第1話
仕事帰りに寄った牛丼店。なじみの店員にいつもの商品を注文する。商品を受け取り、礼を言って正雄は店を出た。
すっかり日が暮れた夜道をのんびり歩く。
寂れた三階建てのアパート。外にむき出しの錆び付いた階段。右ポケットに手を突っ込み、鍵を取り出しながら302号室を目指す。
部屋に着くなり台所に直行。ほとんど何も入っていない冷蔵庫から常備してあるビールを取り出す。
牛丼とビールをテーブルに置き、座椅子に勢いよく座る。下の階から微かにうるさいという声が聞こえたが、正雄は気にしない。
特盛牛丼に紅生姜をたっぷりと乗せ、大きな黒縁メガネを曇らせながら口いっぱいに頬張る。それをすかさずビールで胃に流し込む。
半分くらい食べた後、正雄は思い出したかのように急いでテレビを付けた。
ニュース番組にチャンネルを回すとお気に入りの女子アナが原稿を読んでいた。
『――法務省は、幼女連続殺人で死刑が確定した馬場拓司の刑を本日午前に執行したと発表しました』
読み終えるなりすぐに番組のコーナーが変わってしまった。あー今日はしくったな、とブツブツ言いながら正雄は禿げかけた頭を掻きむしりながらバラエティ番組にチャンネルを変えた。
週に一度しか出演しない女子アナ。いつもは忘れず観るのであるが今日はどう言うわけか見逃してしまった。ギリギリほぼ一行くらい読んでいる姿を観れただけでも良かった、と自分を慰め最後の一口を口に入れた。
食べ終わるなり、すでに空になったビール缶を台所に持っていき、帰りに二本目を手に持つ。
ビールを飲みながらバラエティー番組を愉しんでいると、ベランダから猫の泣き声が聞こえてきた。
正雄は面倒臭さそうに立ち上がり、出っ張った腹を揺らしながらベランダに向かい、窓を少し開けた。
「おめぇ見るたんびに太ってねぇか?」
三毛猫が正雄を見上げながら部屋に入ってくる。
正式に正雄が飼っているわけではない。一応風来坊の猫だ。
「うるせぇな。お邪魔しますくらい言ったらどうだ」
正雄は文句をいいながら網戸に切り替えた。
春先のちょうどいい風が部屋に入り込む。
「――んで、今日は何しに来たんだ?」
「やばいことになりそうらしい。何でも妖化が出そうらしいぞ」
「人のか? それとも獣か?」
「人の妖化らしい」
「それは久しぶりだな。んで、階はなんだ?」
「階は下妖らしい」
階は妖化、つまり化物になった魔物の強さを表す。下妖はその中で一番弱い存在だ。
「それならそんなにやばくはないだろ」
正雄はぐびぐびビールを飲む。
「いや、そこじゃないんだ! 死刑囚らしい」
「――はっ?」
正雄は手に持ったままのビールをテーブルに置き、三毛猫の青い瞳を凝視した。
死刑囚という言葉に正雄はさっきのニュースを思い出した。
「死刑囚ってもしかして今日執行された奴のことか?」
「そうだ。確か名前は馬場拓司だったかな」
「死刑囚が妖化するなんて聞いたことがないぞ」
「オラにも分かんねぇ」
三毛猫は正雄の向かいに腹を丸出しにして座り、後ろ足をピンと伸ばし、毛繕いを始めた。
「そもそも誰から聞いたんだ? 白銀か?」
そうだ、と三毛猫は毛繕いしながら応えた。
白銀は真っ白の年老いた雌猫の名。
「なら確かな情報だな」
その言葉にちらりと三毛猫は正雄の顔を見た。
正雄はまん丸とした顔を上げビールを飲み干し、そのまま天井を見つめた。
――死刑囚が妖化するなんて。
人が妖化するのは恨みをもってこの世を去った時。どちらかといえば被害者の方が多い。
恨みがあるからといっても必ずしも妖化する訳ではない。むしろ妖化しない方が多い。
最近は昔と違って殺人事件などの卑劣な犯罪が少ない。そのこともあって人の妖化はこのところ起きていない。
死刑囚などの罪人は、この世を去ると同時に魂は地の底――つまり地獄――に堕とされる。
妖化は、魂が地上に存在していないといけない。従って、地の底に堕とされる罪人は妖化しない。
一方、殺された被害者は、魂が地上に残りやすい。その時間が長ければ長いほど妖化しやすくなるのだが、大概は天に救済され、成仏する。
被害者でもない死刑囚が妖化する。
――よく分かんねぇな。
天井を見つめていると視線を感じた。
「おい、腹が減ってきた。飯くれねぇか?」
「仕方ねぇ奴なだぁ」
正雄は再び面倒臭さそうに立ち上がり三毛猫の食事を用意した。
「よく缶詰ばかりで飽きないんだな」
「おめぇも牛丼ばっか食ってるだろ」
正雄は牛丼が育てた自分の腹を見た。
「んで、オレにどうしろと言うんだ?」
「分かってんだろ、調査だな」
三毛猫は食べながら応えた。
「オレは忙しいんだ! お前の方が暇だろ、猫なんだし」
忙しいと言うより本当は面倒臭さい。死刑囚の妖化は気になるとこだが下妖ならそんなに焦ることないはずだ。
「生憎もうすぐ雨が降りそうだ。明日は一日中雨だな。オラのお髭がそう言ってらぁ。それに白銀のご指名だ」
食べ終わった三毛猫は髭を前足で丁寧に掃除する。
「それに忙しいっておめぇ明日休日だろ! それくらい知ってるぞ。取り敢えず明日、白銀のところに行ってきな」
三毛猫は大きく欠伸した。
寝ようと企んでいる三毛猫に冷ややかな視線を正雄は浴びせた。
構うことなく香箱座りになった三毛猫は目をつぶる。
ちなみにこの三毛猫の名は、三叉という。