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 雪原に少年が立って居る。見据える視線の先には一匹の獣。

 これで"四度目"の挑戦。慣れた手付きで爆炎瓶のキャップを捻る。


 さあゴングを鳴らせ。

 この戦闘は何時だって、爆炎の花を咲かせる所から始まるのだ。



◆ ◆ ◆



 ――――朝、顔に当たる日の光を感じて目を覚ます。

 獣との"三度目"の戦闘は胴体を食い千切られるという結末で終えた。

 脳裏に深く刻まれた死の記憶。

 小刻みに震える腕を押さえながら身体を起こし、大きく息を吸って口から吐く。


「……よし」


 それで意識は切り替えられた。


「お兄ちゃん、おはよ」

「ああ、おはよう」

「顔色悪いよ、大丈夫?」

「……大丈夫」


 完璧にとは言えないが。


「今日私、友達と遊び行ってくるから。帰り遅くなるから、夜は昨日のシチュー温めなおして食べてね」

「了解~、気をつけてな。楽しんで来い」


 すっかりめかしこんで準備万端の茜に、食パンを加えながら手を振る。

 折角のゴールデンウィークだというのに、仮病に付き合わせてしまい結局彼女はどこにも行っていない。最後の日くらい楽しんでもらいたいものだ。


 いってきますと笑顔を見せる茜を送り出し、朝食を食べ終えた獏は自室から持って来たビデオカメラを手に取った。

 先日発見し、一晩中手帳とついでに獏自身を映し続けていたビデオカメラ。果たして何が映っているのか、獏は手元を覗き込む。


(撮り始めたのは十時頃から……)


 暫くは何の変哲もない映像が続いた。

 変化が訪れたのは丁度十二時になった直後。

 ふっと、音もなく、机の上に載っていた手帳が消え去った。まるで初めから無かったかのように、跡形もなく。


「おお……消えちゃったよ……」


 自分の身体にも異変が起きていないか注目してみたが、特に目を引くような変化は起きていない。

 消えた手帳が再び現れたのは、朝になり獏が目覚める一瞬前の事。


 やはり唐突に手帳が机の上に現れ、その直後にベッドから身体を起こす自分の姿を確認して獏は再生を止めた。


「やっぱり悪夢の中と現実の手帳は同じ物って事かな」


 見落としが無いか数度再生したが、新たな発見をする事は出来なかった。


「ふむふむ成程、さて……それじゃあ、テレビでも見るか」


 家に一人、他にやる事もない。ソファーに身体投げて、チャンネルの再生ボタンを押した。






 悪夢との付き合い方を獏なりに考えてみた。


 夢の中であっても死ぬのは怖い。死にたくない。まだまだその気持ちは獏の中に残っている。

 だがノーミスクリアなんて考えは早々に頭から消え去った。そんな甘い考えで乗り越えられる程あの獣は弱くは無い。


 だから彼は妥協した。

 最終的に死なないために。夢での死は経験値だ。二度同じ死に方をしなければいい。


 死なないために獏が身を投じたのは、死ななければ勝てない、そういう戦いだった。


 夢の中で死ぬのはもうしようがないと妥協して、これから悪夢と付き合って行くために、彼が行ったのは意識の切り替え。

 毎朝目覚める瞬間が、死から意識が生へと復活する瞬間が、初めは堪らなく違和感で気持ちが悪かった。


 だから起きた後、思考の切り替えを意識して行うようになった。

 毎朝目が覚めたらまずは大きく深呼吸。そうして自分に降りかかった死の恐怖、身体が機能を停止する苦痛を飲み込んだ。

 まだ完ぺきとは言えないが、それなりに成果は出ているのは間違いない。


 これから先、一か月以上も毎朝『蘇生体験』を繰り返す事になるかもしれないのだ。

 その度に一々悪夢の出来事を引き摺って、茜や友人に心配をかける訳にはいかない。


 悪夢の出来事は全て胸の内に秘める。これも決めた事だ。

 こんな事を相談しても彼らにはどうする事も出来ないだろう。最悪病院をあちこち連れまわされる事になるだけ。


 精神異常者のレッテルを張られるくらいなら黙っていた方が良い。

 どうせ長くても一ヶ月と少しの間に終わる事だ。無駄に心配をかける必要はないだろう。


 ただ、まあ。

 何もかもが終わった後なら、少しくらい話をしても良いかもしれない。


 『夢の中でモンスターハンターになってたんだぜ』なんて冗談めかしで話をしたら、皆はどんな反応を返してくれるだろう?



