第九十二話 さようならセンカ村
さてさて、疲労困憊ではあるが多少は眠れたのでそろそろ旅立つ準備をしよう。
まずは台所で水に浸していた鍋を綺麗に洗う。汚れはばっちり落ちていたので完璧だ。昨日のうちに下処理だけしておいて良かった。
次は自分達が使った家の中の掃除だ。昨日のスーパー大掃除で綺麗にはなっていたが、昨晩は僕達が色々汚してしまったのでその掃除をする。それもまぁ、濡れ雑巾で拭けば問題なく綺麗になった。これでオッケーかな……後は忘れ物が無いか確認したら、鍵を閉めて終了。ありがとうございました。
「ほら、行くぞダニエラ」
「あぁ、分かった」
ボーッと家を見ていたダニエラが振り返って此方に向かってくる。それを確認してから村長宅へ向かった。
昨日同様にノックをするとメリカちゃんが出てきた。無表情なのか寝起きなかは分からないが、ぽーっとした表情で僕とダニエラを見上げる。
「おはよ、メリカちゃん」
「……おはよ、あさぎおにーちゃん、だにえらおねーちゃん」
「レンゲルさんはもう起きてる?」
「……うん」
扉を開いてくれたので中に入る。居間にはレンゲルさんが居てお茶を飲んでいたので挨拶して鍵を返した。
「昨日はありがとうございました。助かりました」
「あぁ、気にせんでええ。逆に綺麗に掃除してもらって助かったくらいじゃ。ありがとうな」
「いえいえ。あ、そうだ。昨日、村の方がスープをご馳走してくれて……鍋は村長に預けてくれれば後で取りに行くとのことだったので、任せてしまってもいいですか?」
「あぁ、そこに置いといてくれればいい」
居間の隅を指差したのでそちらに運んで邪魔にならないように置く。ご馳走様でした。
「美味しかったと伝えてください」
「うむ、心得た。それでお前さんらはもう行くのかね?」
「えぇ、急ぐ旅ではないですが、時間は有効に使いたいので」
「良い心掛けじゃな。お前さんらの旅の無事を祈っておるよ。ほれ、メリカも挨拶するんじゃ」
レンゲルさんの声にメリカちゃんの方を見ると、ジッと此方を見て目を潤ませた。
「……おにーちゃん、おねーちゃん、げんきでね……」
ぐすんとしゃくり上げて顔を伏せてしまう。あぁ、別れを惜しんでくれるのか。一日、それも一緒に掃除しただけなのに。良い子だなぁ。
「あぁ、メリカも元気でな。体には気を付けて、大きくなれ」
ダニエラがゆっくりとしゃがんでメリカちゃんを抱き締めた。背中しか見えないが、声が震えているのできっとメリカちゃんと同じような顔をしているんだろう。レンゲルさんも微笑みながらその様子を眺めている。
僕も、ダニエラとメリカちゃんを抱き締めて別れの挨拶をした。
「元気でね、メリカちゃん。お爺ちゃんと一緒に仲良く暮らすんだよ」
「……うんっ」
目尻に浮かんだ涙を指先で掬ってやればこくりと頷いてくれた。きっと僕達のことを大事な思い出として心の中に残してくれるだろう。それは僕達も同じことだった。
「……おにーちゃんにね、これあげる」
「ん? わぁ、可愛いな……」
それは小さな小さな人形だった。可愛らしい動物の人形。その頭からは紐が出ていて輪っかになっていた。ストラップ人形として虚ろの鞄に付けられるな……。
「ありがとう、一生の宝物だよ」
「……そのこ、ぐみちゃんっていうの。なかよくしてあげてね?」
「あぁ、分かった。よろしくな、ぐみちゃん」
鞄の一部にぐみちゃんを取り付けて優しく撫でる。それを嬉しそうに見ていたメリカちゃんも撫でてあげた。
「じゃあ、そろそろ行きます。お世話になりました」
「あぁ、達者でな」
「メリカ、元気でな」
「バイバイ、メリカちゃん」
「……またね、おにーちゃん、おねーちゃん」
手を振って別れて、村長宅から出る。南へ向かって歩き出す。振り返ると家の前に二人で並んで手を振ってくれていた。二人で手を振り返して、門を抜ける。しばらく進んで、名残惜しく振り返ると門の傍に二人が立っていた。あぁ、これは泣いてしまいそうだ。ていうか既にダニエラは泣きながら手を振っていた。
「うぅ、ぐす……良い人達だなぁ……っ」
