに―――。
「……重い」
胸元の重苦しさに、イクサは二度寝をあきらめた。
しぶしぶ寝床から体を起こしたイクサの顔をのぞきこみ、青色の毛皮をつやめかせた獣がうれしそうに鳴き声をあげる。
「キュワワ!」
「朝から元気だなあ」
呆れを含んだイクサの声にも、ナナンは嬉しそうにキュワキュワと鳴いて寝床から飛び降りた。
飛び降りた先は寝床と同じくらいの広さの床だ。床に置いてあるのはくたびれた靴が一足と、イクサの全財産が入った布袋がひとつ。物が少ないせいでがらんとした部屋だが、ひどく狭いため足の踏み場はたいしてない。
ナナンの気分としてはくるくる駆け回りたいのだろうが、狭い部屋のなかではその場でぴょんぴょんと跳ねるのが精いっぱいだった。
「あー、きょうは晴れか」
物置と大差ないほど狭い部屋だが、家賃の安さとひとつだけついた窓がイクサの気に入っているところだ。
造りは荒いが、硝子のはまった窓からは朝の光が射しこんでいる。タイムや食堂の女将あたりが好みそうな、明るい陽射しだ。
「雨なら上がるまで寝られたのに……」
そう言いながらも、イクサはのそのそと寝床から抜け出した。
寝ぐせのついた頭を手ぐしで乱雑にかき回して、ウォルフみたいに伸ばせば寝ぐせがあっても縛ればいいから楽かな……などとぼんやり考える。
「キュッキュワー!」
イクサの楽しいぼんやりタイムを打ち破ったのは、ナナンの元気な鳴き声だ。
気づけば、ナナンは薄っぺらい扉に前脚をついて立ち上がり、たしたしと扉を叩いている。ここ数日で覚えた、外へ出たいというジェスチャーだ。
「ああ、腹減ったのか。そもそもここに来なきゃ、いまごろはもう飯にありつけてるだろうに」
「キューワ、キュワワー!」
イクサのことばを否定するように、ナナンは尻尾をふりふり鳴き声をあげた。
朝はイクサのもとで、朝食は町長のところでとるのがナナンの日課になりつつある。
一体このぼろい部屋のなにが良くて来るのかイクサにはわからないが、来てしまったものは返却しなければならない。
「はあ、行くか」
擦り切れた靴をはいたイクサは、ナナンを肩に乗せて町長の家を目指した。
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きょうもきょうとてたっぷりの朝食を前にぼんやりしていたイクサは、果物を抱えてキュウキュウとうれしげな声をもらすナナンを眺めるのをやめて顔をあげた。
「そういや、補助金は不要だ、って」
唐突なイクサの発言にランタナは肩眉をあげ、エリスアレスは手にしていた食器をそっと下ろすと、空いた手でまっさらなナプキンをつまんでちょうど食べ物を運んだばかりの口元を覆い隠した。
侍従を泣き落としで陥落させたエリスアレス町長は、くちの中の物をこくりと飲み込んで首をかしげる。
「どういうことかしら。補助金がいらない? 施設運営のためのお金は潤沢にある、ということかしら」
「いえ。町の住人、数人に確認したところによりますと、墓守の家はたいそう使い込まれているようです。また、墓守の家に暮らすひとびとも裕福さとは無縁の姿をしていると聞き及んでおりますが」
すかさず答えたランタナの、気をつかっているのかいないのか微妙な発言に、イクサはつい苦笑を浮かべてしまった。
誰に聞いた話なのかは知らないが、ひとの家のことをよく見ているものだ。
「ああ、金はない。建物もはっきり言ってぼろい。着てるのは擦り切れて穴が開きそうな古着ばっかりだし、食べ物だってぎりぎりだ」
「だったら、どうして補助金が不要だなんて言うのかしら」
首をかしげるエリスアレスの問いの答えをイクサは持たない。むしろ、イクサこそがその答えを知りたいくらいだ。
「わからない。理由は言えないけど、金はいらないらしい。だから、調査も来なくていい、って伝えに来た」
「ふむ、持てるものだけで暮らすことを良しとする、清廉潔白な人物が管理しているのでしょうか」
あごに手をあてて思案するランタナのことばに、イクサは育ての親の姿を頭に思い浮かべた。そして、ふるふると首を横に振る。
「いや、清廉潔白よりも勇猛果敢とか、一触即発のほうが正しい。悪人じゃないはずだけど、善良っていうよりも獰猛のほうが似合う」
イクサが自分のことばに納得してうんうんとうなずいているのを見たランタナとエリスアレスは、不思議そうな顔をしている。おおかた、無償で子どもたちの世話をする聖人の姿を思い浮かべていたのだろう。勘違いしたままウォルフに会ったときの町長とその侍従の顔を見たかった、と思いながらイクサはくちを開く。
「まあ、そういうわけで墓守の家のことは置いといて。なにか俺にできそうな仕事ないか。愛玩動物探しだけじゃなくて、部屋の掃除とか道具の手入れとか、なんでもする」
イクサが話題を変えると、ランタナが驚いたように軽く目を見開いた。
「珍しいことだな、お前がすすんで労働にいそしもうとは。まとめて働いて、冬眠でもする気か?」
「ランタナったら、茶化さないのよ」
失礼な物言いをする侍従を諫めたエリスアレスは、イクサを見つめてうふふ、とほほえむ。
その笑顔に慈愛のような気配を感じて、イクサは居心地悪く視線を逸らした。
「イクサは、補助金を受け取ってもらえないならそのぶんを自分で稼ごうと思ってるのよ。ねえ?」
「……なんとでも思えばいい。仕事がないなら俺はもう帰る」
密やかに決意した内容をすんなり当てられてしまい、イクサはとうとう椅子から立ち上がった。エリスアレスの視線がどことなくアネモネに似ていて、直視できなかったのだ。