◆ ◆ ◆



 吹雪の中で影が躍る。

 とうに時間の感覚は消し飛んだ。

 どれ程夢を見ているのだろう、なんて思考を巡らす余裕もない。ただ夢の中での最大生存時間を大きく更新している事は間違いないだろう。


「ガルゥゥアアアアアッ!」

「ッッ!」


 獣の咆哮に応じ裂帛の息を吐く。ドッ! と叩きつけた靴底が白い絨毯を踏み抜き、揺るがない頑丈な石畳を捉えた。


「行くぞッ!」


 今日何度目かになる気合の言葉を吐いた。死に怯え、挫けそうになる心を奮い立たせる為の言葉。

 力を籠めた言霊に背を押され、前へと押し出した身体は瞬く間に風に乗る。死の間合いへと足を踏み入れる。


「グルゥアア!」


 叩きつけられる咆哮に耳を貸さず、臆する事無く飢えを満たせぬ事へ憤激を露わにする獣へ視線を走らせた。

 怒りに支配され、狂乱じみた咆哮を上げる獣の肉体がミチミチと音を立てている。筋骨隆々の巨体は明らかに戦闘開始時よりも大きく、大きく。

 異常なまでに隆起した筋肉からは白熱した蒸気が昇る。吹き荒ぶ突風にあおられ揺らめくそれに混ざる、仄かな赤。


 獲物を屠り、迸る血潮を飲み干す事を歓喜とする獣の体躯は、今やこの場に対峙する両者の赤い血で汚れていた。


 そして身体を血で染めているのは獏とて同じ。返り血を浴び、決して無傷ではない有様で、彼の動きはまだ衰えない。

 紅い尾を引きながら肉薄し、獣の懐へ潜り込む。

 死の間合い、獣の必殺の、その更に内側。

 そこは獏の間合いだ。


「らああッ!」


 すくい上げるような軌跡を描く銀のショートソード。渾身の力で振るった刃は鮮やかに一筋の斬撃を刻む。


「ギャオオオオ!」


 唾液をまき散らし獣が上げたのは果たして痛哭か、怒号か。

 どちらでも今の獏には関係ない事だ。


 鼓膜を劈かんばかりの大咆哮も、新たに刻んだ傷から噴き出る赤い雫も気に留めない。

 極限まで見開かれた眼球は既に次を見ている。


「ギィアオオ!」

「おォ!」


 潜り込んだ獏を嫌がり、獣が距離を取ろうと試みる。後方へ飛びずさる獣を見て、彼は臆することなく前へ出た。

 獣の動きに合わせて距離を取る事も出来た。死の領域に居るという現状に身体が上げる恐怖の叫びを聞いた。

 

 それでも彼は前に出る。勝負を焦ったのではない。その選択が最良だと、瞬時に直感した。


 肩から突っ込まんばかりの勢いのまま、殆ど這うような姿勢で飛びずさる獣を追い前へと足をねじ込む。

 一拍遅れて頭上を掠めていく剛腕が生む暴風が鼓膜を叩く。もし距離を取ろうとしていたら、獣の腕に吹き飛ばされ血反吐を吐いていた事だろう。


 密着し、間合いを保ったまま更なる追撃。狙うはがら空きの胴体。まだ止めには遠い、ここでメインウェポンを失う訳にはいかない。腰に刺したナイフを撫でた。


「シッッ!」


 傷だらけの獣の肉体に、再び新たな傷が刻まれた。

 えぐるように突き出したナイフを根元まで肉の中に沈め、頭上へと降り注ぐ新鮮な鮮血が身体を犯す。


 完全に隙間なく覆われた今の獏の恰好では血の温さも、臭いも感じる事は出来ない。

 それでも鮮明に映りこむ赤色に、斬り付けた勲章を前に、身体の中を痛みとは別の熱いものが駆け回った。


(――――ああ……)


「ガァルルルアアアアアッ!!」


 風に戦ぐ体毛が逆立つ。爆発的な轟砲を一つ打ち上げた獣の足元で雪の絨毯が爆散した。

 今度こそ遠くへ、吹雪の中へ身を投じる様に獣は大きく跳躍する。


 一瞬で決定的なまでに、両者の間合いの外へ離れて行く獣を獏は無理に追う事はしなかった。

 例え吹雪に邪魔されようと姿を見失う事は無いよう、開いた瞼は開いたまま、慎重に剣を眼前へ構え。

 そして、小さく息を吐く。


「――――ふぅ」


 直後に、ぶわりと開いた汗腺から汗が滝の様に噴き出した。

 両手が僅かに震えているのは、疲労からか、忘却した恐怖が蘇ったからか。

 爆音を奏でる心臓の音に漸く気付いた。全身が炎に包まれていると錯覚するほどの灼熱を宿している。


 一歩間違えれば先の一撃で終わっていただろう。地面を濡らす鮮烈な赤が視界の隅に映っている。

 獣が吠える。暴風が鼓膜を打つ。じくじくと脳を犯す痛みも、弾けんばかりに奏でる心音も。

 全てを噛み締める。

 消える事のないそれらは――


(ああ……生きてるッッ!)


