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夢うつつ

「流石に偶然じゃねえのかなあ……」


 これで三晩続けて同じ夢を見て居る事になる。

 偶然の一言で済ます段階は過ぎた。


「にしても原因は何だよ……、こんな夢を立て続けに見るなんて俺の精神状態はどうなってんだ」


 こういう時はやはり病院に行くべきなのだろうか。起きたら近所に精神科があるか探してみようと心に決め、獏は右手に持ったショートソードを雪の中に突き立てる。

 そのままずりずりと白雪に線を描くように剣を先行させ、地面を確かめながら進む。

 もう突然の落下死はまっぴらごめんだ。


 後ろは断崖、前は化物。となれば次に進むとすれば左右のどちらかになる。


「右利きだから右」


 最高に安直な理由で即決した獏は、切っ先で地面を削りながらゆっくりと進んでいく。

 数分も歩いたとこで、かつんと切っ先が何かに引っかかる小さな衝撃を感じた。


 直ぐにその場にしゃがみ込み、ゆっくりと慎重な動きで取っ掛かりを確認する。雪が凍ている訳では無い、剣が引っかかったのは僅かな段差。そしてその段差の向こうは、案の定何もない虚空が広がっていた。


「成程、つまりここは歩道橋とか橋っぽい所なのかな?」


 どれほどの高さがあるかは正確な所は分からない。

 だが万が一落ちてしまった時の結末は身をもって知っている。

 悪寒にぶるりと背筋を震わせ、獏はその場に座り込んだ。雪の中に直接腰を下ろしたが全く冷たさは感じない。

 落ちないように細心の注意を払いつつ獏は膝を抱えた。


「待とう。夢から覚めるのを、何時か終わるだろ」


 動かなければ落ちようがないし、隅っこであればあの化け物が移動しようと見つからないだろう。

 変な事をして嫌な目には会いたくない。

 夢はいずれ醒める。ただ待てば、何時かはこんな悪夢終わる筈だ。


「……」


 何もしないという事は意外に苦痛だ。どんよりとした表情で吹き荒れる吹雪を見つめる。

 動くとまた嫌な目に会いそうで動けない。夢の中だからか眠る事も出来ない。


 どれ程待てども景色に変化は現れない。

 いや、そもそも、一体この夢を見始めて果たしてどれくらいの時間が経ったのだろうか。今の獏にはそれを確認する手段がない。


「……何かないかな」


 飽きというのは意外に早くやってくる。夢から覚めるまで体操座りで一歩も動かんと決めた筈だが、こうも変化が無いと暇で仕方が無い。

 ここは夢の世界だ。現実では見た事もない服を着て、剣を持っている。他にも何かあるかもしれない。


「む。何かある」


 上から順にぺたぺたと身体を触っていくと、腰のあたりに僅かな膨らみがある事に気付いた。

 コートのの裏に内ポケットが縫い付けられている。その中に、チェーンに繋がれた時計が入っていた。


「おおっ」


 気付いていないだけで、経過時間の確認手段を最初から持っていたようだ。

 表情が喜色に染まり、時計の盤に視線を落とす。

 だが獏の表情が再び暗くなり、時計へごみを見る視線を送るようになるまでそう時間は掛からなかった。


「動いてない……、これ壊れてるじゃん」


 四時を数分超えた辺りで固まった時計。時間を調整する摘まみもないつるりとした手触りの時計の針は、ぴくりとも動かず一向に時を刻みだす気配何てなかった。

 期待した分落胆も大きい。


 思わず舌打ちが零れる。それだけでは獏のイラつきは収まらない。

 悪態を吐くと全力で時計を振り上げた。ブチっと鎖が千切れる音が聞こえたがもう止まれない。


「このぉ! ……あ」


 力任せに時計を彼方へ投擲する。完全に手遅れになった後でほんのちょぴりの後悔。時計は簡単に吹雪の向こう側に消えていった。

 この猛吹雪で適当に放り捨てた時計を探すのは困難だろう。


 勿論出来なくは無いかもしれないが、そうまでして探し出さないといけない物でもない。「まあいっか」と口の中で呟く。欲しかったのは時間が測れるもの、動かない時計は必要ない。


