2.「あー、今日は家に帰るんだよ」
ナナンの給仕をする合間にあれも食べろこれも食べろ、と押し付けられた食糧の大半を残したままイクサは食事を終えた。朝食を食べていること自体イクサにとっては快挙なのだ。
早々に皿を押しやったイクサを見て眉をひそめたランタナが何か言うよりも早く、イクサはナナンに声をかけた。
「あ、ナナン。俺、今夜は部屋に帰らないからついてくるなよ」
「キュワ?」
ふしぎそうに鳴きながらナナンが顔をあげると、くちもとについた果物のかけらをランタナが素早く拭い去った。
ナナンの前には果物が盛られた皿がある。
ランタナいわくナナンにも好みがあるらしく、そのときの気分で好きなものを選べるように、といろんな果物を丁寧に皮を剥き、食べやすく切り分けて甲斐甲斐しく世話をしている。
きょとん、と目を丸くしたナナンはまたすぐに食事に戻るかと思いきや、もっと詳しく説明を、と言わんばかりにイクサの顔を見上げている。
実際に説明を求めてきたのは、エリスアレスの侍従であると共にナナンの忠実なしもべでありたいと豪語するランタナだ。
「お前、ナナンさまを置いてどこへ行く気だ。いや、そうだな、お前も健全……というにはいささか怠惰が過ぎる不健康な体型をしているが、男子なのだから淑女には言えないことのひとつもあろう」
「いや、あんたなんの話してんだよ」
ひとりで熱くなりひとりで納得しているランタナに、イクサは呆れるばかりだ。
したり顔のランタナとあきれ顔のイクサを交互に見上げて、ナナンが首をかしげる。
「キューワ?」
「あら、なんの話? さわやかな朝に破廉恥なお話かしら」
そこへ廊下から声をかけてきたのはエリスアレスだ。早朝からドレスを着こんだ彼女は、丁寧にくしけずられた豪奢な巻き髪をきらめかせながら入室してくる。
「お嬢さま、ここは下々のくつろぐ場所ですからご遠慮くださいと何度申し上げれば―――」
「まあ、ランタナったら。イクサやナナンとの歓談をひとりじめする気ね? そうして、わたしをのけ者にしてみんなで楽しく過ごすのだわ。ああ、なんて非情な侍従なのかしら」
すかさずランタナが主を止めるが、エリスアレスのほうが上手だ。よよよ、と泣きまねをしてみせればお嬢さま命の侍従はぴしりと固まってしまう。
その隙に入室したエリスアレスは、ナナンの首のしたをなでながらイクサに視線を寄こした。
「今日も朝からナナンを連れて来てくれてありがとう。それで、今夜はなにかご用があるのかしら?」
にこり、と笑って問うエリスアレスに、さっきの話は流れていなかったのか、とイクサは諦めのため息をついた。
「あー、今日は家に帰るんだよ。町中に借りてる部屋じゃなくて、育った家に」
「あら、あなた生家があったのね。わたしと同じくらいの年なのに一人暮らしだって言うから、てっきりどこかの孤児院育ちなのかと……」
「お嬢さま」
「あ、ごめんなさい」
目を丸くしたエリスアレスが正直すぎるほど正直な感想を述べるのをランタナがたしなめる。
大方、失礼なことを言ったと思っているのだろうが、イクサは気にしていない。というか、エリスアレスのことばは真実に近い。
「いや、生家は知らない。俺が育ったのは孤児院じゃなくて墓守りの家だ」
「墓守りの家というと、あの町外れの?」
「ああ」
ランタナの問いにイクサが頷けば、エリスアレスがきらりと目を輝かせた。
「あら、あの施設の関係者だったのね。ちょうどいいわ。墓守りの家には、いま何人のひとが住んでいるのかしら。そのうち子どもは何人いるの?」
胸の前で両手のひらをぽんと合わせたエリスアレスに問われて、イクサは家にいる面々の顔を思い浮かべる。
「えーと、人数は増えてなけりゃ四人。そのうち子どもはふたり」
「世話役のおとながふたりいるのですね。ご夫婦でしょうか?」
「いや、あのふたりは……」
ランタナの問いに答えようとして、イクサはことばに詰まる。
育ててくれたのはあのふたりだ。おぼろげながら記憶がある。ふたりの関係が夫婦でないのはわかっているが、ならばどういう関係なのかはずっと謎のままで、いまも知らないままだ。
「人数だけでもわかれば、じゅうぶんよ。大まかな補助金の計算はできるわ」
「補助金?」
聞きなれないことばにイクサが首をかしげると、ランタナがどこからか紙の束を取り出した。
「孤児院など、地域に必要な施設の運営を町が支えるための資金です。この町では事情があって親元で養育できない子どもは、大地主さまが引き取って養育してくれるため組まれていなかった資金です」
「ふぅん」
差し出されるままに受け取った紙束を眺めるが、イクサにはさっぱりだ。
ろくに見もせずランタナに返すのに苦笑したエリスアレスがくちを開く。
「まあ、つまり大地主のところまでたどり着けなかった子どもをこれからも保護して育ててください、ってことで町からお金を渡すってことね」
「はあ、なるほどなあ」
ランタナが言ったとおり、町の孤児は大地主が引き取り育てて地主の元で仕事に就くのが一般的だ。けれどもイレギュラーはどこにでもいるもので、イクサは親の知れない捨て子だった。
申し出れば大地主が引き取るというのに、あえて墓守の家のそばに捨てられていた子ども。つまりは訳ありだったのだろう。ゆえに、そのまま墓守の家で育てられた。
そのため、イクサが家と呼ぶのは墓守の家になる。格別言いふらすようなことでもないし、聞かれなかったので言わなかっただけだ。
「これまでの町長は補助金を出していなかったようだけれど、それではいけないと思うのよ。詳細な金額を設定するために、運営しているひとの話を聞かなきゃいけないわね、って話していたところなのよね」
「はい。何でも屋がこれから行くというのなら、ちょうどいい。育ての親に訪問の予定があることを知らせておくように」
「あー、わかった。町長が金くれるかもしれない、って言っとく」
こう見えて町長をしっかり務めているらしい少女とその侍従が小難しいことを言い始めたので、イクサは軽くうなずいてさっさと退散しようと腰を浮かした。
「待て。これを持っていけ」
すかさず引き留めたのはランタナだ。
どこからか取りだしたきれいな布をテーブルに広げると、イクサが手を付けなかったパンや果物、ひとくちでつまめる軽食などを次々に並べていく。
「ええ……そんなにいらねえよ」
「いいや、子どもがふたりいるならば食糧はいくらあっても困らないだろう。成長期にまともに食事をとらないでいると、お前のようにだらけた生活を送るようになってしまう可能性もある」
荷物が増えるのを面倒がるイクサに小言をもらしながらも、ランタナの手は止まらない。「子どもならば甘いものも好むな」などとテーブルの上にない焼き菓子まで詰め始めた男に、イクサが「……あんた、それどこから出してるんだよ」と呆れるばかりだ。
「ふふ。ランタナったら、小さいものやかわいいものが好きだからって張り切っちゃって」
楽し気に笑って見ているエリスアレスに、そういえばこのお嬢さまの身だしなみやらもすべてランタナの手によるものだった、とイクサは遠い目をする。
「でも、そうなのね。イクサは孤児院みたいなところで育ったのね」
「子どもの世話をする姿が想像できませんね」
「あんたは逆に、構いすぎて嫌がられそうだよな」
「キュー……」
しみじみとうなずいたナナンにランタナがショックを受けて、ようやくイクサの手土産が膨れ上がるのは止まったのだった。




