第九十九話 冒険都市
女冒険者はその後もサインくださいサインくださいと謙虚にしつこくお願いしてきたので仕方なく、不本意ながら、しょうがなく、差し出されたペンのような魔道具を受け取る。
「それで……どこに書けば……」
「この鎧の背中のところに!」
そう言って下ろしていた髪を挙げて装備していた軽鎧の背中部分を露出させる。嘘だろ。
「本当に言ってる? そこに? 僕の名を?」
「えぇ、ここに! バシッと書いて!」
「正気かよ……」
まるでそこに書くことがこの世界の常識だとでも言うかのように、寧ろそこしか書く場所が無いと言わんばかりの態度に、僕も心がポッキリ折れた。屈んでペンを走らせ、『銀翆 上社朝霧』と全て漢字で書いてやった。どうだ読めんだろう? 小さな小さな仕返しだ。
「ありがとう……あたし、初めてあなたの話を聞いた時からファンで……っ」
書き終えると振り返った女冒険者が涙を浮かべながら僕を見る。
「さっきはきつく言ってごめんなさい。この鎧、大切にするわ」
「……ちょっとごめん、悪いんだけどこれ、書き直しって出来る?」
「えぇ、まだ出来るけど……今ならペンのこっち側で擦れば消えるわ」
「分かった。もう一回書かせて」
僕は別に自分が特別な存在だとは思ってないし、二つ名を貰ったからと言って良い気になったりはしない。これまでもそうだったように、これからもそうあり続ける。持て囃されようが、逆に非難されようが、僕は僕だ。
そんな僕のことをこんなに支持してくれる人に、嫌がらせなんて出来ないよな。まったく、僕も良い人だな。チョロインって僕のことなんじゃないか?
「……よし、綺麗に書けた」
『銀翆 アサギ=カミヤシロ』とこの世界の文字で書き直す。ちょっと斜めに書いて格好つけたが、これくらい世間様は許してくれるだろう。
「ありがとう! 大事にしなきゃ……」
「此方こそありがとう。さっきのことも、今も」
「今も?」
「いや、何でもない」
今まではダニエラのことだけを思って生きていれば良かったけど、これからは他人の目も気にしなきゃな……僕は僕だけど、僕だからこそ見る人もいるってことを気にしなきゃいけない。誠実に生きることが大事なコツだと、再認識した出来事だった。
□ □ □ □
その後、ダニエラにもサインをしてもらい女冒険者は満足そうに帰っていった。それからは遠巻きに眺めていた冒険者も絡んでくる……こともなく、遠巻きに見ながら列はじわじわと進み、漸く僕達の番になった。
「はいじゃあステータスカード確認するから出してー」
まるで職務質問かのような対応の衛兵。人が多いと一々礼儀正しくともいかないのだろうか。にしても何かチャラい。
ポケットからステータスカードを取り出し、ダニエラの分も受け取って渡す。
「あれ、そういえばマリーエルはどうするんだ?」
「私はここの住人なので大丈夫です」
首元から何かの紋章が描かれた木札を引っ張り出す。僕が首を傾げているマリーエルが門の上を指差すので、釣られて見上げると同じ紋章が描かれていた。あぁ、これがレプラントの紋章なのか。そしてそれを住人は持っていると。住民票みたいな物ね。
「……あれ? おかしいな……」
衛兵から聞きたくない声が聞こえた。
「……何かありました?」
「いや……あー! これ旧式か!」
「はい?」
衛兵がペシッと自身の額を叩いて納得する。すまんが説明してくれないとこっちは何も分からない。
「これ旧式のステータスカードだよ。どこの田舎で作ったんだい?」
「あー、ランブルセンのフィラルドです」
「私はランブルセンのロスタリカだ」
「ランブルセンか、なるほど。あっち側はシステムが違うから旧式でも通るけど、フリュゲルニアは最新の機器を置いてるからこのカードじゃ読み込めないんだよ。帝国に来る予定のある人は新式を作るんだけどね」
すると僕達は町に入れないのか? ここまで来て?
