5.「どうして―――」
お金がもらえたらあれをしよう、これが欲しいと子ども二人がくちぐちに言うものだから、部屋が一気ににぎやかになる。古ぼけているのは変わらないはずなのに、うす暗い部屋がワントーン明るくなるような気がするから不思議なものだ。
どんどん膨らんでいく期待に、イクサは苦笑しながらストップをかける。
「金くれるっていっても、ここのことを詳しく調べてからになるって。そのために調査しに来るとかなんとか―――」
「なんの話だ」
がちゃり、と裏口の扉が鳴るとともに低い声がイクサの耳に滑り込んだ。
「ウォルフ」
振り返るまでもなくイクサは声の主の名を呼ぶ。
呼んでから振り向けば、そこにいたのは記憶と寸分違わぬ大男。
ぼさぼさと伸びた暗い金の前髪と、髭だらけの顔はほとんど見えない。伸ばしっぱなしの後ろ髪はまるで狼の毛皮を被っているかのようで、ぼろきれをまとってもなお隠しきれない分厚い胸板と相まって本物の狼と対峙しているような気になってくる。
それが墓守の家の主にしてイクサたちの育ての親、ウォルフだ。
おんぼろの床をぎいぎい鳴らして、ウォルフが部屋のなかに入ってくる。どさり、と重たい音をたてて置かれたのは彼の仕事道具が詰まった麻袋だ。
墓穴を掘るためのシャベルや墓地に生えてくる雑草を刈り取るための鎌、刈り取った草を集めるためのピッチフォークの柄も突き出ている。
重たい荷を下ろしてふう、と息をついたウォルフは、改めてイクサに顔を向けて来た。
「それで、なんの話をしていた。調査とはなんだ」
長い前髪で見えないはずの目が、イクサを射抜く。滅多に見えないウォルフの目元だが、その眼光の鋭さは目を合わさなくても伝わってきた。
温厚とはいいがたい育ての親だが、ここまで殺気立つことはそうそうない。イクサが知るなかでは過去二番目に殺気立っているウォルフに戸惑いながらも答える。
「町長が、変わったんだ。それで墓守の家は孤児院みたいなものだから、町から運営のための金がでるようになるから、そのために何人いるかとか調査をしたいって―――」
「不要だ」
みなまで言わせず、ウォルフはイクサのことばを切り捨てた。
低く短く言うウォルフにタイムが「ええー! なんでー!」と声をあげるが、前髪のしたからひと睨みされてすぐくちを閉ざす。
おとなしく引き下がる少年を横目に、イクサは納得がいかない。武骨で不愛想な育て親だが、こうまで理不尽に切ってすてることはこれまでなかった。
ずい、と一歩踏み出してウォルフの顔をしたから睨み上げ、イクサは問う。
「理由は」
「言う必要がない」
「どうして」
「お前たちが知らなくていいことだからだ」
短い問いに短い答え。
取り付く島もないウォルフの返事に、イクサは眉間にしわを寄せた。
「なんでだ。金がもらえれば暮らしが楽になるだろ。あんたが墓穴掘ったり墓地の手入れして町のひとからもらう小金を貯めて、森の実りで食いつながなくてもよくなるだろ。なのに、どうして―――」
「イクサ」
黙り込んだウォルフに詰め寄るイクサを止めたのは、アネモネだった。
白く、けれど貧しい暮らしにささくれたアネモネの手がそっとイクサの腕に添えられる。
「イクサ、ごめんなさい。あなたはここの暮らしが良くなるよう、町でひとりがんばってくれているのに」
申し訳なさそうに微笑むアネモネは、ウォルフが語らない事情を知っているらしい。
けれど彼女もまた、謝罪のことばをくちにしながら事情を語る気はないようだ。
ウォルフが黙り込み、アネモネが済まなそうにくちをつぐみ、タイムとデイジーが息を殺して様子をうかがっている。
部屋のなかに重苦しい沈黙が落ちた。
沈黙に包まれながらもイクサはウォルフを見つめて待ったが―――。
「……わかった」
イクサは諦めて首を横に振ると、ウォルフに背を向けた。
途端に、ぴりぴりしていた空気が霧散する。ほっと肩のちからを抜いたタイムとデイジーを横目に、イクサは下ろしたばかりの荷物を開けてなかから自分の物だけを取りだしていく。
「町長にはあんたのことば、そのまま伝えとく。そこの食べ物くれたのも町長だけど、それは俺の仕事のおまけでもらったみたいなもんだから気にせず食べればいい」
「やった!」
「お菓子は? お菓子も食べていい?」
不安そうにしている少年少女に向けて声をかければ、ふたりそろってぱっと顔を輝かせて飛び跳ねる。
元気な子どもたちの姿に、アネモネが眉を下げながらもくすりと笑った。
「いいけれど、一度にたくさんはだめ。食べたいときは、わたしかウォルフに聞いてからにするように」
「ええー、ウォルフけちだからなあ」
「すぐ半分こっていう。これも全部、半分こ?」
現金なもので、食べ物がもらえるとわかったタイムは生意気なくちをきく。デイジーまでもがほんのりくちを尖らせて言えば、ウォルフはバツが悪そうに顔をそむけた。
その毛むくじゃらの横顔に子どもふたりは遠慮のない視線を向ける。ことばでは押し負けるとわかっているから、タイムもデイジーもそろって黙ったまま、ただひたすらじっとウォルフの横顔を見つめ続ける。
「……わかった。はじめに取り分を決めておけ。決められた分のなかからいつどれだけ食べるかは、自分たちで考えろ。わからなければアネモネに聞け」
根負けしたウォルフがため息をつきつつ言うと、タイムとデイジーは顔を見合わせて笑った。
「聞いたぞ、男に二言はねえな!?」
「ほんと? ほんとうに? ウォルフうそつかない? あとでやっぱりだめだ、って言わない?」
飛び跳ねてまとわりつく子どもたちに、ウォルフは額をおさえてため息をつく。
まいった、と思っているのが丸わかりのウォルフを眺めて、アネモネはふふふと笑う。
「それじゃあ、ウォルフの気が変わらないうちに分けてしまったら? それぞれお皿を探さなくちゃ」
言われて、タイムとデイジーはわれ先にと駆けだした。狭い家のなか、駆けるまでもなくわずかな食器をしまってある戸棚はすぐそばにあるのだが。
数のない皿をすべて並べて、どれが大きいかと比べている子どもたちの背中にイクサは声をかける。
「お前ら、アネモネとウォルフも数に入れとけ。墓守の家のみんなでどうぞ、ってもらったんだからな」
そう言えるくらいには、イクサの気持ちは落ち着いていた。
無邪気に喜ぶ子どもたちの雰囲気がそうさせたのだろう。自分の荷物をさっさとまとめて町に戻ろうと思っていたイクサは、もうしばらくだけ久しぶりの家で過ごそうと決めたのだった。




