第九十七話 人として、人間として
ダニエラの夕食は疲れた体に良く染み込んだ。僕が買った食材からまた違った味の料理が出て来ると思うと何だか面白いな。
「旨いな……」
「ありがとう。自分でも良く出来たと思っていたんだ。マリーエルはどうだ?」
「はい、凄く美味しいですっ」
「そうかそうか。だがアサギの料理はもっと旨いんだぞ?」
「へぇ、そうなんですか! 食べてみたいです!」
「あぁ、機会があったら作ってあげるよ」
元気に振る舞うマリーエルを見て僕も笑顔を浮かべる。一番辛いのはマリーエルのはずなのに、僕が落ち込んでいては駄目だ。マリーエルより年上なのだから、しっかりしないとな……。
すっかり鍋が空になってしまった。思っていたより皆疲れていて空腹だったのだろう。僕も3回もお代わりしてしまった。まぁ、ダニエラはその倍お代わりしていたが。
「お風呂、先に二人で入ってくれ。僕は後で良い」
「良いのか? じゃあ甘えるか。マリーエル、行くぞ」
「はいっ」
二人がパーテーションの向こうに消える。少しの衣擦れの音がして、すぐに水が跳ねる音が聞こえてきた。楽しそうな二人の声を聞きながら、さっき見た夢を思い出そうとして、やっぱり思い出せなくて。僕は所在なく焚き火を見つめる。
「すっかり参ってるな……無理もないのかもしれないが……」
赤く揺れる炎にピントが合わさらない。眉間を指でぐりぐりと解すが、どうもはっきりしなかった。近くにあった追加用の薪で火の中の薪を突きながら、今日の出来事を思い出し、考えるが一向に纏まらない。やはり僕一人では落とし所が見つからないな……。
「ふぅ……良い湯だった。アサギ、空いたぞ」
「ん……あぁ、もう出たのか。早かったな」
「そうか? 結構長いと感じたが……あんまり無理するなよ」
そっとダニエラが僕の肩に腕を回して抱き締めてくれる。ふわりと湯上がり特有の香りが鼻孔を擽る。手にしていた薪を起き、優しく壊れないように抱き返す。するとダニエラがギュッと強く抱き締める。同じようにしろということだろうか……きっとそうなんだろうと思い、抱き締めるとダニエラは嬉しそうに笑う。どうやら正解らしい。
「さ、ゆっくり入ってこい。今日の疲れを洗い流せ」
「あぁ、そうするよ。ありがとう」
「気にするな。私はお前のパートナーなんだから」
そう言って優しく頬にキスをして、すぐに離れて立ち上がる。僕もお返しがしたかったのだが……ジッとダニエラを見つめると湯上がりとはまた違った理由で染まった頬を腰を折って僕に差し出してくれた。すかさずダニエラの両頬に手を当てて此方を向かせ、唇を奪った。
「ん、ふ……」
「んっ……ぷぁ。積極的じゃないか……ビックリしたぞ」
「何でかな……こうしたかったんだ」
「ふふ、アサギがしたければそうして良い。アサギが求めるなら私は何でも差し出す準備は出来ているんだ」
「そっか……ありがとう、ダニエラ。ずっと一緒に居てくれ」
「あぁ、ずっと一緒だ。さぁ、早く入ってこい」
「ん、分かった」
よっこらしょ、と立ち上がり、即席の風呂へ向かおうとパーテーションの方を見ると、顔を真赤にしたマリーエルと目が合った。
「あっ」
すぐにマリーエルが引っ込む。が、布に姿が丸見えだ。
「マリーエル。こっちにおいで」
「う……はい……」
赤い顔を俯けたままマリーエルがトテトテと歩み寄ってくる。湯上がりで綺麗になった髪をそっと撫でながら僕は優しく言う。
「マリーエル。今日は怖かったな……」
「はい……」
「きっと忘れられないことになると思う」
「かもしれません……」
「だけど、今日という日を忘れないで欲しい。僕とダニエラが、君を救った日だ。君が、救われた日だ。これからの人生を続けられる切っ掛けになった日だ。悲しいことも、辛いことも、全部を君の糧として強く、生きてくれ」
