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ゴングを鳴らせ!

「うがぁぁああああああああああああ! ……はぁぁぁぁぁ……。まあ、正直、予想はしてたよ。ちくしょう」


 真っ白な雪が降りしきる悪夢の世界で、一人立ちすくむ獏は四つ這いになって項垂れた。



◆ ◆ ◆



 現実で手帳を発見した後、獏が大いに混乱したのは言うまでもない。

 心配する妹の声も無視して部屋に閉じこもった。

 食事も取らず、約束した風呂掃除もすっぽかして、夜は死ぬ気で眠気に抗った。

 それでも十二時を超えた瞬間に意識は落ちて、気付けば目の間には白銀が広がっていた。


 これで四度目。相も変らぬ吹き荒れる吹雪の中で彼は吠えた。胸に燻る苛立ちを吐き捨てる様に。

 深く息を吐いて、そして漸く認める事になる。この夢がただの夢ではないと。


 悪夢の異常性にきっと初日の時点で獏は気付いていた。

 胴体を切り裂かれ、痛みに叫んだ初日の夜に気付いていたのだ。

 あの手帳を見た時腹が立ったのは目を反らそうとしていた異常性を突き付けられたから。頑なに認めなかったのは信じたくなかったから。


 四十四回悪夢の中で死ねば現実でも死ぬなんて今も信じたくはない。

 だが現実的に考えてあり得ないという反論は、現実に現れたの手帳の存在のせいで意味をなさない物になってしまった。


 常識から外れた事が起きてしまったのだ。だからもう信じるしかない。

 この悪夢は、夢であって夢でないと。


 それに二重人格説や本気で頭がイっちゃった説を考えるよりは、超常現象・ファンタジー説を信じた方がまだ精神的にダメージが少ないだろう。


「よぉし、切り替えてこ」


 切り替えの早さが長所の一つ。

 もう十分混乱して嘆いて落ち込んだ。

 この夢からは逃れられないという事は理解した。夢での死が現実での死へのカウントダウンになっているという事も。

 そして獏は死にたくない。


「兎に角今は、やれる事をやって行こう。そうと決まれば……」


 レッツ、遺体探し。



◆ ◆ ◆



 仏の捜索は順調に進み、雪に埋もれた遺体はあっさり見つかった。 

 というのも遺体は昨晩と見つけた場所と同じ場所に横たわっていたからだ。てっきり獣に荒らされ、蹴飛ばされ、最悪橋の下に落ちたんじゃないかとも思ったがそんな事は無く、完全無傷で雪の下に埋まっていた。


 鞄もそうだ。中身を全部暴いた筈なのに、今見つけてみればきっちり手帳やナイフ、瓶と言ったものが入った状態。

 極めつけは爆炎瓶。確かに一本消費した筈なのに、鞄の中には三本全て残っていた。


「これって……。あっ、そうだ。時計っ!」


 昨晩怒りに任せて引き千切って投げ捨てた懐中時計。この後探す予定だったが、昨晩発見した時と全く変わらず埋まっていた遺体と鞄にもしやと思い懐を弄る。

 時計はしっかりと内ポケットの中に入っていた。針が示している時刻は四時三分。鎖が千切れた様子もなく、投げ捨てた筈の時計は一針死をカウントし手元へと戻ってきていた。


「昨日起きた事が丸々無かった事になってんのか?」


 考えてみれば昨日だけではない。一日目は真っ二つに切り裂かれ、恐らく丸々喰われた可能性もある。二日目の死因は落下死で橋の遥か下へと沈んだ。もし悪夢が常に昨晩の続きであるならば、二日目は真っ二つにされた状態or獣の胃袋の中から、三日目は橋の下からスタートする筈だ。


 だが決まって悪夢の始まりは吹雪の中で突っ立っていた。

 そして今回、死ぬ前に無くした筈の時計と爆炎瓶が戻ってきている。悪夢の世界は死んで目覚めると毎晩リセットされるのかもしれない。そう考えれば説明が付く。


「都合が良いね」


 ここには正解を教えてくれる人はいない。だが獏は自分の予想が大きく外れている物ではないだろうと感じていた。

 恐らくこの悪夢で、獏は何かを成し遂げなければいけない。何かを成し遂げなければ、悪夢は終わらない。


 そこでポジティブに考えれば、獏は後四〇回は死ねるのだ。死んだ後、リセットされるのであれば致命的な失敗を恐れる必要がなくなる。四〇回の死以外で"詰む"事は無い筈だ。