「他にないかな……、他に……。うーん」


 何もなかった。ひゅうっと吹き込む風の音がやけに空しい。


「そもそも夢から覚めるのを夢の中でただ待つってなんかおかしくね? 俺の夢なら俺が覚めろって思った時に覚めろよ!」


 大声で叫んで見た所で何も状況は変わらない。獏の愚痴に付き合ってくれる人なんてこの場所には居ない。

 胸の内に溜まるむしゃくしゃした気持ちを吐き出そうと、大口を開けて吼えて右に倒れる様に横になる。天使の一つでも作ってやろうかと広げた両手が、こつんと何かにぶつかった。


「?」


 橋の淵ではない、何か別の物が雪の中に埋まっている。てっきりこの橋の上には雪と、化物くらいしかいないのだと思っていたのだが、早とちりだったのかもしれない。

 傍に近づき上に被さった雪を払っていく。

 雪に隠された秘密は、直ぐに獏の目の前に現れた。


「なんだ、これ……」


 埋まっていた物は人だった。

 金魚鉢を逆さまにして被った様な奇妙な黒いヘルメットに、灰色のシャツの上に羽織るこれまた黒のロングコート。

 今の獏と全く同じ服装をした人型がそこに倒れていた。


 直ぐに頭に浮かんだ『人形』という単語。これは等身大のマネキンのようなものではないか。


(……違う)


 その考えを否定したのは他ならぬ自分だった。

 気付けば口内が乾いている。唾を飲み込んで雪に埋もれた"遺体"を見た。

 人形なんかではない。目の前にあるのは死体だ。そこには確信を得られるだけの濃厚な死の気配が漂っていた。


「ふぅー、落ち着け。これが死体だとしても今見てるのは所詮夢だ。怖がる理由なんてない」


 視線を外して空を見る。灰色でも良いから空を見上げたかったが、見えるのは雪ばかり。目をいくら凝らしても結果は変わらない。早々に諦めて両目を閉じる。瞼の裏に思い描くのは青空。ぽかぽかと気持ちの良い空を暫し想像して、再び目を開ける。


 残念ながら夢から覚める事は無かったが、気持ちは随分落ち着いた。

 改めて雪の中に横たわる何者かの遺体を観察する。遺体ばかりに視線が行ってしまったが、傍には皮によく似た材質で出来た鞄が落ちていた。


 完全にコートと連結されているのか、つるりとしたヘルメットはどれだけ弄ってみても外せなかった。

 少し悩んでから獏は鞄の方へ手を伸ばした。

 仏様に一度手を合わせてから、鞄の中を覗き込む。


「何が入ってるかなっと。えーっと、ナイフに瓶? それに……手帳かな」


 シンプルな鉄のナイフの本数は四。持ってみると重さを感じない程に軽い。

 瓶は三本しかなく、中に液体が詰まっているようで、振ってみるとチャプチャプと音がした。どんな液体が入っているかは外側からは分からない。


 せめて色が分かれば何かしら予想が付くだろうかと、試しにキャップを捻って見た。

 カチッ、と何かスイッチが入るような音。キャップを完全に開け切る事は出来ず、内側で火花が散った。


「……なんかヤバい予感」


 瓶の中からは火が着いて燃えているような音が聞こえている。これは絶対に碌なものじゃない。

 直感に従い獏は全力で瓶を放り投げた。

 放射線を描き飛んで行った瓶は、ぽすんと積もった雪の中に着地。


 直後に、景色が揺れたと錯覚する程の大爆発が起きた。暗い雪景色の中で一際目立つ真っ赤な爆炎が立ち昇る。


「~~~~ッ!」


 爆風に煽られ尻もちをついた獏が真正面からの衝撃に頭を抱えた。


「何々⁉ 爆発したっ! 火炎瓶? 火炎瓶って爆発するか⁉」


 爆炎が消え再び暗い雪景色が戻ってきた後でも、目に焼き付いた炎は暫く消えそうになかった。目がチカチカするせいで瞬きの回数が増える。思いっきり擦りたいがそれにはヘルメットが邪魔だ。


