第四章 ニッキイ・ウェルトの考察
合唱コンクールが終わって、少し経ってからなので、約半年前のことになる。
北風が音を立てて滑り込み、行き交う人が揃ってコートの下に亀のように首を縮め始める。そしていよいよ街が寒気の底に沈んだ頃だった。
父親が亡くなった。
とうとうきたか。そう思えたのは、もちろん心積もりがあったからである。
そこからさらに一年遡る。父親は食欲がないだの、吐き気がするだので、検査入院をしていた。家族全員が、いったいどこで変なものを食べてきたのかと、笑っていた。余裕なものである。
笑い話でなくなったのはその四日後からである。
腫瘍マーカー、造影CT検査の結果で話があると、主治医から家族に呼び出しがかかったのだ。この段階でただ事ではないと中学生の自分でも分かった。
集められた診察室に父親はいなかった。それも何を意味するのか、すぐに分かることになる。
病名は胆管がん。そしてあらゆる臓器に多発転移していると知らされた。まだ若い、眼鏡の男性の医者はなにやら専門用語を用いながらも、子どもの俺に気を遣ってか、くだけた言葉で説明してくれたように思う。しかし、良くは覚えていない。
覚えているのは《手術は無意味》、《余命は約一年》。
衝撃的だった。フィクションだと思った。初めてめまいというものを味わった。言葉ではとても言い表せないような、とてつもない《何か》で体の中が満ちていくようだった。
診察室を出て近くの長椅子に、無意識にペタンと座り込んだ。何をするわけでもない。ただ座って時間を無為に過ごしていた。夢と現が入り混じったようで、身体が浮き上がりそうだった。
こんな、――こんな漫画やドラマのようなことが、自分の身に起こるなんて信じられなかった。
でも、巨大なハンマーで頭をぶん殴られ、《信じたくない》、を《認めろ》と、強制されるようだった。こんな酷い話があるか。現実は無理矢理に書き換えられた。
その日、その瞬間から、父はこの世のものではなくなったような気さえした。それでも、事実を客観視できていることに気付いたとき、自分自身が恐ろしく思えたものである。
闘病生活は、長いようで短いものだったが、辛いものだった。
餅は餅屋という。医者というのはすごい人だ。
父親は宣告から一年と十二日後に、死んだ。最後の最期まで、自分が癌だと知ることはなかった。
覚悟はあったものの、悲しみはとめどなかった。でもやらなくてはいけないこともある。故人を葬る。葬式である。喪主は長男である自分がやることとなった。一般的に妻である母親が務めることが多いようだが、どうやら父のたっての希望らしい。生前にそういうやりとりがあったことを思うと、目頭が熱くなる。
恐らく、お世辞にも立派な立ち居振る舞いと言えないものだったと思うが、なんとか大役を果たした。この時点で現実との乖離がほとんどなくなっていた。父はこの世から去り、もう戻らない。はっきりと心と体で理解した。有り難いやら、寂しいやらである。
かくして父の死は、ひっそりと胸の内にしまわれ、大切に鍵がかけられた。それでこそ前が向ける。父親からもらったこの時計を身に着けて、俺は新たに時を刻んでいけるのだ。いつまでも立ち止まっていてはいけない。
だが、そう思っていたのはどうやら自分だけだったようだ。
忌引きが明けて、学校で久々に友人と会った。クラスの皆と、特に仲の良かった友人は通夜にも顔を出してくれていた。こちらの手が空かなくて話すことはできなかったが、不慣れな場である。あのときは顔を見ただけで安心したものだ。
改めて礼を言う機会だと思った。しかし、様子がおかしい。
どうもよそよそしい。不自然なのである。交わす言葉すべて歯切れが悪く、上辺だけのように感じた。
あれだけ笑顔で話してくれていた友人たちが、よそ行きのように口の端を上げている。逆にこちらが笑うと、哀れな目を向けられた。初め、その意味が分からなかった。
人は信じたいものを信じる。誰も心の深遠に踏み入ろうとは考えない。
