第七十八話 さようならアレッサ
全て解決した。脱走した奴隷の懲役追加で終わりだ。奴隷管理局とやらの怠慢には思うところはあるが、バッカスさん達には手が出せないとのことなので、この町を去る僕は口出しせずに任せることにした。被害者とは言っても余所者は余所者。上社朝霧はクールに去るのだ。
「ではありがとうございました」
「連れが世話になった。礼を言う」
取調室的なお部屋から出てバッカスさんに頭を下げる。彼のお陰で円満解決だ。
「此方こそすまなかった。また君達がこの町を訪れる時は歓迎しよう。勿論、安全な町でな」
バッカスさんならやり遂げてくれると信じている。奴隷に墜ちた彼らも、きっと心を入れ替えて頑張ってくれるだろう。これが蜘蛛の糸だと思ってもらいたい。まぁ、その比喩は伝わらないのだが……。
「じゃあ僕達はこれで」
「あー、アサギ殿。もう一人連れがいたはずだが……」
「あっ」
リーサのことをダニエラが来てくれたことですっかり忘れていた。彼女も僕が巻き込んだ被害者なのだった。と、辺りを見回すとちょうど別室から出てきたリーサと目が合った。
「アサギ」
僕の名を呼んで歩み寄ってくる。そのまま僕の腕に絡みつき、ついでに胸に挟み込む。
「あー、怖かった……さ、もう帰ろうぜ。あの奴隷共には直接何もされてねぇから不問にしてやったぜ。どうだ、寛大だろ?」
ドヤ顔で見上げながら更に密着するリーサ。しかし僕はさっきから冷や汗が止まらない。背中なんかビッショビショだ。
「あー……リーサ、離れてくれないか?」
「あ? なんでだよ。てめぇもおっぱい好きだろ?」
好きだけどさ。あぁやめてくれ、ずりずりと動かないでくれ。その攻撃は僕に効く。
「随分と仲が良いのだな、アサギ」
「いやよくない。僕は離してほしくて仕方がない」
「何言ってんだおめぇ、そんなナリで良く言えるな?」
「ほう、どんなナリをしてるんだアサギ?」
「離して欲しいナリ!」
ダニエラとリーサとリーサのリーサに挟まれて僕は気を失う一歩手前でバッカスさんに救助された。君子おっぱいに近寄らず。僕はその言葉を新たなモットーとして心に刻みつつ、山霧亭へと戻った。
□ □ □ □
「お世話になりました」
「はいよ」
鍵を返してお礼をいうと、彼らしい素っ気のない返事が返ってくる。まぁ、またこの町に来た時は泊まるとしよう。リーサとも顔見知りになったことだしな。
「アサギ、今、良からぬことを考えたな?」
「何を訳の分からんことを言ってるんだダニエラ?」
刺すような視線を柳に風と流し、山霧亭を後にした。リーサは用事があるので山霧亭には帰れないとのことで、衛兵隊詰所で別れを告げている。
「僕の所為で巻き込んで悪かったな」
「いんや、気にしてねーよ。あんたも災難だったな?」
「まぁ、終わったと思ってた夏休みの宿題がギリギリになって出てきたようなもんだと思うしか無いよ」
「その例えはさっぱりだが、あんたも元気でな。そこのお姉さんも。今度来た時は一緒に寝ようぜ。あたしは両方いけるんだ」
「行くぞ、ダニエラ」
「あぁ、行こう」
「またなー!」
しっかり別れを告げたのでもうこの町に用はないだろう。何か忘れてる気がするが、まぁ忘れてるくらいなら大したことじゃないだろう。
と、何か忘れていたことも忘れそうになりながらダニエラと二人で町を貫く大通りを南に歩いていると声を掛けられた。
「アサギさーん! ダニエラさーん!」
「ん?」
僕達を呼ぶ声に振り向くと馬車の傍に男が立っていた。あぁそうそう、此奴を忘れていた。肉球防具店店主のニック。彼と一緒に町に入ったんだっけ。奴隷騒動の所為ですっかり忘れていたぜ。
「聞きましたよ。奴隷を地面に転がしていたんですって?」
「何だかまるで僕が残忍な奴みたいじゃないですか。違いますよ。襲われたから無力化したんですよ!」
