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安楽椅子から立ち上がれ!!  作者: May Packman
6/6

エピローグ 答え合わせ

 予想通り。最近、体育の授業に熱が入り始めた。

 プールの授業が開始されたからである。

 不思議なことに、空も五月雨を落とすのを減らしたのだ。体育の授業は中止になることはなく、練習は捗る一方である。

 学校側の協力体制にも目を見張るものがあった。昼休み時間はプールを自由開放としたのだ(放課後は水泳部の練習があるので無理なのである)。

 これで生徒たちの勢いは一気に増した。俺などもプールサイドに二、三度顔を出してみた。まだ水温も低い中、懸命に泳ぐ同級生の姿が見えた。再びその熱に当てられ、とりあえず平泳ぎで一往復したりしたのだった。

 梅雨空の下、こうしてプールの熱は保たれていくのだと身を以って感じた。

 少し前に物騒な事件が起こり、水泳大会開催が危ぶまれた時期もあったが、ことは解決を見せたのだ。無事、例年通り行われることとなった。

 ほとんどの生徒はあの事件がどのように収束したのか、分かっていないようである。

 大々的な発表もなかったのだ。無理もない。

 しかし今となっては、彼らはそんなことにあまり興味がないらしい。目の前の競泳の記録に夢中になっている。大会まであと約二週間なのだ。

 喉元過ぎればなんとやらである。まあ、良かったと言えるだろう。たぶん。


 放課後になったので携帯電話の電源を入れてみた。メールが二通来ていた。

 一通目にはタイトルがついていた。『調子はどうだい』。

 ああ、あいつからだなと当たりはすぐに付いた。送信者は二通とも同じであった。もちろん真である。

『二週間の休みをもらったかと思えば気は楽になるね。こっちは大いに身体を休ませてもらっているよ。どうせそっちは水泳の練習だろう?』

 そのすぐ五分後に、

『広瀬正の全集買ったよ! 面白い! 平成のニッキイ・ウェルト先輩も昭和の文学を読んでみるといいよ!!』

 この二通目が来ていた。

 こいつは謹慎の意味を分かっているのか。真らしいといえばそうだが、どうにも嬉しそうなのである。

それは人並みに罰を与えられたからなのだろうか、と邪推してみる。

『ニッキイはいつの時代の人だったか』とだけ返信した。

 すぐに携帯は音を立てた。よほど暇とみえる。

『ふん。かまととぶったね。しっかり知っているじゃないか。小説は読まないって言っていたくせに』

『あまり、と言っただろう。お前の早合点だよ』

 毎回勝ち逃げされるわけにはいかない。そうは問屋が卸さないのだ。有名作ぐらいいくつか読んだことはある。これでマイナス・ゼロといったところか。

 

 真が担任教諭に、自分が事件の首謀者だと白状したのが二週間前のことである。その三日後から奴は停学処分になったわけだから、そろそろ復帰する頃だろう。思いの外、あっという間であった。

 この複雑な事件をどこからどう説明したかは知らないが、「すべて事実を話してきたよ」と俺に言ってきたのだから、上手くやったのだろう。迷惑を掛けたね、と頭を下げられたとき、真が少し変わったように思えた。

 その後、しっかり停学となっているところを考えると、本質のところはやはり誤魔化さなかったということだ。

 再び携帯ががなり立てたが、今回は開かなかった。行くところがあるのだ。

 教室を出て、歩を進めていると前回のことを思い出した。廊下に響く、相変わらずの女性にしては力のある声のせいである。いつぞや五組の担任教諭には大きなヒントを頂いた。手を合わせておこう。

 このクラスは毎日ホームルームが長いのだろうか。なかなか声が止まない。二度目の忠犬のざまである。

 ――それよりも、さて、顔を合わせるのは久々である。

 だが、話には困らないだろう。

 ここ数週間の話をしよう。俺の話を聞いたら彼女は驚くかもしれない。もしくは間違いを正されるかもしれない。そしてきっと、まだ知らない話を教えてもらえるに違いない。心は小さく踊る。

 場所はあそこがいい。あのカフェがいい。

 彼女はデカフェを知っているだろうか。知らなかったら得意気に教えてやるのだ。

 大きな声が途切れた。ほぼ同時に生徒が勢いよく飛び出す。廊下の端に寄って彼らをかわした。

 出入りがおさまった頃、大きく一歩を踏み出した。

 ひょいと、上半身だけ乗り出して教室を覗く。用意されていたように目に映る。

 窓際の席で静かに座っている女生徒の長い髪は夢のように、綺麗に揺れていた。外に顔を向けていて表情は見えない。

 彼女の眼には何が映っているのだろうか。そして、俺の眼にはいま、本物の彼女が映っているだろうか。

 まあ、良い。いまはまだ、良い。

 踏み出す足はなぜだか軽かった。

 珍しくあちらが気付いた。相変わらずの無表情である。

 彼女の目の前まで来たとき、その薄い唇が開いた。

「どうもお久しぶりね。元プロボクサー」

 自分でも、今までになき笑顔を浮かべているに違いないと思った。

「残念だが、現役なんだよなあ」

 間があった。

「そうだったわね」

 見たことのない、これほどとない、笑顔がそこにはあった。


※辰吉丈一郎(正しい漢字表記は変換できず)はボクシング元世界バンタム級王者。未だ現役を続けている伝説のボクサーである。


短編も載せております。拙作では御座いますが、宜しければご清覧下さいませ。

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