そう感じ取るのに時間はかからなかった。
山田島辰吉は父親を亡くした。とても不幸で可哀想な人間だ。自分たちとは違う。普通の人と同じ扱いをしてはいけない。彼は決して消し去ることのできない傷を心に負ってしまった。触れてはいけない。――私たちには分かり得ないことなのだから。
事情を知るものは例外なく同情の目を向けた。腫物に触れるような扱いはいつしか常になっていた。教師は全員あからさまに気を遣い、見え透いた偽の優しさを与えられるようになった。そして、少しずつ、友人は離れていった。それを引き止めることなど、できようがなかった。
こうして、山田島辰吉は特別になった。
※※※
《じあめ》という言葉があるらしい。
授業中、国語教諭が突然口走ったのだ。
「しとしとと,何時間にもわたって降り続く雨を《じあめ》と言うんです」
初老の男性教諭は窓の外を眺め、初孫を見守るように目を細める。
朝から降り続いている弱い雨であった。こちらとしては鬱陶しい限りである。六月九日はもう立派な梅雨と呼べる、そんな日なのだ。
目を閉じて、
「柔らかくて優しい音がしますね。心が落ち着く。にわか雨のような傲慢さがない。上品な女性のようだ」
感じ方は人それぞれである。雨を女性に例えるあたりの感覚はこの人特有のものだろう。そこにいやらしさのようなものはなかったため、不快な感じはしない。
うっとりした表情を浮かべたまま背を向け、黒板に白い文字を引く。
《地雨》。
一瞬腑に落ちなかったのは、自分の中で勝手に《じあめ》を《時雨》と変換していたからである。しかし、これは《しぐれ》。意味が全く違う。
不思議なもので、文字を見るまで全く疑いもしなかった。いい加減なものである。思い込みというのは気付かない分、恐ろしい。
かくして放課後、地雨を傘に受けながら学校を後にした。さらさらとした、まるで霧のような雨である。
確かに、心が落ち着く優しい音色だ。音なき音が波形を彩り、色なき色が色相を奏でるのだ。手に落ちてくる微かな振動すらも心地良い。
真っ直ぐ進む足に一定のリズムが加わる。水と戯れる靴もどことなく踊るようである。目的地に着いたとき、安らぎのようなもので心が満ちていた。
一人でここに来るのは初めてである。エイティーズカフェ。
思えば半年以上前は友人とよく来ていたのだ。それも、めっきりなくなってしまった。女の子と二人で来た前回は例外中の例外である。
傘を閉じて扉を開けようとしたとき、脇の黒ボードを覗き込んだ。
『曇り時々カフェ』
くだらない。だがこのくだらなさが良い。同じように、くだらないことに思考を巡らすつもりでいる自分を、少しでも慰めることができるというものだ。
扉のすぐ横にあるモスグリーンの傘立てに気付いて右手のものを収める。ようやく扉を開く。
「いらっしゃいませ」
あの香りと共に、落ち着いたマスターの声がした。品よく伸びた口髭が唇の形に沿って上がる。
「お好きな席に、どうぞ」
大きく息を吸い込んでまずは鼻で楽しんだ。コーヒーは苦いのに、なぜ香りはこんなに甘く感じるのだろう。世の中は不思議なことだらけである。
そして足は向かう。あのときと同じ席である。
またもや客はいない。週末の夕刻だが、カフェには関係ないのだろうか。
客が自分だけならばカウンターでは息が詰まるし、大通りに面した席で通行人にジロジロとみられるのも気持ちの良いものではない。なにより、あのときと同じ席に着かなくてはいけない気がした。
例のポスターの気配を感じながら腰を下ろす。同時に店主が現れた。どうぞ、と水とおしぼりを丁寧に置く。メニューを手渡す際に、
「おや」
珍しく高い声を上げる。
「今日は、あの御嬢さんは一緒じゃないのですか」
「ああ、ええ」
覚えていたのかと身構える。
「そうですか。それは少し残念です」
言葉通りに凛々しい眉をハの字に下げて戻って行った。