「で、何したら悪夢を終わらせるかだけど……」


 時間経過で悪夢が覚めないのは分かっている。今の所『死』以外で悪夢から覚める事は無く、それも制限付きのその場凌ぎに過ぎない。


 この悪夢から完全に解放される為の手段。何を成し遂げれば良いのか。

 条件に獏は心当たりがある。


「城の頂に太陽を掲げよ。意味はさっぱりだけど、これがクリア条件じゃね?」


 仰々しく金色で記された文。手帳の中は最初のページ以外に何も書かれておらず、残りは真っ新なページが続いているだけ。

 他にも探してみたがやはり手持ちにそれらしいものはこの金の文以外見当たらない。

 ただ当てずっぽうで我武者羅に終わりを求めて彷徨うよりも、この意味深な一文に賭けてやってみる価値はある。


「やったる。四〇回分の残機有効利用してさっさとこの変な悪夢終わらせて俺は安眠を手に入れるんだ」


 金色の文字を指でなぞる。

 次の目標は決まった。城探しだ。



◆ ◆ ◆



 雪上に線を描いていた切っ先が、こつんと甲高い音を立て切っ先が縁にぶつかった。

 

「ふぅむ」


 顎に手を当てて悩まし気に息を吐く。今獏が立って居るのは、スタート位置から左に真っすぐ歩いた場所。

 左側に真っすぐ道が伸びている可能性を考えて来てみたが、早々に期待は裏切られた。これで前後左右でまだ調べ切っていないのは、あの獣が立ちはだかっている方向だけ。


「一応装備揃えたけど、出来れば近寄りたくないなぁ」


 誰だってそうだろう。あんな殺意の塊みたいな化け物に近寄りたくはない。


 あの遺体から拝借して肩掛けしていた鞄を覗き込む。武器になりそうなのは爆炎瓶とナイフに加えて、最初から持っていたショートソード辺り。全力で投げ付ければ懐中時計も一応武器にはなるかもしれない。


「そもそも例えあの化け物を殺せたとして、俺が死んだ後復活するんじゃ意味ないしな」


 骨折り損のくたびれ儲けと創作リズムに乗せて口遊む。今の所戦わないに越した事は無いのは間違いない。


「と、決まればどうやってアレを回避するかだけど……」


 周囲を途切れる事無く吹き荒れる猛吹雪を見やる。一度……いや昨晩の死因もこの吹雪で足元を確認できなかった事にあると考えれば二度か。

 吹雪で視界を遮られ、二度獏は命を奪われている。

 だがこの吹雪自体に敵意は無く、視界を遮る厄介な吹雪は化物から姿を隠す盾となってくれる。多分。


 一番最初の夢で化物に殺された時、特別左右にずれる事もなくまっすぐ前に進んだ結果真正面でかち合った事を考えると、端を慎重に進んでいけば気付かれずに化け物をやり過ごせるかもしれれない。


 剣先を雪に埋め先行させながら前へと進む。

 現状分かっている死ぬ危険があるのは、化物に殺されるか足を踏み外しての落下死。

 どちらも回避する為に最大限の用心をしている為進みは遅いが、足取りは一歩一歩確かなものだ。


 激しい雪と風が渦を巻く轟音にカリカリと地面を引っ掻く小さな音が混じる。

 その二つの音に別の音が割り込んだ事に気付けたのは恐らく偶然だろう。吹き荒れる風の切れ目、一瞬生じた静寂の中で獏の耳は聞きたくなかった音を聞いた。


 身の毛のよだつ獣の唸り声を。


(嘘だろ……)


 一瞬頭を過る、ただ近くを通っているだけだという希望的観測を獏は静かに目を伏せ否定した。

 声が聞こえた瞬間に感じた背筋を這う恐怖の感情は、声が聞こえたからだけではない。


 刺し殺すような視線を感じた。誰かに、何かに見られているという奇妙な感覚を覚えた。

 それは絶対に錯覚等ではない。


(落ち着け)