「似たようなもんじゃないですか」
「全然ちげーよ」
否定しても頭の上にクエスチョンマークを浮かべるニックに溜息を吐く。彼の頭の中では僕が暴君になっているらしい。
「あ、もう出るんですか?」
「えぇ、南の帝国へ行きます」
「そうですか! では帝国でも肉球防具店の宣伝、よろしくお願いしますね!」
「任せてください」
宣伝のことを忘れていたとは言えず、ドンとアイスドラゴンのブレストアーマーを叩く。満足そうに笑うニックを見てちょっぴり心が傷んだけれど、鉱山の町で宣伝するより帝国で宣伝した方が良いに決まってるよねと自己正当化してお互いに別れて逆方向へと歩き出す。
南の山門の衛兵に町を出ることを告げると山門の傍の小さな扉から出された。
「あれ? 来る時はこのでっかい門が開いたんですけど」
「あぁ、あれね。あれは隊長の町自慢だよ。この門くらいしか見るものがないから、盛大に自慢するんだと」
「はぁ……まぁ、鉱山の町ですしね……」
「そういうこと。んじゃあ、お気を付けて!」
バッカスさんの自慢の為だけに開く山門か……逆に名物になったり……しないか。なんだかなぁという気持ちを抱えながら、僕とダニエラは鉱山の町アレッサを後にした。
□ □ □ □
来た時と同じような谷間の道を、クリフイーグルに気を付けながら歩いた。山越えなんかやろうと思えば1週間くらい掛かりそうな山も、間の道を真っ直ぐ進めば何てことはない。数時間で抜けることが出来た。
アレクシア山脈を抜け、スピリス……つまり、ランブルセン共和国の反対側。フリュゲルニア帝国側に出た。山際は森になっていて、薄っすらと空が見える程度には覆い茂っている。道は整備というか、踏み固められているのに木々は空を覆うとはどういう木なんだろう。明らかに覆いにきている。
ダニエラが言うにはこの地特有の『ベルル木』という種類の木で、地面に影を落とすように生えるのだとか。お陰で地面には草も生えないらしく、聞くだけなら危ない木なんじゃねーのと思うが、この木からは旨い蜜が採れるらしい。それで重宝されているらしく、帝国では甘味と言えば『ベルル蜜』とのこと。これは期待出来るぞ。しかし期待はずれだ。帝国の癖にパレードにスイーツかよ。まったく弛んでいる。帝国軍人は情けない腑抜け野郎ばかりなんじゃないのか?
なんて、見てもいない帝国と帝国軍人に悪態をついているとダニエラが立ち止まる。同時に気配感知に魔物の気配が引っ掛かった。
「この辺の魔物はどんな奴だろう」
「分からん。私も帝国側に来るの初めてだ。この気配も初だな」
ダニエラは死生樹の細剣を、僕は強襲狗鬼の爪牙剣を抜き、気配のあった場所へゆっくりと進む。
茂みのないこの森では隠れることが非常に難しい。それは魔物側にも言えることで、気配感知に引っ掛かった魔物は木々の間で傷付けたベルル木の幹を舐めていた。魔物も大好きベルル蜜。お子さんへのお土産に、ってか?
「見た感じはゴブリンだな」
「薄暗くてよく分からんが……昔、図鑑で読んだことがある。あれは森に特化したゴブリン、『フォレストゴブリン』だろうな」
「まんまだな……気を付けることはあるか?」
「確か、木を登るのに特化した爪を持っているらしい。それを武器にして戦うとか」
自前の武器だと? ならお小遣いの回収は出来ないか。役に立たんやつめ!
「じゃあちょっと様子を見ながら始末しよう。フリュゲルニアで最初の獲物だからな。慎重に行くぞ」
「あぁ、足元に気をつけろよ、アサギ」
「何言ってんだ。この旅慣れした僕がそんなヘマを『パキッ』……するわけないと思っていた時期が僕にもありました」
「馬鹿野郎かお前はっ」
颯爽と走り出したダニエラの後ろを慌ててついて行く『銀翆』の二つ名を持つ上社朝霧です。これからも頑張りますのでどうかよろしくお願いします。