受け取り方によっては失礼な発言にも思える。僕だけでは不服ですか、といった具合である。しかし、髭マスターは単純にがっかりしたのだろう。前回は意気投合の末、素敵な笑顔を見せていた。ここは俺が意味を汲み取るべきだ。
彼女もこの《エイティーズカフェ》を気に入ったようだった。再び共に来店することはあるだろうか。きっとないだろう。オムライスを頬張る小沢さんが懐かしく思える。
そこで、ふと記憶がおかしな回路を辿り始める。
あの日、彼女と様々な話をした。重大な話だった。しかし、それ以外にも、彼女は色々と言っていなかったか。鍵はそこにあるかもしれない。
メニューを開いているのはポーズである。おススメのブレンドにも、こだわりのドリップ方法にも目は移らない。思考は時を遡っている。
なぜ思い出そうとしているのかと言えば、これこそが自分を顧みる行為に他ならないからである。
昨日真が言っていたことは、全て当たっていた。
《特別な》俺が他人に押し付けていたもの。理解である。
それはそっくりそのまま自らに返ってきていた。小沢さんを理解していなかったことは、即ち、俺が彼女の心の深遠に立ち入ろうと思いもしなかったということである。
結局同じだったのだ。俺自身も、自分を理解してくれないと思っていた彼らと。そんな奴がどうして不満に思えるだろう。今の境遇を嘆くことができるだろう。
どこかで、――きっとどこかで自分と小沢さんを重ねていたのだ。そして、自分も人に理解されたいと、そう思っていたんだ。
故に甘えていた。彼女の心の扉を前に踵を返していたのだ。意識的、無意識的、どちらでも同じことである。個人の解釈を疑いもせずに、彼女自身に言われるまで、手放さなかった。
俺と小沢さんは違う。彼女は自分と向き合っている。特別がべっとりと背後にあったとしても、それを 背負う覚悟ができているのだ。俺はどうだ。自身を守ることに必死で、正しい自分を曖昧にしていたのではないか。傷つきたくない、という恐怖故に。理解に固執しているくせに、である。
ならば、やらなければいけないことがある。すべては一から。ひとつずつである。
彼女の正しさを、辿って行く。深遠に踏み入る。
これは間違いなく、自分のためでもある。他者を非難するためでなく、自分を肯定するための。そして背負う。その覚悟を決心するためである。
そのためにここに来たのだ。邪魔は入らない。
伏せていた目を上げ、横を見る。映画のポスターがある。
「ご注文はお決まりですか」
低い声は思わず聞き逃してしまいそうだった。壁に顔を向けたまま、寝ぼけたような声を出してしまう。
「これは」
「は」
「これは、なんという映画ですか」
店主が笑顔になったのが見ずとも分かった。書いてありますよ、などと野暮なことは言わない。映画の名を嬉しそうに言ってくれた。俺は無意識に頷く。
「聞いたことだけならあります」
「無理もありません。お兄さんは産まれていないでしょうね。八十五年の映画です」
八十五年。産まれる十年以上も前になる。それでも名を聞いたことがあるというのは、名作だという証拠であろう。そこで、はっとした。思わず、店主の顔を見る。余裕で柔らかい笑顔に訊いてみる。
「じゃあ、あれも相当昔の映画ですか」
指差した方を見て、目の下の皺を深くする。
「ええ、八十四年のものです。可愛いキャラクターでしょう。しかし、油断してはいけません。ルールを破ると恐ろしいことになりますよ」
「では、あれも」
「はい。同じく八十四年です。夜な夜なうちの店に出る幽霊も、彼らにバスターしてもらおうと思っておりますよ。いえ、もちろん冗談ですがね」
声を出して笑っている。俺はと言うと、恥ずかしながら目から鱗である。
「ということは、この店は……」
「お気付きになられましたか。嬉しい限りですよ。誰かに気付いてもらえるというのは、これ以上のない至福です」
とびきりの笑顔である。おかしな回路を辿っていた記憶も一つの言葉へと行き着いた。
『言葉には全て意味があると、まあそういうことよ』
あのとき、彼女は気付いていたのか。
