オレたちに任せてくれ!
歯車は、今はすっかりキィーン音はしなくなった。ノリアキが全体的に、自転車のチェーン用のスプレーを振りまいたのだ。だから今度は船内をゆっくり見学させてもらっていた。
「次はここじゃ」
ガーデルマンがショーの司会者のような手つきで一つのドアを示し、ニコニコと笑いながらゆっくりとドアを開いた。
「うわっ!」
「すげーー!!」
船の動力部だった。いわゆる蒸気機関と呼ばれるものは、石炭を燃やし、お湯を沸かして発生した蒸気が動力源となる。蒸気の圧力をシリンダーの中のピストンに作用させ、それがエネルギーへと変換されるのだ。
「あっつい!」
「そうじゃろう。しかし、この機械のお陰でこうして、この船は浮いていられるのじゃ」
タケルの絞り出した声に、ガーデルマンが簡単に解説をした。
「じゃあ、ここは正常に動いてるの?」
「ああ、多少劣化はしておるがの、まあ大丈夫じゃ」
「ふうん。ここ、面白いね!」
元々、自転車の不具合を自分で直しているノリアキだ。先程の歯車もそうだが、様々な部品が複雑に組み合っているのを見るのは余程楽しいのだろう。目をキラキラさせて一つ一つの機械の説明を受けたのだった。
「さて、もう船の中は大体見終わったと思うのだが、他に見たいところはあるのかの?」
「鏡! 鏡が反射しあってるところを見てみたい!!」
待ってました、とばかりにタケルが言った。
「ちぃーとばかり、遠いぞ、それでもいいか?」
「もちろんだよ!」
ノリアキ兄ちゃんばかり自分の見たいことを見ていたんだ、今度は自分の番だぞ、タケルはそんな風に思っていた。
「じゃあ、こっちじゃ」
それで三人はガーデルマンを先頭に、また連れだって船内を歩いた。
迷路のような複雑な通路をガーデルマンは進んでいく。ノリアキとタケルは迷子になったら大変だと、少し歩くのが早いガーデルマンに必死について行った。
いくつかの角を曲がると少し広い場所に出た。その中央に太い円筒状の壁があり、それを取り囲むように螺旋階段があった。螺旋階段の上の方にどうやら光のしかけがあるようで、そこが白く光っていた。
螺旋階段は上へ上へと伸び、どれだけの長さがあるのか分からない。見上げた瞬間、タケルはちょっぴり後悔した。
「その中央の丸い壁には、あまり近付かんがいいぞ。中を煙が通っているから熱を帯びておるんじゃ」
階段の一番下の前でガーデルマンが言った。近づいてみると、ムンムンとした熱気が襲ってくるかのようだ。鉄板の継ぎ目も粗いのか、燻された石炭の臭いもする。なので三人は一列になり、螺旋階段の外周側を慎重に上っていった。
やがて、ついに最後の一段を上りきった。三人ともゼーハーと全身で呼吸をする。
「ふ、二人とも、よく上りきったの、偉いぞ……」
ガーデルマンは荒い息のまま言うと、ノリアキとタケルの頭をがしがしと撫でた。ガーデルマンに誉められて、二人は何だかくすぐったいような、誇らしいような気分になったのだった。
もう何度目だろう。ガーデルマンが目の前の扉を軋ませながら開いていく。
ノリアキたちが立っているのは本物の鯨で言うならば、丁度潮吹きの穴の部分であった。
円筒状の壁の中央に回転する太い柱があり、その先端に球状の巨大な鏡のような物がついている。それがどうやら、太陽や月や星の光を集めているらしかった。
その光があちらこちらに反射されているようで、まるで、それ自体が光を放っているかのようだ。
あちこちからパタパタという音が聞こえ、見るとプロペラ状の鏡がたくさんあった。その鏡がこの船の浮力であり、また反射した光線を受け止め階下へと送っているのだろう。
