4.「俺は寝られればあとはどうでも」
ほっそりした体に長い桃色の髪を垂らしたアネモネの神秘的な美しさは、粗末なワンピースを着ていてもなお打ち消されることはない。イクサよりいくつか年上なだけでまだ十代のはずの彼女がおとなびて見えるのは、彼女が持つ落ち着いた雰囲気のためだろう。
うす暗い森に建つ古ぼけた家でさえ、ペンキの禿げた扉からアネモネが姿を見せただけでおだやかな木漏れ日に包まれた森に見えるのだから、不思議なものだ。
「タイムがどうかした?」
穏やかな笑みを浮かべたままのアネモネがおっとりと問いかけると、名を呼ばれた少年の肩がびくりと跳ねた。
やわらかな印象を与える容姿や物言いをする彼女だが、その黄色い瞳に射抜かれると嘘がつけないのをイクサは身をもって知っている。
「あー、いや。手土産の食べ物をひとつずつやったから、残りはちゃんとウォルフに見せろよ、って話をしてた。それだけ」
食べてしまったものについては素直に申告する。タイムのくちについた食べかすがある以上は、つまみ食いをした事実は隠しようがない。
その結果、つい言い訳のように答える羽目になったイクサの背中にすすす、とタイムが移動してきた。そんな動きをしたほうが怪しまれるのだが、少年に伝えるすべはない。
すぐそばで一連のやり取りを眺めていたデイジーの視線に呆れがふくまれているような気がするが、タイムはそれすら気が付かない。
「そう」
おっとりとうなずくアネモネにこっそり安堵の息をもらしたタイムだが、彼女はそんなに甘くなかった。
「それじゃあ、イクサが水差しを運んでいるのはどうしてかしら。手土産ならイクサが持っているはずなのに、タイムが持っているのはなぜかしら。水汲みのお仕事は、タイムとデイジーのふたりにお願いしたはずだったのだけれど……」
「う……ご……ごめんなさいアネモネ姉ちゃん―――! オレが水差しとデイジー放ってイクサのとこに走って行ったんだ。デイジーひとりに水差し持たせちゃったから、デイジーにごめんなさいってして……」
アネモネの黄色い瞳に見つめられて耐えられなかったのだろう。タイムはイクサの後ろから飛び出して、早口に状況を告げて目をうるませる。
下唇を噛みしめた少年の前にひざをついて、アネモネはやさしくタイムの髪をなでた。
「そう。それがいけないことだったって、もうわかった?」
「うん」
「それじゃあ、イクサにお礼は言った? お土産をもらったのでしょう」
「「あ」」
頭をなでられて顔をあげたタイムと、それをじっと見守っていたデイジーは、アネモネのことばでそろって声をあげる。
その顔は「忘れてた」と言っているのと同じくらいぽかんとしていた。
「ありがとな、イクサ!」
「イクサ、おいしかった。ありがとう」
「おー」
くちぐちにお礼を言う少年と少女の素直さに、イクサは自分に対するときとの態度の違いに首をひねりたくなる。
けれども、アネモネがふふ、と微笑めばそれもまあ仕方なのないことか、とも思ってしまう。
「さあ、みんなお帰りなさい。中に入って、町のお話を聞かせてくれる?」
「あー、そうだな。いい加減、荷物も下ろしたい。そんで布団でひとやすみしたい」
「イクサはそればっかだよなー」
「寝てばっかりはいいこと? 町のひとはみんな、寝てばっかり?」
にぎやかな声にかこまれて足を踏み入れた墓守の家は、記憶にあるまま古ぼけてくたびれている。
無理に作った明り取り用の窓、あり合わせの板で塞いだのがひと目でわかる壁、軋まない場所などない床。どこもかしこもイクサが暮らした数年前より劣化が進んで、ひどいありさまだ。
それでも、この家に帰ってくると何かしらの思いがイクサの胸に湧き上がる。
これを郷愁と呼ぶのかどうかは、まだわからない。
「これ、道具屋の倉庫の片付けでもらった布。シーツにでもなるかな。あと子ども用の古着。それと―――」
「イクサ、腕をどうしたの?」
自身の気持ちに名前を付けられないまま、がたつくテーブルに荷物を並べていたイクサの手をアネモネが止めた。
彼女の黄色い瞳が見つめる先には、腕に巻かれた包帯が服の袖からちらりとのぞいている。
「あー……これは愛玩動物を捕まえる仕事してるときに、うっかりやられて」
古ぼけた部屋に不似合いな真っ白い包帯は隠しようがない。
そして、アネモネからの心配を詰め込んだ視線に晒されたイクサが逃れられるはずもない。昔からこの姉のような女性には、どうにも抗いがたいのだ。
困ったイクサは事実だが真実のすべてではない答えを返して逃れようとする。
「噛まれたの? 見せて。手当はしたの?」
あっさり捕まってしまった腕の袖をめくりあげられれば、傷はふさがったもののまだ取れない包帯が手首からひじまでを覆っているのがばれてしまった。
可憐な眉をきゅっと寄せるアネモネにイクサは観念した。
「手当は依頼主がきっちりしてくれた。ついでにだめにした服も買ってくれたから、大丈夫。それに報酬も弾んでくれたから、すこしは暮らしの足しになるだろ」
「そうなの? 良かった。新しい服、似合ってる」
へらりと笑うイクサにアネモネもほっと胸をなでおろして笑顔を見せてくれる。
やわらかな雰囲気を取り戻した彼女は、けれどイクサが差し出した貨幣の詰まった袋を見て眉を下げた。
「イクサが働いていただいたお金なのだから、あなたが使えばいいのに。せっかく町で暮らしているんだもの、欲しいものだってあるでしょう?」
「俺は寝られればあとはどうでも。それに、次からはこんなに持ってこない。そんなに稼げるわけでもないし、新しい町長が墓守の家に金くれるらしいから」
欲しいものと言われて首を振ったイクサが続けたことばに、アネモネはきょとんと目を丸くする。テーブルに包みを広げてこぼれそうなほどの食べ物に大喜びしていたタイムとデイジーも、ぱちぱちと瞬きして不思議そうな顔だ。
「なんで町長が金くれるんだ? イクサ、町長のこと脅したのか?」
「イクサ悪いことしたの? 悪いことしたらごめんなさいだよ」
年下の少年少女たちに困ったやつを見るような目をむけられて、イクサは頭をぽりぽりかく。
説明が面倒だ。面倒だが、説明しないでいるともっと面倒な勘違いに発展するに違いない。
「あー、なんか町では孤児院に補助金を出すようになってるらしくて。ここは孤児院みたいなもんだから、たぶん金がもらえるだろう、ってさ」
「へえ! じゃあ、もうちまちま働かなくてもいいのか? 木の実で作ったジャム売ったり、布切れを縫い合わせる内職もしなくてよくなるのか?」
「イクサの稼ぎがない冬でも、ごはん食べられる? 洗ったお洋服が乾くまでのあいだ、シーツかぶって待ってなくてもいいの?」
「そうねえ。もしもそうなったら、うれしいけれど……」
子どもたちの喜びように、イクサは自身の稼ぎの少なさを申し訳なく思うとともに、これからはもう少しましな生活になるだろう、と明るい気持ちになった。




