第八十九話 さようならヴァドルフ
「なんだかバタバタしたけど今日でここに来て4日目か」
「そうだな。宿も引き払ったし、後は準備を済ませたら出発しよう」
昼過ぎに宿に到着し、翌日はアサルトコボルトの所為で失った装備の補填。3日目も引き続き装備の補填となり、公園で動けなくなっていたダニエラを回収して、夜が明けて今日に至る。
本当だったらもっと観光とかしてゆっくり過ごすつもりだったのだが……トラブルというのはどこに転がっているかわからないものだ。まさか自分の足元に潜んでいたとは。まったく、油断も隙もない。
「しかしそのお陰でいい装備が手に入ったじゃないか」
「まぁ、そうなんだけどさ。上手い具合に手に入って安心だよ」
肩に提げた大剣と腰に差した片手剣。足を上げて黒いブーツもよく見えるようにする。ダニエラが腕を組んで『ふむふむ』なんて言いながらチェックしてくれる。
「良い感じだな。しかしその大剣は使いこなせるのか?」
「使いこなすんだよ。頑張るぜ」
グッと拳を握って気合を入れる。新しい武器を持つとやっぱりテンション上がるなぁ。町を出て魔物に出くわしたら戦ってみよう。
二人でアレッサに行くまでに消費した食材を買う。準備なんてそれだけだ。飯さえ食えれば後はどうにでもなるもんだ。野営道具もそれほど使い込んでいないし、まだ壊れる様子もない。もう行く場所はないか。いつもなら挨拶回りに行くが、今日はもう宿はないのでカットだ。ドロテアさんに会えなかった時点で自動的にカットされているのだが。まぁカシルには世話になったから顔だけ出して行こう。クソガキには会う必要ねーな。
「カシルに挨拶したら出発ってことでいいか?」
「あぁ、あの武具屋か。帝都側に店があるからそのまま出れるな」
ということでカシルの店へ向かうことにした。
「すみませーん」
「なんだまた来たのか。今度はどした?」
カウンターの向こうで椅子に座って短剣を磨いていたカシルが僕を見て溜め息混じりに言う。
「今日、町を出るので挨拶にと。お世話になりました」
「あぁそういうことか。おぅ、気ぃ付けてな!」
短剣を鞘にしまったカシルが立ち上がり右手を伸ばしてくる。それをガッチリと受け止めてお互いに引っ張り合い、暑苦しい抱擁をしてバンバンと背中を叩き合う。痛い。
「それにしても本当に良い武器を貰いました。どうしてこんな宿場町にカシルみたいな凄腕鍛冶師がいるんですか?」
こんな宿しか無い町で武具屋を営むより、もっと活気のある町で店を出した方が儲かるのにと、不思議に思っていたのだ。
「あぁ、それな。結構言われるぜ。俺はここで帝国に来る人間へ良い武器を、帝国から旅立つ人間に良い武器を与えたいんだ。自分を守る1本の剣を与えて旅の無事を祈りたいのさ。まぁ師匠がそうだったから俺もそうしてるだけなんだけどな!」
そう言って照れ隠しに大きく笑うカシル。良い奴じゃないか。
「これからも旅人への無事を祈ってあげてください」
「あぁ、お前らも気を付けてな。旅の無事を祈っている!」
カシル武具店。帝国に訪れた際には是非立ち寄って欲しい。気のいい男が最高の武器を授けてくれる。ただし、お金と引き換えに。
□ □ □ □
ヴァドルフの東門から出て2日程真っ直ぐ進み、小さな村を抜けて南に進むと大きな町がある。そこは冒険者の町と呼ばれている。数々の有名な冒険者を排出した町だ。竜殺しの冒険者や、迷宮潜りの冒険者。世界を旅した冒険者。僕は異世界人だからよく知らないが、有名人だ。そんな活気溢れる町が次の目的地だそうだ。
東門を抜けた僕はダニエラと並んで歩きながら新たな旅先を聞く。
「そこで詳しい情報を得られるだろう。帝国の魔物や事情なんかもな」
「なるほどね……ヴァドルフにはギルドが無かったからそこに行くしかないのか」
ヴァドルフには冒険者ギルドが無かった。魔物の駆除やなんかは衛兵隊が全部やってしまうらしい。元々あまり魔物の被害がある町ではないし、それで事足りてしまうのだろう。あてが外れた僕達は肩を落としながら町を出たのだ。
昼を過ぎる頃、グラスウルフの気配をダニエラが察知した。この国にもいるらしい黄緑の狼は真っ直ぐ僕達の方へ目指している。僕の感知範囲に入った辺りで肩の大剣を抜く。藍色の骨を藍色の鍛冶師が鍛えたお陰で真っ黒になった大剣、藍色の大剣。その刃に太陽の光が差すと薄っすらとその剣身が藍色であることを思い出させてくれる。
「綺麗な剣だ」
「あぁ、カシルの師匠が打った最高の剣さ」
グイ、と持ち上げて正面に構える。流石に重いが、《器用貧乏》の脳内映像が持ち方から力の入れ方までしっかり教えてくれる。此奴がなければ使ったことのない武器など扱えない。それこそ木剣からの修行だ。そう思うとやはりチートスキルなのかもしれない。しかし人よりちょっと上手く使える程度では無双は出来ない。やはり『貧乏』スキルだな。だがそれしか僕にはないので活用せざるを得ない。上手く使えば何事も上手く行くものだ。
