第九十四話 ダニエラの失敗、森のその先
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」
大剣を地面に突き刺し、それを支えにして漸く立っていた。酷く体が重い。
ブラッドエイプの奇襲から3時間が経った。僕達の周りには約50のブラッドエイプの死体が転がっている。ダニエラめ、何があと10体はいると思えだ……5倍来たぞ……。お陰様で満身創痍だ。腕がプルプルと震えている。
「あー……まぁ、偶にはこういうこともあるよな」
「……偶にであって欲しい……」
精神的にはまだ大丈夫だと言えなくもないが、身体的にはきっついな……今寝たら朝までぐっすりなのはまず間違いない。
しかし嫌なことばかりでもない。戦闘の途中で気付いたのだが、気配感知の精度がかなり上がったみたいだ。隠れているブラッドエイプの反応を察知出来たり、とりあえずは奇襲に対応出来るようになった。これは恐らく、奴等の持つ『気配遮断』スキルより熟練度が上がったということだろう。数値として確認出来れば確信が持てるんだがな……。ステータスカードには所持しているスキルしか表示されない。ステータスが数値で表示出来ているのだからスキルレベルも表示してくれたらな……。
「なぁダニエラ」
「なんだアサギ」
「戦闘中、ずっと疑問に思ってたんだが……結界の魔道具は何で効果がなかったんだ?」
結界の魔道具があれば魔物に襲われないと、そう言ったのはダニエラだった。ような気がする。
「いや、そんなことは言ってない」
「あれ? そうだっけ? でも結界……」
「結界は私達の気配を薄くして周囲に同化させるのであって、魔物を寄せ付けないものじゃないぞ」
「知らんかった」
「知ってると思ってた」
結界って言うから何かこう、バリア的な物をずっと想像していた。でもそうか……ベオウルフにも奇襲されてたよな……何で奇襲される時は必ず焚き火をぶち撒けるんだ? 正直心臓に悪いからやめて欲しい。
つまり感知能力が高い魔物には見つかってしまうということか。そして、その前に此方から見つけて潰さないといけないと。しっかり覚えた。この森での結界はあまり役に立たない。
さて、そろそろ空が白んでくる頃だ。だが僕は寝てないので、ダニエラに断りを入れてテントへ潜ることにした。装備を外しながらテントに潜る。目の前には慌てて起きたのか、グシャグシャになった敷き布がある。
「まったく……」
学校に行った後の子供のぐちゃぐちゃになった布団を畳むオカンの気分でゴソゴソと綺麗にしていると、指に布が引っ掛かった。え、嘘、もしかして破れてる? 慌てて、でもそーっと手を持ち上げると布が指に引っ掛かったまま持ち上がる。あー、完全に千切れてる。出来るだけ長く使いたくて良い布にしたのに……。
「アサギ!」
と、ダニエラが僕を呼んだ。ただならぬ気配に慌てて僕は千切れた切れ端をポケットに突っ込んで装備を手にテントから這い出る。
「どうした!?」
「アサギ、えっと、悪い、テントに忘れ物をしたからちょっとここで待っててくれ」
「なんだ……脅かすなよ。また魔物かと思っただろ?」
「すまない……すぐ終わるから。ここで待っててくれ」
「あぁ、分かったよ」
まったく、お騒がせ娘め。しょうがないので僕は焚き火の前に座って揺れる火を眺める。それだけで限界な僕はうつらうつらと船を漕ぎ出のに時間は掛からなかった。
「アサギ……アサギ……」
「ん……んん、」
「おい、起きてくれ……アサギ……」
「ん、くぁ……あぁ、ダニエラか。忘れ物は見つかったのか……?」
「それが、その……」
薄っすら見ていた夢の内容を思い出しながら後ろから声を掛けてくるダニエラに振り向く。そしてその顔を見てギョッとした。真っ赤だ。焚き火の明かりの所為ではないのは一目瞭然だった。ひょっとして風邪でも引いたのか?
