第九十話 いなかちほー
焚き火の明かりが辺りを照らす。爆ぜる薪の音が耳に心地いい。ゆらゆらと揺れる火を見つめながらも、油断なく気配感知を広げる。しかし辺りには何の反応もなく、してはいけないと思いつつも油断から欠伸をしてしまい、一人で苦笑する。
ダニエラはテントで就寝中だ。現在の時刻はおよそ深夜3時半くらいか。後半の見張りを引き継いだ僕は火を絶やさないように適度に薪を継ぎ足しながら、暇なので朝のスープ用に猪の骨を煮る。灰汁を匙で掬って捨てながら夜空に浮かぶ2つの月を眺める。仕組みは分からないが、今夜は3つではないらしい。
そんな月も西の空に傾いていく頃、東側が薄っすらと明るくなってくる。夜明けが近い。結局この時間まで魔物が近くを通りかかることはなかった。動物1匹来やしない。平和で静かな夜だった。
朝日が顔を出したらダニエラを起こす。テントの中を覗くと毛布に包まったダニエラがすやすやと眠っている。その可愛らしい寝顔を、主に頬を指で突きながら夢の世界から連れ戻す。
「ダニエラ、朝だよ」
「すー……すー……」
「ほら、起きて。朝だぞ」
「んん……」
つんつんし過ぎた所為か、頭まで毛布を被ってしまう。ならばと僕は反対側の足元の毛布を捲り上げる。そして手に生んだ氷をピト、とくっつけた。
「うひゃあ!?」
「お、起きた起きた」
「なななな……何をする!」
「起きないから意地悪してやったぜ」
「くっ……覚えてろよ、アサギ……」
ジト目で睨むダニエラの手を引っ張って立たせる。さ、朝食の時間だ。
用意した桶に水を満たして置いておけば其処でダニエラが顔を洗う。その間に僕は朝食の準備だ。夜のうちから煮込んでいた鍋から骨を取り出す。灰汁には気を付けたのでこのスープだけでも味は問題ないだろう。しかしそれではシェフアサギの名が泣くというものだ。虚ろの鞄から具材を取り出し、適度な大きさに切った物を放り込む。パンも取り出して野菜とハムを挟んで、スープが煮えたら旅の朝食、アサギスペシャルの完成だ。
「ん……凄く良い匂いがする」
「昨日の夜から煮込んでたんだ。暇だったし」
「そうか。平和が一番だな……」
「そういうことよ。じゃあ食べようぜ」
「ん、いただきます」
二人でハムサンドを噛りながら具沢山スープを飲む。朝特有の空気と鳥の鳴き声が穏やかな時間を演出してくれる。時間を掛けて作ったスープは旨いし、ハムサンドの野菜もシャキシャキだ。
「今日はどうするんだ?」
「もぐもぐ……今日も歩く。村があるらしいが今日中には着かないだろうな。順調に行けば明日の昼頃には着くと思う」
「分かった。まぁゆっくり行こう。急ぐ旅でもないんだしな」
「そうだな……食材にも余裕はあるし、怪我にだけ気を付けて行こうか。ごちそうさま」
「もう食べたのか。ちょっと待って……」
「旨かったから手が止まらなかった。アサギはゆっくり食べててくれ。片付けは私がやろう」
「悪いな……もぐもぐ」
「気にするな」
そんなやり取りも一緒に旅をするようになって増えてきた。お互いに好き合い、心の距離が縮んだということなのだろうか。しかしそんな関係に胡座を掻くつもりはない。親しき仲にも礼儀ありだし、持ちつ持たれつだ。とっとと食って手伝おうと僕は残った朝食を詰め込んで立ち上がった。
□ □ □ □
漸くというか、ついにというか、辺りの景色が変わった。平野だった地形は段々と上り坂になり、丘陵地帯へ変わり、緩やかに登り続けて丘の上へと出た。妙に寒いが、天気は良い。野生の馬のような動物が草を食んでいたり、かと思えば突然走り出したり、見てて飽きない。カメラがあれば撮っていたところだ。
「なぁダニエラ」
「なんだアサギ」
「あの動物って魔物じゃないよな」
「あぁ、ただの馬だな」
「ふぅん」
バタバタと走る音が聞こえる。力強い音が此処まで聞こえるが、こっちに向かって走ってくる気配はない。ただの食後の運動か……平和なもんだな。
「ちょっと休憩しようぜ。疲れた」
「そうだな……天気も良いし此処らで軽く休憩しよう」
装備を外してごろんと草の上に寝転ぶ。風が頬を撫でていく。精霊さんかな? 空を流れる雲は手を伸ばせば届きそうだ。が、手を伸ばせば何処までも青い空に吸い込まれそうな錯覚を覚えた。慌てて引っ込めた様子を見ていたダニエラが首を傾げるが、何でもないと僕は首を振る。
隣に寝転んだダニエラと一緒に雲を見つめていると、鳥が飛んできた。僕達の頭上で2羽の赤い鳥が楽しそうに囀りながらじゃれ合うように飛んでいる。
「夫婦かな」
「どうだろう。兄弟かもしれないな」
クスクスと笑いながら鳥を眺める。やがて2羽の赤い鳥は何かを思い出したように僕達の視界の外へ飛んでいった。
