1.「……あんた、置き物にメシ食わすのかよ」
空は快晴、太陽はむやみとやる気を出して、町のひとびとも何が楽しいのかわいわいとにぎやかに通りを急ぎ歩いていく。
乾いた空気に蒸気機関が白い蒸気を吐き出すのを横目に、イクサは寝ぐせのついた頭のまま人ごみに流されるように進んでいた。
たどり着いた目的地で、イクサはドア横の丸い突起を押した。呼び鈴というらしい突起を押せば、はるか上階にいる住人に来訪が告げられるしくみだという。
「お待たせいたしました」
ほどなくしてがちゃり、と開いたドアから顔を出したのはランタナだ。今日も今日とて隙なく整えた男が丁寧に頭を下げる先は、イクサではない。
イクサの胸元におさまった青い毛皮の珍獣だ。
「キュワ!」
「ナナンさま、また無断外泊などなさって! 麗しい御身になにかありましたらと思うとこのランタナ、エリスアレスお嬢さまの新しいお衣装を選定する作業も手につかず……!」
悪びれたようすもなく元気に鳴くナナンに、ランタナは真剣な顔と真面目な声で早口に思いのたけを告げている。
その容姿が整っているだけに、口走っていることばの数々が気持ち悪い。
けれどイクサはすでに慣れてしまって、右から左へと聞き流しながらあくびをした。
「この建物、立派だけど警備が甘いんじゃないか?」
聞き流すのにも飽きたイクサが町長の家をぼうっと見上げながらつぶやけば、聞き捨てならんとばかりにランタナの目が細められる。
「そんなことはない。もともと前町長がむやみと取り入れたさまざまな蒸気機関が侵入者を迎え撃つようになっている。しかしそれだけではエリスアレスお嬢さまには不十分だと判断して、サンフラウア家の持てる力を尽くしてこの建物全体の警護は万全に―――」
「いや、でも五日連続で脱走されてるんだから、守りは知らないけど脱出経路はあるんだろ」
流れるように話し出したランタナの話をさえぎって、イクサは町長の家の欠点を指摘した。ランタナとしても痛いところをつかれたらしく「ぐうっ」とうなるような声をあげて町長の侍従は黙り込む。
「……それについては、早急に対処する。ひとまず上階へ」
「はいはい」
「キュッキュー」
招き入れられたイクサとナナンは、勝手知ったる町長の家でランタナの案内を待たずにすたすたと廊下を進む。蒸気をあげる自動昇降機に乗って向かうのは、こじんまりとした食堂だ。
「本来であればナナンさまをこのような貧相な部屋にお通しするなど許しがたいことでありますのに―――」
こじんまりとした、と言っても町の食堂と同じくらいの大きさの部屋だ。そのうえ内装は町の食堂とはくらべものにならないほど立派。置かれている椅子ひとつとってもがたつかない、きしまない、ささくれが服に引っかからないと三拍子そろっているだけで、イクサとしては大層立派な椅子だと思う。
けれどランタナいわく、ここは侍従が食事をするための貧相な部屋であり、偉大にして神聖なナナンにはふさわしくないらしい。
「今日もそれか。そろそろ諦めろよ。まあ、偉いひと用の食堂に連れてってもらっても俺は構わないし。さっさと帰ってもうひと眠りできるから」
「それが許されるならばそうしている! ナナンさまがお前といっしょでなければ嫌だとおっしゃられる以上、私は全力でお応えせねばならんのだ!」
いいかげん聞き飽きた、とイクサがナナンを抱えてランタナに差し出せば、ランタナは胸の前で握った拳を震わせて語気を荒くする。
「はあ……。なんだってお前、そんなに俺になついたんだ。飯くらい、ひとりで食べろよ」
「キュー……」
「お前はなんと非情な男なのだ! このようにお小さく愛らしいナナンさまにおひとりで食事を召し上がれだと!? お前の血は凍っているのか! そのようなこと、私の目の前で許されると思っているのか」
面倒くさくなってきたイクサがナナンに自立を促すも、寂し気に鳴く獣に一撃で陥落した侍従がそれを許さない。
イクサの背中をぐいぐい押したランタナは、てきぱきと動いてテーブルのうえに豪華な朝食を配置していく。それだけを見ていれば優秀な男だろうに、獣のナナン相手に大真面目に「お飲み物はいかがなさいますか」とたずねる姿はたいそう残念だ。獣なのだから、果物をお剥きしなくとも食べるだろうに。
「ふぁ……ねむ」
きれいなテーブルクロスを眺めているうち、ついそこにほほを押し当ててしまったイクサは自然と出て来たあくびをこらえる気もなく、そっと目を閉じる。
がしっと頭をわしづかまれて引っ張り起こされて、イクサがしぶしぶ目を開けると渋面のランタナが冷たい目で見下ろしていた。
「寝るな。ちゃんと食事をとれ。お嬢さまの所有物件に招き入れたからには、きっちりもてなすのが私の仕事だ」
「……もてなす気があるなら、食べる時間があるなら寝ていたいっていう来客の意思は尊重されないわけ?」
「お前に限り却下だ。まったく、あの人騒がせな前職者といい、なぜかわいくない者に限って私の手を煩わせるのか。大地主さまの土地から逃げるにしたって、他所の町に行けばいいものを……」
寝ぼけ眼のイクサの手にやわらかなパンやら新鮮な果物やらを押し付けながら、ランタナがぼやく。はじめからイクサに対してのみあまり見られなかった遠慮は、いまではすっかりなりを潜めていた。
「なあ、俺そういうのぜんぶ聞かないっていう条件であの報酬を受け取った気がするんだけど……」
遠慮がないのは構わないが、口止め以前に知ってはいけない情報が聞こえてきたので指摘すれば、ランタナからはなぜか冷ややかな視線が返ってくる。
「やかましい。置き物は静かにしていろ。私はひとりごとを言っているんだ。吐き出すところがなければ、あんな俗物の回収や大地主への返却手続きなどやっていられるか。おい、肉を残すな」
「……あんた、置き物にメシ食わすのかよ」
「キューキュー」
「ああ、ナナンさま。本日はそちらの果物がお気に召されましたか。ただいま追加をお持ちします、少々お待ちくださいませ」
イクサに突き放すように言ったかと思えば、ナナンの鳴き声ひとつできりりと優秀な従者の顔になるランタナ。
はじめは呆れたものだが、連日ともなれば肩をすくめて渡された食べ物をおとなしく胃におさめるのが一番面倒がないと、イクサは学んでいた。
ナナン捕獲の依頼を終えてから一週間、なぜかイクサは町長の家にたびたびやってきていた。
なぜか。
「キューゥ?」
それは可愛く鳴く珍獣が帰宅したイクサを追って、町長の家を脱走するためだ。
初日はそれこそ顔色を真っ青にしたランタナが飛び込んできて、惰眠をむさぼるイクサの腹に寝そべるナナンの姿に卒倒しそうになっていた。ランタナが丁重にもてなしても目を離すと脱走するらしく、そのたび返品しに来てはナナンとの触れ合いタイムと称して飯を食べさせられるのが、このところのイクサの日課となっていた。




