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祖国よ、祖国よ!

指揮官というのは、いつ何時も冷静であるべきだ。

 常に理性を保ち、怒りによって多弁を弄するような真似をしてはならない。たとえ目の前で、同志が敵の銃弾によって倒れようとも、だ。

 それが指揮官の役目であり、祖国防衛の要なのだ。


「南の方からドイツ軍の機甲師団がこちらに進撃してきます。チェルネンコ司令、ご命令を!」


 俺は、部下であるウシャコフの訴えを聞きながら、双眼鏡を覗き込む。

 そこでは、ドイツの新型中戦車(パンター)が、我が赤軍のT-34を蹂躙する姿が見て取れた。

 我らの同志が、ナチどもに蹂躙されていく。槌と鎌が、鉤十字によって踏みにじられていく。

 双眼鏡を持つ手が怒りで震えた。


「司令!」


 ウシャコフの悲痛な叫びに、肩をなでおろして答えた。


「ミンスクを占領する我が方面軍は、ドイツ軍の予期せぬ猛攻によって完全な包囲を受けている。この状況を脱するには、友軍の到着を待つ他にない。耐えてくれ、同志よ」


 その瞬間、俺の体が大きく揺れた。

脳も内蔵も揺れ、土の香りが鼻腔を充満する。

 地面に倒れた俺が目を開くと、目の前にはテーブルの残骸や紙切れが散乱していた。


「何が起こったんだ!」

 誰かが叫ぶ。

「砲撃だ。ドイツ軍の砲撃だ」


 俺は叫びながら起き上がろうとする。

 が、そこで、俺の体の上に何かが乗っかっている事に気づいた。

 体をよじり、何かを落とす。

 そして立ち上がると、目の前に双眼鏡の向こうで見えていたはずの光景が広がっていた。


「クソったれ」

 そういいながら足元を見た時、俺はついに激怒した。

「同志ウシャコフ! 大丈夫か。しっかりしろ」

 血まみれのウシャコフを見た俺は、我らの赤旗よりも、鮮やかな、はっきりとした怒りを、抑えられなくなった。


「おい!」

 そう呼びかけながら、抱きかかえる。ウシャコフは息も絶え絶えにしながら口を開いた。


「ご無事でしたか、チェルネンコ司令」

「あぁ、同志よ。なんて有様だ。今すぐ衛生兵を呼んでこよう」

「いいえ、司令。もう手遅れです。私はもはや、痛みすらも感じません」

「そんな悲しいことを言うもんじゃない、同志よ」

「いいえ司令。私はもう死ぬ、これは確かなことです。ですから、この哀れな私のために、1つ願い事を聞いてはいただけませんか」

「あぁ、もちろんだ。なんでも言え」

「司令。必ずや、レーニンの打ち立てた偉大なる祖国を防衛し、独裁者や専制君主、資本家共の手に渡らないようにしてください。私の妻と子らが、彼らによって悪しき目に合わぬように、共産党と共産主義に、忠実であってください」


 瀕死のウシャコフの最後の訴えに、俺は思わず涙をこぼす。


「もちろん、約束しよう。俺は祖国とともにある。今この瞬間から、死ぬまで、その願いを達成し続けることを約束する」


 そう答えると、ウシャコフは安心しきった笑顔で唱えた。


「ありがとう、同志チェルネンコ。その言葉が聞けて私は嬉しい。妻と子を頼んだ。共産主義万歳! 人民万歳! レーニン万歳! スターリン万歳! ソヴィエト万歳! 祖国万歳! 同志チェルネンコ万歳!」


 そうしてウシャコフはまぶたを閉じた。


「クソ……。クソ! なんでこんなっ。許せない。畜生……、畜生…………」


 目からとめどなく涙が溢れ出し、目の前がぼやける。

 ウシャコフとは、ロシア内戦のときからの戦友で、良き友にして同士の中の同志だった。数え切れぬほど同じ釜の飯を食い、勝利の栄光も、敗北の屈辱も、共に味わってきた。

 そのウシャコフが今、ファシズムの狂信者によって殺された。

 許せない。

 悔しさと怒りが、俺を支配する。


「汝、勝利を望むか?」


 …………? 誰だ?

 俺は顔を上げる。

 どこだ、ここは。

 周りが白い。

 どこまでも広い。

 周りには誰も居ない。抱きかかえていたはずのウシャコフさえも。

 俺はさっきまでミンスクの泥の上で、戦友を抱えていたはずだ。

 なのに、なぜ?


「汝、勝利を望むか?」


 謎の声が、どこからともなく聞こえてくる。


「お前は、誰だ」

「私の質問に答えよ」

「……。名も名乗らぬやつに答える義理はない」

「頑固な子羊だ。いいだろう。私はお前の主だ」

「何を言ってるんだ。主? すまないが、救世主(キリスト)ごっこはよそでやってくれないか。俺は今すぐ、祖国のために戦場へ戻らねばならないんだ。それとも、自分が神であることを証明する手段があるとでも?」

「貴様、聖書を読んだことはないのか」

「ある。小さい頃にだが」

「そこに、『神を試してはならない』とあっただろう」

「さぁ、どうだったかな。俺は共産党員だから、神のことなど忘れた」

「まったく、この堕落した哀れな子羊め……。良いだろう。貴様に神の奇跡を見せてやる。貴様の望むことを1つ言ってみよ」

「我らの目標は、我らの手によって完遂する。神の手など借りない。が、お前がそう言うなら試してみよう。ウシャコフを復活させてくれ」


 そう答えると、声は少し間をおいた。


「それはできない。死は人には許されていない。私は何でも願いを叶えるが、人の世の理を外す事はできない」

「なぜだ。イエスは復活しただろう」

「イエスは神でもある。別問題だ」

「全く、注文の多い全能者(神)だことだ。じゃあ、世界に共産主義を広め、全世界を支配するソヴィエトを建設する。これでどうだ?」


 そう言うと、声の主は素早く、かつ自信を持って答えた。


「良いだろう。世々限りなくその共産主義とやらを満たせるようにしてやろう」


 声の言葉を聞いた俺は、内心で笑った。

 奴は気づいていない。共産主義は神を否定する、そんな思想が広まれば、お前の居場所もこの世から無くなるということに。

 バカ、だな。と、そう思った。

「哀れな子羊に、栄光と祝福を」

 声がそう唱えた瞬間、俺を強烈な光が包んだ。

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