「泣くなよ……僕まで泣きそうになるだろぉ……」
そう言いながら、鼻の奥がツンと痛くなる。あぁ、駄目だ。上を向いて涙が溢れないようにするがどんどん景色が歪む。
やがて下り坂に入り、センカ村は完全に見えなくなった。二人してグスグスと鼻をすすりながらしばらく歩く。だんだん高原地帯から下り、やがて地面は平らになり、平原地帯へと降りてきた。平原は薄くではあるが霧に包まれていた。初めてこの世界にやってきた日を思い出すなぁ。
「なぁダニエラ」
「なんだアサギ」
「ここからどれくらい歩いたらその、えーっと……」
「レプラント」
「あぁそうそう。レプラントに着くんだ?」
「多分3日くらいだな」
「そんなもんか……」
比較的同じような間隔で村や町があるみたいだ。旅がし易い国なんだな、帝国ってのは。
霧の中を二人で歩いていると、気配感知に魔物の反応が引っ掛かった。肩に下げていた大剣を抜いて構える。
「グラスウルフかな。ちょっと違った感じだけど」
「どうだろうな……霧の時だけ出る魔物がいると聞いたことがある。もしかしたらそいつかもしれん」
「マジで? 僕、初めてこの世界に来た時思いっきり霧だらけだったわ。あっぶねぇ……」
「安心しろ。フリュゲルニア特有の魔物だ」
世の中色んな魔物がいるんだな……。と、そろそろ出くわしそうだ。とりあえず様子見と、剣を降ろして盾にする。ダニエラも細剣を抜いて僕の後ろに隠れた。
そして霧の中から現れたのは小さな人型の魔物、ゴブリンだった。しかし妙に肌が白い。霧の色にカモフラージしているのだろうか。手にはいつもの鉄製の剣が握られている。少し細身で短いので短剣といったところか。まるで暗殺者だな。
「ミストゴブリン……霧の中で襲ってくる魔物、だな」
「それ正式名称なの?」
「多分」
「そうか……ダニエラ、囲まれてる」
「あぁ、分かってる」
気配感知ではぐるりと僕達の周りを囲んでいるのがはっきりと分かる。気配感知が使えない人間ならあっという間に霧の中で襲われて死んでしまうだろう。侮れない恐ろしさがあるな……。
油断なく睨んでいると正面のミストゴブリンがスッと身を引いて霧の中に隠れる。その瞬間、真横から別のゴブリンが飛び出してきた。それをダニエラが対処し、また反対側から短剣を振り上げて襲ってきたのを大剣で弾き、返す刀で切り捨てる。ばっさりと手応えばっちり。袈裟懸けに切り捨てられたゴブリンは霧の中へ吹き飛ぶ。
「ダニエラ、此奴らの連携、馬鹿に出来ないぞ!」
「だが私達の敵ではない!」
正面と背後から同時に飛び出してきたゴブリンをダニエラと背中合わせに防いでいると目の前のゴブリンの後ろから別のゴブリンが飛び出してきた。両手が塞がっているので空中に『氷矢』を生成してゴブリンを射抜く。魔法にギョッとした目の前のゴブリンを蹴り上げて、よろめいたところを剣で貫いた。剣を抜こうと藻掻くが、為す術もなく力尽きたのを剣を振って落とす。ダニエラも風魔法を使ったようでしっかり対処していた。
「……これで全部、か」
「なかなかの手練だったな……」
剣を一振りして血を払ったダニエラが細剣を鞘に戻す。僕は剣がでかいのでそんな格好良い真似が出来ない。仕方なく剣に藍色の魔力を流して水を生んで洗い落とす。中々の水量と勢いだったので綺麗になったので、鞘に戻して肩に掛けた。
「ふぅ……怖かったな。早く抜けよう。また襲ってきたら結構足止めされる」
「まぁ待て。討伐証明は取っていかないと」
「あ、そうだ。僕も此奴らの武器で小遣い稼ぎしないと」
せっせと二人でしゃがんで必要なものを回収する。討伐証明については見当もつかなかったので手と耳を回収した。剣は全部で6本。討伐証明もそれぞれ6体分。剣は割と状態の良い物ばかりだった。どこで拾ったのかは……あまり考えたくないな。
その後も何度か襲われたが、問題なく処理した。どんどん僕の小遣いが増えていくのを数えているといつの間にか霧を抜けていた。やはり周りは平原で、遠くに森が見えた。あの森を抜けた先にレプラントはあるらしい。その日は森の手前で野営をして翌日、眼前に広がる森へと突入した。