風が吹き、草の擦れ合う音だけが耳に届く。ふと隣のダニエラを見ると目を閉じて眠っていた。マイペースだなぁ。あぁ、でも何だか、僕も眠くなってきた。ふぁ、と欠伸が漏れる。僕はそれに抗う振りをしながら、やがて睡魔の手に引っ張られ眠りに落ちた。
□ □ □ □
「んが……へっくし! ん……やっべ、寝ちまった……」
冷えから来るくしゃみに目が覚めた。こんな草原の真ん中で寝てしまうとは油断していた。昨夜の見張りで睡眠不足だったのが祟ったのか。隣を見るとダニエラは起き上がって腰を下ろしていた。
「あぁ、起きたか」
「悪い、すっかり寝ちまった」
「気にするな。あんまり気持ち良さそうに寝てるので起こせなかっただけだ」
「う……変な寝顔じゃなかったか?」
「可愛い寝顔だったぞ」
「うぐ……」
ふわりと微笑むダニエラから恥ずかしさで顔を逸らす。すると西の空に夕日が沈むのが見えた。ガッツリ寝てしまったようだ。今から歩いても仕方ないぁ。今日は此処で野営だな。
□ □ □ □
その日の夜も問題なく終わり、朝を迎えた。昨日は僕が朝食当番だったので、今日はダニエラの番だ。顔を洗って戻ってくるとベーコンエッグと焼いたパンが並べられていた。実に食欲が刺激されるごきげんなメニューだ。
「いただきます」
「あぁ、どうぞ」
二人でダニエラの作った朝食を食べる。パンも卵もちょうど良い焼き加減で旨い。食材をダークマターに錬金する系女子じゃなくて本当に良かったぜ……。
今日はほぼ同時に食べ終えたので一緒に片付けた。お互いに助け合いながら続ける旅は楽しいもんだ。やることは毎日一緒だが、日に日に変わる景色や、お互いが作るご飯が楽しみだし、楽しい。こんなことになるならもっと料理のレパートリーを増やしておくべきだったなと心底後悔する。しかしこれからどうにでもなるんだ。もっとダニエラに旨い料理を食わせてやりたいなぁ。
「今日の夜には村に着くだろう」
「そういえばいつもそれなりに発展した町にばかり来てたから村は初めてだな」
「たまに宿がないけど、静かでいいぞ、村は」
そういう場合は空き家とかに泊まらせてもらうらしい。いやぁ、田舎の民泊ってやつ? 期待してたんだけどな。そういうコミュ力溢れるイベントはダニエラにはきついか……。
「それで、なんて名前の村なんだ?」
「あー、なんだっけ……」
「おいおい、頼むぜダニエラ先輩」
「悪い悪い。冒険者の町が気になって調べ忘れた」
「あー、そういうことか。それなら仕方ないな。僕も気になる」
「そうそう、仕方ない。ちなみに冒険者の町の名は『レプラント』だ」
村の名前をすっ飛ばして冒険者の町の名前だけ知ってもな……。村に失礼な気がしなくもないが、まぁ行けば分かるだろう。
まだ日も高い。普通に歩けば着くらしいし、ちょっとだけ装備の実験がしたい。アクセルパンサーの革で出来た靴ということで、名前からして速さが上がりそうなのだ。魔力を流せばどうなるやら……結構楽しみにしていたので《器用貧乏》での確認はしていない。
「なぁダニエラ」
「なんだアサギ」
「装備の実験がしたい。ダニエラを背負ってどれだけの速さで走れるかやってみたいんだ」
「ふむ……危なくなったらすぐにやめるんだぞ。よし、ちょっとしゃがめ」
快く引き受けてくれるダニエラ先輩、大好きだぜ。よっこいしょとダニエラを背負って魔力を靴に流すように意識してみる。ちょっとアサルトコボルトのことを思い出したが、あんな瘴気が出て来ることもなく、なんとなく足に力が漲ってきた感がある。
「んじゃ、行くぞ」
「了解だ」
ギュッと抱きついてきたダニエラの胸の感触を楽しみながら大地を踏み込んで走り出す。
「お、おぉっ」
「これ、は、速いな!」
中々の速さで走れた。時速にしてみれば40キロくらいか……ダニエラを降ろせばもう少し速度は上がりそうだ。このまま走れば早く村に着くかな? どんどん速度を上げること無く、一定の速さで走り続ける。お陰様で日が傾いてきた頃には村の前に到着した、門……というよりはゲートか。扉がない。扉がないということは防壁もない。そんな予算は無かったということか。まさに田舎だ。ばあちゃんのいた村より家が少ない。
「あーなんて書いてあるんだ?」
「『センカ村へようこそ』とかいてあるな。此処はセンカ村だ」
「なるほど」
フリュゲルニア語は分からないということか? と、じーっと見つめているとなんとなく言葉の意味が分かったような気がした。適宜対応してくれるということだろうか。またしても異世界七不思議を感じながら僕達はセンカ村への門をくぐった。
祝90話です。此処まで読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。まだまだ続きます。