「おいダニエラ、顔が真っ赤だぞ。大丈夫か?」
「あ、あぁ……問題ない、問題はないのだが……」
「ないのだが……?」
「その、忘れ物が見つからなくて……」
「えっ? テントに忘れたんじゃないのか?」
「そうなんだが……」
何とも歯切れの悪いダニエラだ。珍しい。何でもズバズバ言うのが彼女らしいと思っていたのだが、こんな一面もあったとは。ちょっと可愛い。
「えっと、その、偶々見えたんだが、ポケットからはみ出してるのは……」
「あぁこれ? 敷き布の切れっ端だよ。いつの間にか千切れててさ。高かったのにと落ち込んでいたらダニエラに呼ばれて慌ててポケットに突っ込んだんだよ」
「ん……非常に、その、言い難いんだが……それは、切れ端じゃないんだ……」
「えっ?」
ダニエラの言葉に首を傾げながらポケットから切れ端じゃないものを取り出、焚き火の明かりを頼りに広げてみる。逆三角形の切れ端じゃないものは薄く、よく見て触ってみれば敷き布と同じ材質でないことが分かった。分かったと同時に、これが何かも分かった。分かってしまった。
「あー……確かに、切れ端ではないな」
「そうなんだ……切れ端じゃなくて、それは……私の下着だ……」
現代的な形状なことに色々突っ込みたくはあるが、白エルフ産なんだろうか……純白のそれは女性用の下着だった。慌てて下着をポケットにしまう僕を思い返し、ただの犯罪者だったと知り、落胆した。
「悪かった……ほら、返すよ」
「いや、良いんだ……私が忘れたんだから……」
そっとダニエラの手に下着を渡す。受け取ったダニエラはいそいそとテントの中に戻っていった。はぁぁ……どっと疲れた。今日の夜は濃すぎる。何だか頭も冴えてしまった。
冴えてしまった僕は余計なことに気付いてしまった。何故、下着を脱ぐ必要があったのか。何故、あれほどまでに敷き布がぐしゃぐしゃだったのか。
気付いてしまったのだ。我慢しているのは僕だけではないことに。
ダニエラに優しくしよう。眠いながらも僕はそう心に誓った。
□ □ □ □
ダニエラの失敗は頭の隅に保存してロックし、今日も森を歩く。範囲と精度が増した気配感知スキルで入念に四方を警戒しながら進むので、睡眠不足の体には結構辛い。少し休憩を多めにしながら森の中を進む。
「気配感知を上に伸ばすコツは、自分を見下ろすイメージだ。上から見るつもりで、上を見る感覚を掴め」
「ふむふむ……」
俯瞰で見下ろす自分を見上げるイメージか……幸いにも俯瞰というのはゲーム好きには想像しやすい。アクションゲームなんかはそういう視点が多いからな。風竜の服を来た自分を見下ろす感覚を《器用貧乏》で補助しながら気配感知を上へと伸ばす。
「んん……こう、か……?」
「上に何か居れば分かりやすいんだがな。今は何も居ないから分かり難いか」
確かに気配感知には何も引っ掛からない。そもそも何も居ないからなのか、僕の気配感知が正しく上へ伸びていないかだ。休憩中ではあるが、わざわざ木の上に登ってもらう時間はない。今日中に抜けないとまたあの酷い奇襲が始まってしまう。流石に2日連続は無理だ。絶対死ぬ。
「さ、その感覚をしっかり噛み締めながら森を抜けるぞ。大体もう2時間程で抜けるはずだ。気合い入れて歩けよ」
「おーぅ……」
睡眠不足な体に鞭を打って立ち上がらせ、右足と左足を交互に前へ出させる。それだけで前へ進むのだから便利なものだ。これが獣だったら手も使わなきゃいけない。正確には前足だが。
ブラッドエイプ以外にも魔物はいるらしく、時折感知エリアの端にゴブリンっぽいのが引っ掛かる。霧は出ていないのでミストゴブリンではない。ただのゴブリンだろう。しかしそっと避けながら進むので戦闘は無しだ。ダニエラが僕の顔を見て察してくれたらしい。夜勤明けから休み無しでハイキングに来てるようなもんだからな。鏡があればげっそりとした顔が映ることだろう。
そんな死に体の僕ではあるが、必死に歩き続けた結果、森を抜けることに成功した。まるで長くて狭いトンネルを抜けたような気持ちだ。今ならすぐに眠れそう……。
「おいアサギ、まだ寝るな! 見ろ!」
「ふぇ……?」
「呆けてる場合か! 見ろ!」
バシンバシンと背中を叩くダニエラ。その強さに障子紙のように破れそうになりながら前方を見ると、何かが横倒しになっていて、その周りを馬に乗った人間が何人か囲んでグルグル回っている。
「何の儀式だ……?」
「馬鹿! 盗賊だ!」
そう言ったダニエラは弓を取り出して矢を放った。馬に乗った男の一人の背に命中し、勢い良く馬から放り出された。あぁ、あの横倒しになっているのは幌馬車か! 漸く起こっている事態に気付いた。
「うわ、盗賊だ!?」
「だからそう言ってるだろう!?」
慌てて藍色の大剣を抜く。大剣を地面に突き立てて、邪魔になる鞘を虚ろの鞄にしまい込む。
「馬は奪えるから盗賊だけを斬れ!」
「そうは言っても人は斬ったことがない!」
「馬鹿! やらなければ殺られるぞ! あの馬車の人達もだ!」
そう言われてハッとした。ただ盗賊がいる訳じゃない。あの馬車にも乗っていた人達がいる。その人達を殺させない為に、斬るしかない。
寝惚けた頭はクリアになり、ただ、人と自分を助ける為だけに使って、《森狼の脚》を行使する。風の速さで地面を駆け抜け、ダニエラの奇襲に気付き此方を向いた盗賊へ向かう。
人を助ける為。自分を助ける為。ただそれだけを思いながら、剣を抜き、汚らしい言葉を吐きながら眼前までやってきた盗賊へ大剣を振り抜いた。