 ともかくこの爆炎瓶は非常に危険な代物で間違いない。慎重な手つきで残りの二本をそっと取り出し離れた場所に置いた。傍に置いていたら落ち着かない。


「で、最後はこれか」


 手に取ったのは一冊の手帳。サイズは少し小さめのA6、文庫本サイズ。厚みはそれ程なく、灰色の表紙には何も書かれていない。

 果たして何が書かれているのか、好奇心に急かされるままに獏はぺらりと表紙を捲った。


 1ページ目から行き成り文が書いてある。黄金色に輝く豪華な字を、視線でゆっくりとなぞっていく。

 そこにはまるで謎かけを思わせる、不思議な一文が書かれていた。


『城の頂で太陽を掲げよ』


 どんなペンで書いたのか、それは金色に輝いている。

 だが獏の目はその下に描かれたもう一つの文に目が吸い寄せられ、その金色の文について思考を割く余裕はなくなっていた。


 金色の文とはまるで違う、殴り書いた雑な一文。

 真っ黒なインクで綴られていたのは、目を疑う内容だった。


『時計が44の死を刻んだ時、現実でも同じように死を迎える。これはただの夢じゃない』


 誰かから送られた警告のような言葉。

 何度も何度も繰り返し読み、漸く獏は一言だけ言葉を発する。


「は?」


 今見ている物を疑う、理解からは程遠い言葉を。



◆ ◆ ◆



 まず大前提の話をしよう。

 "これは夢だ"。

 決まって最後は死で終わる悪夢。もう見たくないと思って早三日、毎晩同じ夢を見続けている。

 その夢の中で拾った手帳。仏の傍に落ちていたバックの中に入っていた事を考えると、まず間違いなくこの仏の所有物なのだろう。


 ともかく手帳には二つの文が綴られていた。

 片方はいい、この際無視だ。さっぱり意味が分からないのだから仕方が無い。

 だがもう片方は、少々見過ごせない事が書いてある。


「ただの夢じゃない? 現実でも死を迎える……なんだこれ。時計が四十四の死を刻んだ時……時計?」


 時計と言われて思い浮かぶのは、イラつきに任せて投げ捨てたあの時計。

 とっくに雪に埋もれてしまっているだろう。探すのは簡単じゃない。


 ふと視線を傍で横たわる仏にやった。獏と同じ格好をした遺体の傍に跪いて、試しに懐をそっと弄る。

 やはりあった、古びた懐中時計。剣は見当たらないが、きっとそこら辺に埋もれているのだろう。格好だけでなく持ち物まで同じ。このバックの方は獏はもっていなかったのだが。


 汚れを指で擦って時計を確認してみると、針は四時四十四分を指して固まっていた。

 投げる前に見た自分の時計は、そう言われれば確かに四時少し過ぎ……四時二分辺りを指していた気がする。


「ああ、四十四の死を刻むってそういう……」


 成程ねと言いたげに小さく頷く。


 成程、良く出来た夢だ、と。


「馬鹿じゃねーの」


 なにがただの夢じゃない、だ。思わず悪態を零す。誰に向けた罵倒かは自分でもはっきりとしない。こんな夢を見ている自分に対してだろうか? ともかく彼は心底呆れていた。

 四十四の死を刻んだ時……、つまりあと四十二回この夢の中で死ねば現実でも死ぬという訳だ。

 獏は乾いた声で笑う。


「本当に変な夢だな、おい。何だよそれ、夢での死が現実にも影響するとか、そんな……。……そんな事、あってたまるかよ」

 

 あってはならないのだ。そんな馬鹿げた話は。


「死因、悪夢で四十四回死んだからってか? ふざけんな、そんなんで死んでたまるかッ!」


 力任せに手帳を足元に投げ捨てた。

 何がこんなにイラつかせるのか獏には分からない。――――いや、分かりたくない。


 少しだけ荒れた息を深呼吸で落ち着かせる。怒るという事は中々に体力を削る。

 1、2、3、……数を数えて深呼吸。落ち着き始めた心音を乱す、低い唸り声が聞こえてきたのはそんな時だった。


「グルるるるるるゥ」

「――――ッ」


 息を飲んで弾かれた様に視線をやる。

 雪のカーテンの向こう側に何かいる。

 『何か』の正体を獏は知っている。


(なんでッ……)