 ――獏に生を実感させてくれた。


 また生き延びた。至る所に転がっている死を何とか回避する事が出来た。戦闘は継続中。悪夢はまだ終わらない。

 次は回避できないかもしれない。死ぬかもしれない。それでも逃げようなんて考えは欠片も頭に浮かばなかった。


 逃げた所で何になる。前に進む以外に道は無い。


 身体が小さく震えていた。それが恐怖以外の感情であると彼は気付いていた。


「……すぅー」


 獏は大きく息を吸う。

 身体を犯す灼熱が引いていく、脳を揺さぶる心音が消えていく。


 獏の頭が戦いに支配された。戦闘に邪魔になるものが消え失せる。


(……行くぞッ)


 消え去った恐怖の代わりに心の中で芽生えた小さな火種に薪をくべる。

 準備は整った。


(行くぞ……行くぞッ! 行くぞッッ!)


 ドンッ! と力強く積雪を踏み砕く。力をため込む様に腰を落とし、構えたショートソードを硬く握りしめた。

 銀の刃の延長線上で、獏の視線が紅の双眸と激突する。


「行いいくッッぞぉぉオオオオオオオッッ!」


 解き放たれた少年の身体が一本の矢と化した。



◆ ◆ ◆



 ――彼は飢えていた。

 陽が堕ち、夜に囚われ終わりなき世界へと変貌して幾何の時が流れたのか。


 かつては溢れんばかりにこの身を満たした『力』も、時と共に見る影もなく衰え、寄り添う死の息遣いを聞かない日は無くなった。

 だが決して死の鎌が振るわれる日が来る事は無いのだと彼は知っている。

 永劫の時を衰えた我が身のまま、満たされる事のない飢えと共に歩まねばならないのだと。


 それはまさしく悪夢だった。


 失われた力、癒えぬ飢え。どこに行く事も出来ず、この場に囚われ、自死すら許されない。いくら嘆いてもそれは変わらない。

 何故こんな目にあっている? かつては知っていた筈の疑問に対する答えも、次第に忘却に飲まれもう思い出せない。


 何故。何故! 何故ッ! 芽生えた怒りに支配されるまで時間は掛からなかった。


 何でもいい、何でも良いのだ。飢えを満たせる何かをくれ。彼は止まぬ雪の中、只管に待ち続けた。


 『何か』が現れたのは突然だった。

 この完結した世界に不意に現れた異物。

 吹雪の中から現れた『何か』を、彼は知っていた。


 そう、これは『ヒト』だ。血を、肉を持つ、ご馳走。


 彼は歓喜する。口内から涎が溢れる。

 どうやってこの場所に現れたのか。そんな疑問は欠片も頭に浮かばなかった。

 思いは一つ、これで漸く飢えを満たせるという歓喜だけ。目の前にいるのは、単なる食糧に過ぎない。


 どうか逃げてくれるなよ。願いが通じたのか、手に持った剣を構える獲物を彼は嗤う。

 そんなものが何の役に立つ。武器は勿論、その身からは何の力も感じない。

 彼にとって比べるべくもなく遥か格下。


 一瞬で終わる。直ぐにでも血にありつける。

 彼が抱いた確信は、その後打ち砕かれる事になる。


 どうなっている?

 久しく抱いていなかった疑問が彼の中に生まれた。


 矮小な存在の筈だ、簡単に屠れる獲物、単なる食糧の筈だ。

 なのに、何故。


 血しぶきが飛んだ。激痛が身体を走る。

 それは戦いだった。一方的な狩りなどでは断じてない。両者が同じステージに立ってはじめて成立する戦闘。


 ふざけるな! 喰いしばった牙が異音を立てる。

 自慢の牙と爪は衰えてなお必殺の力を秘めている。当たればそれで終わる。目の前の獲物は取るに足らない存在だ。

 相手を屠る武器一つとっても両者の間には埋められない隔たりがあり、それを操る身体能力でもやはり彼に軍配が上がる。


 それなのに何故。

 何故これ程までに食らいついてくる? 

 剛腕を、鋭爪を掻い潜り、時に弾き、悉くを退け。

 何故傷を付けられ、追い詰められていくのだ。


 あり得ない、認めない、こんなのは間違いだ。全てを否定し彼は地を蹴る。

 胸の内を過った困惑も動揺も飢えを満たせと脅迫の如くがなり立てる本能に飲み込まれた。


「ガァアアアアアッ!!」


 この戦いにももう飽いた。来るなら来い、終わらせてやる。

 獲物の上げる咆哮に応じ、皮膚の下を蠢く憤怒と飢えに身を任せた。


 血で穢れ殺意に満ちた怪物は、狙いを定めた獲物へと驀進する黒き暴風と化す。



◆ ◆ ◆



 間違いなく戦闘開始から今迄で、それどころか過去の夢も含めての最高速度。

 そして両者は激突した。

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