「はい……はいっ」
顔を上げたマリーエルの目尻に溜まった涙をそっと拭う。そっとダニエラの方に押してやる。ダニエラがマリーエルを抱き締め、抱き上げながらテントの方へ向かうのを見届けてから、僕はゆっくり風呂の入ることにした。
少し減った湯船の湯を水魔法で継ぎ足し、火魔法で温める。休んで多少回復した魔力はこれでまた消えた。しかしこれでじっくり温かい湯に浸かれる。いざとなれば魔法なしでも戦える。しかし、その時は服を着る時間が欲しいなぁ。
体に付いた血を流し、湯に浸かり、逆上せない程度に温まって風呂から上がった頃にはダニエラもマリーエルもすっかり眠っていた。パチパチと爆ぜる焚き火だけが音を立てて揺らめいている。
空には満天の星。夜勤をしていた頃は割と都会だったから夜空を見上げても星なんて見えやしなかった。今にもこぼれ落ちてきそうな星をずっと見上げているとだんだん首が痛くなってきたので解しながら顔を下ろして、焚き火の傍に腰も下ろす。
念の為、気配感知を周囲に広げる。ブラッドエイプ戦を経て、精密さが増した感知能力だが、引っ掛かる気配は何もなかった。上空に伸ばしても結果は同じだった。まぁ、平和なのが一番だ。
結局その日の夜は何事もなく起きてきたダニエラと交代して朝まで眠った。今度は夢を見ることもなく、泥のように眠った。
起きた時、すっかり色々な物が抜け落ちたかのように頭の中がすっきりしていた。色々な物事がクリアに見えた。
平原を照らす朝日や、風に流れる雲。揺れる草花、澄んだ空気。
これが、生きているということなのだろうか。死闘を迎えた次の日の、戦いを制した者だけが迎えられる朝なのだろうか。
この時、僕は初めて生きていることに感謝した。あの日、強盗に刺されて意識を失い、この世界に降り立った日よりも明確に、心の底から、生きていて良かったと。
深呼吸をして、新鮮な空気で肺を満たし、そして吐き出す。冷たい空気が気道を通る感触がこそばゆかった。
テントの中から鎧の魔剣を取り出し、やったことのない剣道の素振りをしてみる。真っ直ぐ、振り下ろすだけだ。しかし驚くほどに体は軽く、剣を振る腕には何の負担もなかった。鎧の魔剣は結構重かったはずだが、振れば空気を裂く音がし、止めれば揺れること無くピタリと止まる。
これは、何だろうと考える。が、明確な答えは出てこない。だが、一つ思う所がある。
きっと、僕は経験を積んだのだ。レベルが上がるステータス上の経験値ではなく、人としての経験値。人間として成長したのだろう。
良いことも悪いことも全部この身に取り込み、楽しかったことや悲しかったことを思い出してはこの身に刻み。人はそうして成長していくんじゃないだろうか。
そしてそれが、僕に当てはまった。そういうことなんだろう。確信はないが。
「アサギ、朝食が出来たぞ」
「あぁ、今行く」
ダニエラが呼んでいる。僕は剣を鞘に戻し、ダニエラの、二人の元へ向かった。ふと振り返ると、昇りきった朝日が眩しく僕を照らしていた。前へ向き直り、伸びる影を見ながらゆっくりと歩き出す。きっと、今日の朝食も旨いことだろう。食べられることに感謝したい。
昨日やったことの記憶は消えてはくれないが、受け入れる準備はやっぱり出来ている。あの時は第三者の認証が欲しかった。が、今なら……今の僕なら、必要はないのかもしれない。人を殺したことへの罪悪感も、人を生かした達成感も、死んだ盗賊への哀れみも、マリーエルへの感謝も、全てを僕は受け止めて、糧とすることが出来る。
今日を生き、明日を生きる為に、前へ進む。隣にはきっと、ダニエラが並び立ってくれるだろう。一人じゃないことの安心感が、僕を優しく包んでくれる。
「あぁ、生きてて良かったな……」
自然に溢れた声は、誰に聞こえることなく抜けるような青空へと消えていった。