 

 静かに張り詰めた神経が、雪の上を忍び寄る足音を捉える。

 悠然とした歩みに余裕が見て取れた。


(落ち着けッ)


 大きく深呼吸を繰り返す。もうバレている以上、息を殺す事は滑稽でしかない。


(まだ終わりじゃない)


 昨晩の出来事は未だに鮮明に脳裏に焼き付き、勝算は決してゼロではないという事を教えてくれる。

 絶望するにはまだ早い。


 昨晩の死因は"落下死"だ。成す術もなく追い付かれ、喰い殺された訳じゃない。最終的に落ちて死ぬまで、追い付かれる事なく逃げ続ける事は出来ていたのだ。

 熊を遥かに上回る巨体の獣を相手に、だ。

 

 獏の身体能力は決して高い方ではない。

 ただしそれは現実での話。

 そしてここは夢の世界。現実とは違う。


「武器が用意されてた時点で、何となく予想はしてたよ」


 汗ばんだ手でショートソードを強く握る。全長が精々七〇センチ程度のこの剣で、どこまで獣とやり合えるかは分からない。

 だが状況が、準備された装備が、嫌になる程物語っている。

 『戦え』と。逃げても昨日と結果が変わる事は無いだろう。道は戦闘以外に用意されてはいない。


「やってやるッ!」


 恐怖の感情と共に刻まれた真っ赤な双眸が、吼える獏を見据えていた。



◆ ◆ ◆



「……わっ!」


 がばっとベッドから身体を起こし、弾んだ呼吸で辺りを見渡す。窓から見える空は青く、今朝も良い天気であることが伺えた。


「朝か。……くぅーっ!」


 思わずベッドの上で頭を抱える。悔しさとか、羞恥とか、色々な感情がごちゃ混ぜになって身もだえる。

 瞬殺だった。戦いにもならなかった。やってやる、と気合十分に吼えてから、一分と持たなかった。


 吹雪のカーテンの向こう側に立つ獣が腕を振るう。小手調べのような一撃に完全に虚を突かれ、獏はそのまま首を刎ねられた。


「何かこう、睨み合ってから戦闘開始! 見たいなの予想してた……」


 ボクシングの試合じゃないのだから、ゴングなど鳴る筈がないというのに。

 不意を突くとは卑怯な奴めと、奇を狙った訳でもない正面からの攻撃に対してぶつくさと文句を零す。


 これで通算四度目の死を経験した事になる。

 四度目となれば死ぬ事にも慣れる……筈も無く、昨晩の死に様は今も生々しく瞼の裏にこびり付き、これから先の人生で忘れる事は決して無い。


「次だ。切り替えよう。まだ四〇も残機はあるんだ。それだけあればマ〇オの全ステージクリアだって出来る、この夢だって絶対いける」


 偉大なる配管工のおっさんの勇姿を思い出し、力強く握り拳を作った。

 と同時に、腹がぐぅと鳴る。そう言えば昨日は何も食べていない。


「お兄ちゃん? 朝だけど……大丈夫?」


 ノックの音に顔を上げれば控えめに開けられた扉から、心配そうな表情を覗かせる茜と目が合う。随分と心配させたらしい。思わず苦笑しながら手を振った。


「おはよ、もう大丈夫だよ」

「そっか、良かったぁ。あっ、でも無理しちゃ駄目だよ。ごはん持って来たげよっか?」

「大丈夫だって。今日は学校もちゃんと行くし」


 安心させようと言った言葉だったが、何故か彼女は顔色を悪くし、わなわなと震える両手を口に当てた。


「お兄ちゃん、やっぱり病院行った方が良いんじゃない? 今日、学校休みだよ。祝日、ゴールデンウィークだよっ!」


 そう言えばそうだった気がする。痛恨のミスだ。昨日の記憶があやふやで、勘違いしてしまったらしい。

 しきりに病院を進めて来る茜に、もう万全だという事を信じてもらうのにそれなりに時間を有する事になった。



◆ ◆ ◆



 ずる休みはよせと忠告がずらりとならんだラインに、風邪を引いていたんだと返せば返事は直ぐに帰ってきた。『嘘つけ』。一欠片も獏の言い分を信用していない。とても理解の深い友人たちだ。腹が立つ。