それにすら気が付かない俺は、穴にでも入るべきであろうか。
なんのことはない。
エイティーズカフェは八十年代をモチーフにしたカフェだったのである。映画のポスターで気付かなくても、名前から予想はできただろうに。まったく自分の思慮の浅さにうんざりする。少し考えれば分かったはずである。
知ってしまえば、見方も変わっていく。
流れる小さめのBGMも、置かれている本も、その時代のものなのだと予想できる。あの日、小沢さんが食べていたオムライスに書かれていた文字。NO FATE。会計時のマスターとのやりとり、あれも全て関係があるのだろう。
ポカンと口を開けていた自分を想像して、顔を覆いたくなる。そして覆った。誰にも見られたくないからする、誰にも見られていないからできる矛盾の所業である。
雨音と店内の音楽が綺麗に混ざって、新時代のメロディーのように耳に入ってくる。
窓の外は、通りを抜けて広がる空が、白と多めの灰色の絵の具を混ぜて、刷毛で塗ったようなものである。雨粒は粉々に砕かれて落ちてくる。今日は傘が手放せない。
そういえば、少し前に真と小沢さんの傘の話になったことがある。図書館での一件だ。あのときは、《小沢さんの傘はどこだ》と考えを巡らせた。決して大層なものではなかった。
結局は、図書館の傘立てに忘れた、と所在を落ち着かせたのだ。
記憶は無意識に繋がっていくものである。勢いよくビリヤードの玉が打ち出され、高い音を響かせながら、綺麗に三角の形にまとまった玉たちを散らす。その中のひとつがスポンとポケットに入り込んだ。
覆った顔を上げたとき、回路が開けた。まるで雲間から光が差し込んだようだった。
《傘》、である。
小沢さんとこの店に来た日。あの日も雨が降っていた。天気予報を見ない俺は彼女の傘に入れてもらい、ここまで来たのだ。可愛らしいピンクのそれから、丁寧に水滴を払い落としていた姿を思い出す。
一度浮かんだ《あの日の小沢さん》は自由に動き、正確にことを再現してくれる。目の前に浮かび上がる過去の彼女を無遠慮に眺めるのは今の俺である。
涼やかな夏服に身を包んで、ときにスカーフを揺らす。手を拭ってメニューからオムライスを選ぶ。細い腕が伸びてスプーンを掴む。
無茶な話を肴にして、オムライスに舌鼓を打つ。激論の末、訳の分からぬまま一時的に結論を出した。サイドワゴンから鞄を手に取ると徐に立ち上がる。ピンクのスカーフを再び揺らす。手でスカートを払い、そのまま両手を前で添えると正面を向き――、
……やはりである。いつのまにか顎を乗せていた手を変える。
左右の掌の汗を感じ取る。
――傘は、どこだ。
※※※
注文はアイスコーヒーにした。前回と同じである。
熱っぽい身体になってしまった。体温を下げるには冷や水である。
微かに湧いた疑念は、あっという間に脳を支配し身体に充満したのだ。とりあえずクールダウンが必要である。
にゅるりと、白い袖が伸びた。長い腕だ。
「アイスコーヒーでございます」
「あ、どうも」
手で額の汗を拭ったからであろう、
「店内は暑いですか?」
「いえ、そんなことはありません。大丈夫です」
内から放射される熱はどうしようもないのである。しかし、説明しても意味はない。
そうですかと頷くのも小さめに、マスターは盆を片手に持ち替えながら、
「当店には、デカフェというものもあるんですよ」
「は」
「デカフェです」
「でかふぇ……。なんでしょうか、それは」
聞き慣れないものである。巨大な何かなのだろうか。
「いわゆるカフェインレスのコーヒーです」
「へえ」
飲み物であったか。
「カフェインには様々な薬理作用があるんです。それを敬遠する方も多いんですよ」
ニコリ。一方、こちらは軽く顎を触り関心を示すと、苦笑いを浮かべてしまった。注文後に言われても、もうどうしようもない。それでも店主は嬉しそうに続ける。
「例えば、興奮作用とかですね」
「ああ」
それぐらいは知っているのである。
「何事にも、冷静さが不可欠ですよ。深呼吸です」