「来るぞ」
ダニエラの声に正面の茂みを睨む。気配と動きを見ればその茂みの中から飛び出してくることは分かっている。もうすぐ視認するというところで僕は大剣を振り上げて走り出す。
「ワォォン!」
雄叫びとともに茂みを突き抜けたグラスウルフに容赦なく剣を振り下ろす。黒い線を描きながら真っ直ぐに地面へと向かった剣は間に居たグラスウルフを何の抵抗も無く真っ二つに切り捨てた。
「うわっ」
勢い余って地面へと叩きつけてしまった剣を中心に砂埃が舞う。それを後ろから吹いてきた風が払ってくれた。ダニエラだ。
気配感知にはあと1匹のグラスウルフが居ることを教えてくれる。先頭の狼が瞬殺されたことで僕の様子を窺っているみたいだが、すぐに反転し、走り出して逃げていった。敵わないと理解したのだろう。僕は鞘に大剣を収めて肩に担ぐ。
「ふぅ……」
「どうだった? 新しい武器は」
「あぁ、ありがとう。良い感じだな。重いが、その分威力が高い。魔力を流すとどうなるか楽しみだ」
藍色の大剣に藍色の魔力を流す。きっと水属性の魔法が発動するのだろう。待ちきれずに《器用貧乏》で再生してみると、剣の周りの水が覆っていた。その水自体がウォーターカッターのような鋭い切れ味のようで、おまけに剣身も水で伸びている。シミュレーション映像では大剣より大きな大木を横薙ぎに寸断していた。末恐ろしい。
頭を振って《器用貧乏》をシャットダウンして溜息をつく。カシルめ……とんでもないものを渡してくれたな。
「どうしたんだ、嬉しそうな顔をして」
「いや、良い武器だなって」
「ふふ、そうか」
隣のダニエラも嬉しそうに微笑む。一緒にニコニコしながら歩く旅路は、晴れた太陽の下、実に平和なものだった。
夕暮れが近付いてきたので野営地を探すことにした。適度に開けた、人の邪魔にならない場所。そういう場所が好ましい。周りを見渡すと草原が広がっていたり、時々ポツンと木が生えていたり。ヴァドルフを出てから約7時間程歩いたが、特に景色に変化はない。しかし7時間か……僕も結構体力ついてきたよなぁ。青白い体で夜勤をしていた頃とは大違いだぜ。これが松本君みたいに部活真っ盛りの学生だったら少しは違うのだろうか。なんて考えても仕方ないことを考えていたらダニエラから声が掛かった。
「アサギ、あっちに野営をした跡があった。そこにしよう」
「いいね。人がやった後なら危険はないはずだ」
行ってみると焚き火をしたあとがあった。勿論、熱はなく前のものであることが分かる。周りの草は刈られ、地面が剥き出しなので火事の心配もない。適度に平べったい石も焚き火の周りに転がっていて、椅子にしていた形跡がある。全部で3つ。3人パーティーか。ともかく、ここが今日の野営地だな。
「ダニエラ、この薪で焚き火の準備をしてくれ」
「あぁ」
テキパキと野営の準備を始める。ダニエラは焚き火の準備。僕はテントの準備だ。山なりに積んだ薪に火を付ける魔道具(お値段銀貨60枚)で火を付ける。それが消えないように維持すれば、後は勝手に燃えてくれる。
テントは骨組みを組んだら布を掛けるだけ。飛ばないように杭を打てばそれで終了。旅の野営は素早くがコツだ。
「さて、後は飯だな」
「アサギ、私はもう空腹で死ぬかもしれない」
「阿呆なこと言ってないで結界の魔道具置いてこい」
「ぐぬぬ……」
恨みがましい目で僕を睨んだダニエラは虚ろの鞄から取り出した4つの結界の魔道具(1つ金貨50枚)を抱えて草むらに消えた。まぁすぐに戻ってくるがその間に僕は鞄から取り出した鍋に切った野菜を入れて水魔法で満たし、火に掛けて蓋をする。
戻ってきたダニエラが石に座ってボーッと鍋を見ている。ピントがズレた感じなので別のことでも考えてるのだろう。グツグツ煮えてきたら蓋を取って塩や香辛料を入れる。再び蓋をして、串に刺していた肉を焚き火の傍に立て、これが焼けたら夕食の完成だ。
「ほら、出来たぞ」
「ん、いただきます」
焼けた串を与えて僕はスープを飲む。あぁ、旨い。僕の料理スキルもなかなか上がってきたな……。
ほう、と息を吐いて空を見上げた。オレンジから深いブルーにグラデーションする空に小さな星が見え始めていた。
今日でこの世界に来て何日経っただろう。あの強盗は捕まったのかな。店長は元気にしてるんだろうか。父さんや母さんは心配しているんだろうか。思い返せばそんなことを考える余裕のない生活をしていた。ここにきて今更ではあるが、あの世界のことを考える。戻れるのであれば戻りたいが、ダニエラを残して帰るつもりもない。きっとこの世界に骨を埋めるんだろうなぁ。
なんて、取り留めのないことを考えているといつの間にか空は星が満ち満ちて、オレンジ色は地平線の向こうへと消えていた。