 たっぷりと呪詛を送り付けてやった後で、机に頬杖を付きながら獏は手帳を眺めていた。

 手帳は発見した時から変化は無い。一頁目にでかでかと金と黒の二文が書かれているだけで、その後数十頁に渡って空白が続いている。あぶり出しや透かしも確認してみたが、秘密の文字が現れる事は無かった。


「何か書いとくか」 


 これだけ余白があるのだ。有効活用しよう。

 シャーペンを取り出しすらすらとメモを書いていく。


『四月三〇日 初めて悪夢を見る。死因、化け物による惨殺

 五月 一日 特に何もなし。死因、落下死

    二日 遺体、手帳を見つける。死因、落下死

    三日 現実にも手帳が現れる。手帳の記述を信じる事にする。死因、不意打ち……』


 こうして見ると二日目以外の全てで死因に化け物が絡んでいる。二日目も化け物を避けた結果の落下死と考えれば、全てに関与していると言えるかもしれない。


「あの野郎許さねえ」


 後何か書く事があるだろうかと顎に手を当て悩む事数秒。パチンと指を鳴らして思いつく。絶対に描かねばならない事があった。

 シャーペンをしっかりと持ち、至極真剣な表情で獏は最後に大きくこう書いた。


『戦闘開始のゴングは鳴らない』



◆ ◆ ◆



「今日も早く寝るの?」

「ああ。早寝早起きを心掛けようと思って」

「やっぱりそうなんだ。でも無理しないでね」

「俺はどんな駄目人間だと思われてんだよ」


 呆れながら大きく欠伸を零す。今まで一晩の徹夜程度であれば支障一つなかったというのに、この連日の睡眠を強要されているかのような睡魔。この時点でもう獏の体に異変は起きているのだろう。


 睡魔に抗う事の無意味さは身に染みて理解している。

 ベッドに身体を横たえ目を瞑る。意識は即座に暗闇の中へ落ちていき、次に目を開けた時、そこはもう普段の自室ではなく極寒の世界へと変貌していた。


「さてと、まずは……」


 空一面に荒れ狂う吹雪の底で、獏は迷う事無く歩き出す。

 遺体の場所はやはり変わらない。鞄を拝借し、中に入っていた手帳をぺらりと捲ってみた。

 見たかったのは二頁目以降、そこには昼間書いた日記と注意書きがしっかりと反映されていた。


「やっぱり同じもの、なのかな」


 あぶり出しを行った後まである。現実の机の上にある手帳と、夢の中で今手に取っている手帳は似た物ではなく、全く同一の物なのかもしれない。


 夢を見ている今現在、現実では手帳はどうなっているのか気になる所だ。

 確認する術はある。

 妹の運動会を録画するのに使ったビデオカメラが、今ではすっかり役目を終え物置の奥深くで眠っている筈だ。


(少し古いけど使えるだろうし、明日用意して確認してみようかな)


 手帳を閉じて鞄にしまい、代わりにナイフを二本と爆炎瓶を一本取り出した。

 昨日の教訓で目があえば戦闘が始まるのが分かっている。準備は今のうちに終わらせるべきだ。

 二本のナイフを左右の腰のベルトに刺し、爆炎瓶のキャップに指をかける。片手でも十分キャップを捻り、着火させる事は出来るだろう。


「行くか」


 進む足取りに迷いはない。昨日とは違い、真っすぐど真ん中を歩く。端を歩いても化け物に気付かれるのであれば、端を歩くメリットはない。むしろ落下死の危険性が高く、デメリットの方が目立つ。


 視界が悪い中、真っ先に化け物の存在に気付けたのは昨日と同じく『音』だった。

 集中した聴覚が暴風の中に混じる忍ばせた足音を拾う。


 まだ姿は見えない、だが近くに居るのは間違いない。

 そして向こうもすでに獏の存在に気付いている。ここまでは想定通り。握りしめた爆炎瓶のキャップを捻った。


「勝負だ」


 白銀の世界に戦闘開始を告げる紅蓮の爆音が鳴り響く。

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