「いや、ちょっと待ってて。こういうことが前にもあったって先輩が言ってたから機器はあるはずだから。ぶっちゃけ俺、新人だからこういうの初めてなんだよね。こっちの詰所で待ってて」
門の内側の扉を指差されたので頷いてそちらへ向かう。
「そっちのお嬢ちゃんは通っていいよ。あれ、行きは二人で申請してるね……」
「あ……えっと、父が、その……盗賊に……」
「……悪いことを聞いた。君が無事で良かった」
衛兵がしゃがんでマリーエルを優しく撫でる。此方を見て『もしかしてあなた達が?』と聞くので頷くと、立ち上がり、敬礼をした。さっきまでのチャラい雰囲気はゼロだ。
「この度は我がレプラント市民の命を守ってくださりありがとうございました。この場を代表して感謝の意を」
「いえ、通りがかったので。彼女の父を救えなかったのが心残りですが……」
「元はと言えば我々の監視の目が緩かったことが原因です。これからはこのような悲劇が起きないよう、全力で務めます」
「無理のないように頑張ってください」
衛兵は礼をして門の方に戻っていった。この場には僕とダニエラ、マリーエルだけが残る。
「マリーエルとはここでお別れだな」
「私はここに住んでますから、いつでも会えますよっ」
健気に笑う少女を一人で送り出すのは心苦しいが、僕達はここで立ち往生だ。
「そうだな。また機会があれば会うこともあるさ。それまで元気でな、マリーエル」
「はいっ、ダニエラさんも!」
マリーエルに視線を合わせ、ギュッと抱き締めるダニエラ。僕も同じく抱き締めてあげると嬉しそうに笑ってくれた。
「お父さんのこと、守ってあげられなくて本当にすまなかった」
「……でもお父さんは、私のことを守ってくれたから……お父さんがいないのは、寂しいけれど……っ」
僕達と別れるということ。一人、町に帰ってきたこと。そのことをはっきり認識したのか、マリーエルは出会ってから初めて涙を流した。僕とダニエラも、貰い泣きして3人で一頻り涙を流す。
目と鼻を真っ赤にしていると、詰所の扉が開き中から衛兵が出てきて僕達の下へ近付いてきた。
「旧式のステータスカードの読み込みを待っているのは君達のことか?」
「はい……ぐずっ、ぞうでず……」
「何で泣いているんだ……」
衛兵がドン引きしているが、しょうがないだろう。悲しいんだから。
僕達とマリーエルは最後にお互いに握手して別れることになった。町に消えるマリーエルの馬車を見送ってから詰所へと入る。
「さて、ステータスカードを」
「どうぞ」
僕とダニエラのステータスカード2枚を差し出すと、ちょっと埃をかぶった機器に挿し込む。へぇ、ああやって読み取るんだな……初めて見た。
「はい、これで町に入れるよ。まずはギルドでアップデートしてもらうと良い。旧式と新式はギルドの事情での変更だから無料で変えてもらえるよ」
「分かりました。ギルドはどちらに?」
「この町で一番大きな建物がそうさ!」
窓の外を指差すと、町並みから頭2つ分程大きな建物が見えた。やっぱり冒険者の町というだけあってでかいギルドだ。
「では改めて。ようこそ、冒険都市レプラントへ!」
バッと腕を広げて歓迎してくれるのは帝国式なのだろうな……。ちょっと慣れたけどやっぱり顔が引き攣ってしまう。
長々と引き止められたが、ついに僕達はレプラントへと到着したのだった。
□ □ □ □
「なぁダニエラ」
「なんだアサギ」
「さっきの衛兵、冒険都市って言ってたよな」
「言ってたな」
「また発展してるな」
「……私も、長く生きたということだろう」
スッと目を逸らしてしみじみと呟くダニエラ。当てになるようで当てにならないな……。
「ぶっちゃけ今いくつなの?」
「アサギ、お前、女性にそういうことを聞くのか? エルフ族にそういうことを聞くのか?」
「まぁマナー違反とは言ってたけどさ。気になるし」
「基本的に『人間で言えば』、という言葉を枕詞のように使わないといけないくらい年が離れているからエルフは年齢を言うのを嫌うんだ」
まぁそうだろうな。同じように生まれた人間が50歳の時、エルフは見た目5歳とかありそう。
「で、いくつなのよダニエラちゃん」
「…………今年で300」
「300?」
「300」
「人間で言えば?」
「30くらい」
フィラルドに居た時はもうすぐ200って言ってたよな?
「鯖読んだの? あの状況で?」
「どんな状況でも若く見られたい」
「ぶっちゃけ過ぎだろ……」
いくらなんでも100は読み過ぎじゃないですかねぇ……。
ダニエラの実年齢を知って色んな意味でビックリしながら、石畳を進む。波乱に満ちた旅は鳴りを潜め、長閑で平和な新たな日常が始まる。冒険都市レプラントに期待を寄せながら、僕はダニエラと二人、まずは言われた通り冒険者ギルドへと向かった。