円筒状の壁とその中央の柱の間から流れている煙は、そのまま鯨船を隠すように黒い入道雲となっていた。
「どうじゃ、なかなか壮観じゃろう?」
ガーデルマンは得意気に言った。確かにその技術は凄いかもしれない。が……。
「これじゃあ、何も見えないね」
「うん。凄いけど、今どこにいるのか分かんないや」
ノリアキとタケルは子供らしく、率直な意見を述べた。
「そ、そうか? どこにいるかは太陽や星の位置と、地図を見比べれば分かるんだがのう」
「うーん、でもそれじゃ実際には何があるか分かんないよね? やっぱり目で見て確認しなくちゃ」
ノリアキが言い、タケルが続けた。
「あっ、でも雲の研究にはいいかもね? 最近夏でも大きな雹が降ったりとか、季節がへんなんだよ。だから、雲のヒミツを解き明かしたい人が、いっぱいいると思うな」
二人の意見を聞いてガーデルマンは難しい顔をして、手帳とペンを取り出しメモを書いた。
「ナァーッ」
「あっ! ミーコだ」
「本当だ! ミーコだ!!」
今までどこにいたのか、突然ミーコが現れ鯨の背中の上で鳴いていた。
「猫! 猫の毛がプロペラに絡まると回らなくなってしまう!!」
ガーデルマンは慌てて言った。
「オレたちに任しといて! な、タケル」
「うん! ノリアキ兄ちゃん、行こう!!」
二人は柵をよじ登って飛び越え、鯨船の背中を駆け出した。
「あっ! おいっ、危ないぞ!!」
ガーデルマンが叫んだが、追いかけてくるノリアキたちに気づいたミーコが鯨船の尻尾へ向かって走っていったので、二人は追いかけて行ってしまった。
「なんと、すばやい……。そうじゃな、子供が走るのが早いことも、すっかり忘れておったわい。こりゃ国へ帰って研究し直しだ。随分長いこと帰ってなかったな……」
ガーデルマンはぶつぶつ呟くと、船の中へと戻って行った。
一方、ノリアキたちはミーコを捕まえるのに苦戦していた。
「まてよ、ミーコ!」
「ミーコ。僕たち、階段をいっぱい上って、もうヘトヘトなんだよ」
「ニャー」
鯨の尻尾の先で一声鳴くと、ノリアキとタケルがすぐ側までくるのを待って、ミーコは雲へジャンプした。
ノリアキとタケルは顔を見合わせ、「ミーコ!」と口々に言いながら、ミーコを追いかけて鯨船から飛び降りたのだった。
「なあに、二人とも。大騒ぎねぇ」
気がつけば二人して、布団の上でジタバタしていた。夜勤帰りのノリアキの母親が、呆れたように二人を見ていた。
「梅雨が明けたとたん、すーっかり暑くなっちゃって。二人とも、凄い寝汗よ。シャワーしちゃったら? 仕事着と一緒に洗濯しちゃうから」
手提げ袋からナース服を出しながら、母親はニコニコと笑った。
「梅雨、明けたの!?」
「おばさん! それホント!?」
ノリアキとタケルの剣幕に、ノリアキの母は面食らいつつ、「ええ」と答えた。
二人は窓に駆け寄り空を見上げた。きれいな大空が、そこには広がっていた。
「梅雨、明けたんだ……」
「あっ! あれを見て!!」
タケルが遠くの入道雲を指差した。真っ白なそれに隠れるように、小さな黒い入道雲が見える。目を凝らして見ると、その黒い入道雲がキラリと光ったのだった。
「夢だったのかなぁ」
タケルがぼんやりそう言うと、ノリアキがきっぱり言った。
「どっちでもいいよ。梅雨が明けたんだから。さ、シャワーしようぜ」
そう言って向こうを向いたノリアキの肘が鉄錆びで真っ黒だったけど、それは自転車の汚れがついただけなのかもしれない……。
おしまい