 移動してここまで来たのだろうが、一体どうしてこの場所に? 橋はそれなりの広さがある。加えてこの吹雪だ、相当に運が悪くないとピンポイントでかち合うなんて事が――。


(あ)


 ふと、気付いた。あの瓶だ。巨大な音と、衝撃と、炎を振りまいた。あれだけ派手な音だ、化物にも届いていたのだろう。

 だから来た、この場所まで。

 

 余りに迂闊過ぎた過去の自分を殴れるものなら殴りたい。舌打ち一つ零す事すら、緊迫した状況が許さない。


「……」


 じっと視線を送る。息を止めて動きも止めて、ただ気づかれない事を祈る。

 そのまま獏には気づかずに、どこか遠くへ行ってくれれば良かった。だが化物は一歩を踏み出し、吹雪の向こう側から鼻先が覗いた瞬間、獏は踵を返して走り出す。


「グゥルルルァアア!」

「来んじゃねーよ、ばぁぁぁああか!」


 背中を追いすがる咆哮に全力で罵倒を返す。人なんて簡単に喰い殺せそうな、実際に爪の一振りで人を殺す事が出来る化け物への対抗手段何て持ち合わせていない。爆炎瓶を手元に置いておけば良かったと今更後悔する。


「ハッ、ハッ、ハァッ!」


 全く滑らず地面を捉えるブーツが非常に頼もしい。前へ前へと足を送り出しての全力疾走。

 息を切らして走りながら、獏は必死に頭を巡らせる。


 今現在獏の身には二つの脅威が迫っている。一つは背後から迫りくる巨大な獣。何時まで逃げ続けれるかは分からないが、追い付かれれば死ぬ。

 もう一つは今走っている道が、途中で途切れているという事。獣に追われるまま、反対側に走り出したせいでこのまま行けば待っているのは昨晩の悪夢の繰り返し。


(このままじゃ、また……ッ)


 決して手帳に書かれた文面を信じた訳では無い。それとは全く関係なく、死にたくないと思うのは何も可笑しな事ではない。

 死ぬのは痛いし、怖いし、辛いのだ。もう死ぬのは御免だ。それが例え夢の中であっても。いや、現実で死んだ事が無い以上、この夢だからこそ死にたくないの方が正しいだろう。


 この悪夢で死ねば、激痛を伴う。

 あの心臓が凍り付く感覚を味わうのはもう嫌だ。


(もう直ぐ終わりが来る……クソッ! 多少強引でもここは方向転換しないとッ)


 既に獏は冷静ではなかったのは間違いない。おかしな手帳を拾って、血に飢えた化物に追われ、冷静で要られる筈も無い。

 このまま真っすぐ走っては駄目だという思いと、背後から化け物に追われ全力疾走で走っている今方向転換できる余裕なんてないという思い。


 相反する感情がぶつかり合い、獏の動きが一瞬乱れた。

 それはこの状況において致命的な乱れ。


「あ」


 思わず声が零れる。必死に動かしていた足が焦りから縺れ、次の一歩が出なかった。

 視界がガクンッと下を向き、積もった真っ白な雪が迫る。

 一度二度と衝撃が全身を打ち付け、三度目の衝撃が来る事は無かった。 


 代わりに全身を襲うのは、奇妙な浮遊感。


 世界がスローモーションになったように思えた。

 吹雪のカーテンの向こう側からこちらを睨む真っ赤に濡れた双眸と視線が交わる。 


 鮮血よりも鮮やかな赤色は、血肉を味わえなかった事に腹を立てている様な残酷な怒りに歪んでいた。


「いやだ……」


 手を伸ばす。何もない、何一つ伸ばした手は届かない。


「ざッけんなァッ!」


 そして、獏は。

 落ちて、ひしゃげて、潰れて、死んだ。

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