3.「良くはないけど、悪いって言われるほどじゃないと思う」
そこそこ広い町を出て、広がる丘沿いに歩くことおよそ三時間。イクサの体感としては半日くらい歩いた気になる距離だ。
途中、何度も引き返して部屋の寝床に帰りたい気持ちに襲われたイクサだが、背負わされた食べ物がだめになることを考えると進むほかなかった。
いい加減にイクサがもうこの場で横になってしまおうか、と思いはじめたころ。
硬く乾いた地面が次第に緑に覆われてきて、ついに墓守の家が見えてきた。
暗い色の葉を茂らせた森のそばに作られた墓地。その横にひっそりと、背の高い木に隠れるようにして墓守の家は建っている。
ちいさく、古い一軒家だ。いや、一軒家と呼ぶのもおこがましい。
森に入る者がひと夜の休憩場所とする掘っ建て小屋、それを素人が補修してどうにかこうにか寝床にしている、それが墓守の家だ。
「あ! イクサだ! なんかいいもん持ってきてくれたのか⁉︎」
改めて家のぼろさに見入っていると、イクサの横の茂みからハスキーな声をはずませて少年が飛び出してきた。
突然のことに驚くでもなく、イクサはぱちりとまばたきして背中の荷物をおろす。
「タイム。ほら、いいものだ」
「わ、重た。わあ、すっげえ。食い物がいっぱい! やるじゃんイクサ! とうとう悪事に手を染めたのか⁉︎」
イクサは見知った顔の登場にしめたとばかりに、ランタナに持たされた大きな布の包みを少年に手渡した
すなおに受け取った少年、タイムは砂色の瞳を輝かせて布のなかみを覗き込んで失礼な歓声をあげている。すでに十歳を超えたはずなのだが、タイムはまだ落ち着きを身につけるには至っていないようだ。
「もらったからやる。ちゃんとウォルフに渡せよ」
軽くなった体でのたのた歩くイクサを追い越したタイムに釘を刺したが、遅かったらしい。
肩越しに振り返ったタイムのほほはすでにぷっくりふくれていた。受け取るがはやいか、包みのすき間に手を突っ込んで取りだした食べ物をほお張ったのだろう。
「んむ! わかってるわかってるわかってるわかってる」
「……はあ。家に着く前に飲み込めよ」
悪びれない笑顔のタイムにため息をついたイクサが忠告したが、これもやはり遅かったらしい。
「仕事を放り出すのはいいこと? もらったものをひとりで食べるのはいいこと? ねえイクサ、タイムはいい子? 悪い子?」
「げっ、デイジー!」
少年が飛び出してきた茂みの陰から顔を出した少女が、大きな黒目でイクサをとらえて問いかけてきた。んぐっ、とくちの中身を飲みくだしたタイムの妹分にあたる少女だ。
小柄な彼女の両手には、水差しがふたつ。よたよたとどうにかここまで運んできたらしいそれをイクサはひとつ受け取った。子どもが運べる程度の重さではあるが、結局なにかしらの荷物を持つことからは解放されなかったとため息をついた。
「タイムお前、水くみの途中で走ってきたのか」
「だって足音がしたからさあ。フシンジンブツだったらいけないだろ? だからさー」
「だからって、デイジーひとりに水差しを任せるなよ。重たいだろ」
「はーい。悪かったよ、デイジー」
いちおうの謝罪はするもののくちを尖らせるタイムに、イクサはやれやれと肩をすくめた。
一方で、迷惑をかけられたほうのデイジーはタイムの謝罪に反応せずじっとイクサを見つめたままでいる。
「ねえ、イクサ。謝らないといけなかったタイムは悪い子?」
タイムよりふたつ年下の少女は、子ども特有の真っ直ぐさで聞いてくる。真っ黒い瞳の視線を受けながらうやむやにするわけにもいかず、イクサはうーんと考えた。
「良くはないけど、悪いって言われるほどじゃないと思う。次から気を付ければいいことだしな。デイジーはタイムがしたこと、どう思う」
表情のあまり変わらない少女の胸のうちがわからなくて、イクサは問いかけてみる。聞かなければ言わない、聞かれれば答えるのはこの家に住む者の特徴だとイクサはよく知っている。
かすかに首をかしげる動きに合わせて、少女の白髪がゆらりと揺れた。
「デイジーは……いいな、って思う。食べ物もらっていいな、って思う。ひとのもの欲しがるデイジーはいい子? 悪い子?」
素直な気持ちを答えながらも、デイジーの真っ黒な瞳には不安がにじんでいる。表情こそあまり変わらないデイジーだが、そのちいさな手は自身のまとう色あせたワンピースのすそをぎゅうと握りしめていた。
欲しがることを悪だと考えてしまう思考はイクサにも覚えがある。持っていないものが多いからこそ、欲しても得られないものが多いからこそ、現状で我慢しなくてはならないと思ってしまうのだ。
「うらやましいと思うのは、悪いことじゃない、と思う。勝手にとるのは良くないけど」
その気持ちとの折り合いは、イクサもまだうまく付けられていない。だから、あやふやな答えとともに少女に焼き菓子を差し出した。
もうじゅうぶんだというのに、ランタナがイクサの懐にねじ込んだとっておきだ。イクサよりも先にこの焼き菓子を与えられたナナンは、ひとくち食べるなり「キューワ! キューワ!」とうれしげな声を挙げながら床のうえを転がりまわっていた。日頃からうまいものを食べ慣れているはずのナナンがあれだけ喜ぶ程度には、うまい菓子なのだろう。
「これもタイムが持ってるのもお前らに、ってもらったものだから。ちゃんと分け合えば、欲しいだけ食べろ」
「うん」
「あー! お菓子だ、甘いやつ! デイジーだけずるいぞー!」
すかさず戻ってきて「いいな、いいな」とうらやましがるタイムにイクサは呆れてしまう。
タイムに取られると思ったのか、慌てて菓子にかぶりつくデイジーに「ゆっくり食べろ」と声をかけてから少年の期待のまなざしを半目で見下ろした。
「お前、さっき違うの食べたろ。ふたりともひとつずつ。あとはウォルフに見せてからだ」
「ちぇ、イクサのけちー」
「なんでもいいけど、くちのとこ拭いとかないと、つまみ食いしたのがばれる―――」
三度目になるイクサの忠告だが、やはりこれも遅かったらしい。
あと数歩の距離まで近づいた墓守の家の扉がぎぃと軋み、その向こうからひとりの女性が姿を見せた。
腰まである淡い桃色の髪をふわりと揺らした女性は、髪色によく似たやわらかな微笑みを浮かべてイクサを見つめる。
「おかえりなさい、イクサ」
「アネモネ……久しぶり」
墓守の家にいるおとなのひとり、アネモネだった。