見透かされているのか、と思った。考えすぎであろう。
再び小さく頷いて、穏やかな笑顔を浮かべ店主は去って行った。見えなくなるまで白いワイシャツの背中を眺めていた。
ストローをグラスに差し込んで、一息吸い込む。口の中で少し弄んで飲み込んだ。冷静さ、の言葉と共に。
そして大きく息を吐いた。しきり直しである。さてと、と心の中で呟いた。
――あのとき、傘の所在は格別な意味など持っていないと思っていた。しかし今、この問題はあらゆる《正しさ》に繋がる第一打になり得る。
見え方が変わったからである。
分厚い灰色の雲から抜け出た黄色の光線が、踏み込んだ足を照らしたのだ。では進むしかないではないか。前が少しでも見えるのなら不安がることはない。その先が正しいのかどうか、自分で考える必要がある。
苦みをもう一口含み、ゆっくりと飲み下す。喉を通り胃に落ちていく感覚が、閃きがひとつの考えに昇華されていくのと似ている。腕を組んでみた。
傘の所在は実は思案することもない。手に持っていなかったのだ。ここに来た小沢さんは傘立てに置いたのだろう。そう、置いたのだ。今日の俺と同じように。
問題などありもしないように思える。
あるとすれば、あの図書館の日である。
あの日も、彼女は傘を手に持っていなかった。しかし、彼女は濡れていなかった。仮に折りたたみの傘を使用していたとしても、使用直後に濡れたそれを鞄なんぞにしまうとは思えない。やはり、図書館の傘立てに置いてあったのは間違いない。
――では、傘はどこにあったのだ。
決してふざけている訳ではない。彼女の言う、《傘》はどこにあったのだ。
思い出してみろ。もう一度。彼女はなんと言っていたのか。あのとき、俺になんと言い残して行ってしまったのか。
腕に力が入り、瞑目する。自分が冷静であることが鼓動を通じて感じられる。
雲間を強引にこじ開け、正しさの光を浴びなくてはいけない。
――そうだ、それは確か。いや、間違いなく、
『そろそろ行くわ。傘を置き忘れてきてしまったし』
目を開ける。幻の彼女はもういなくなってしまっていた。もう必要ないでしょ、と言わんばかりである。考えろ、言葉の意味を。
腕を解く。苦笑いともつかぬ、緩む口元を感じ取った。しかし、心は笑ってなどいなかった。考えが確信に変わりつつあるのだ。ゾクリとする。
――おかしいではないか。
足が前に進むのを確かに感じながら、思考も進める。
突かれたボールは先にあるボールを弾く。第一打より繋がって、繋がって、ずっと続いていく。この感覚は気持ちの良いものでもあり、同時に一種の恐怖であった。
今まで見えていなかったものが、突如として眼前に現れるのだ。それらが手を繋ぎ遊戯を踊るように、ゆらゆらと近寄って来る。そして訊いてくる。
見えているのね、と。
さて、ここで「彼」が言っていた言葉を思い出す。
『一連の推論が理にかなったものであっても、必ずしもそれが事実とは一致しない』
これをただの文章問題にしてはいけない。人の心が複雑に入り乱れた整合性のある事実となるはずなのだ。締めの言葉は誰でもない、自分の言葉だった。
それを確かめるのが、君の正しさではないのかい。
やれやれ。まるで他人事である。
ストローの端をガジガジと噛む。行儀の悪さを反省するとともに思ったのは、人が何を考えて、何をしたのか、これを追っていくことでその人を知ることができるはずである、ということだった。
少なくとも、今はそう思いたい。そう思わなければ立ち上がれない。
コーヒーのグラスはもう空になっていた。
静かに席を立った。安楽椅子探偵ではなくなってしまうが、やはり最後は足を使わなくてはいけないのだ。
九マイルもの道を歩くのは容易じゃない、ましてや雨の中となるとなおさらだ。
口に出して呟いてみた。惜しむらくは九マイルほども距離がないことである。
いや、むしろこれは有り難く思うべきであろう。
短編も載せております。拙作では御座いますが、宜しければご清覧下さいませ。