第七十七話 冷えた心、温かい気持ち
翌朝、で良いのだろうか。山間の町は未だ影を落としている。しかし空は夜明け特有の青白さに赤みが差した幻想的な色だ。この色は夜勤明けの度に拝んでいたので今が朝だと僕の本能が告げている。なので、やっぱり朝だった。
目の前には転がされた奴隷。足の傷は一応、凍てつかせて止血した。それでも絶えない呻き声はまるで亡者の声だ。
僕は一段高い所に腰を下ろし、立てた膝に顎を乗せてぼんやりとピントのズレた氷剣を見つめながら鍔の部分を爪で弄っていた。時間が経つ毎にこの氷剣のように心が冷えていく感覚。この心の寒さには覚えがある。あの町、フィラルドのギルドで熱烈な歓迎を受けた、あの時と似ていた。
家々の扉が開く音が聞こえてくる。この町も目覚める時が来たようで、それに連れて人々が今日の仕事を始めようと町に集まり、騒がしくなってくる。そして現れた第一町人。
「な、なんだ……こりゃあ……」
ドサリと手荷物が落ちる音と声。青ざめた顔が転がる奴隷共を見回し、そして僕に行き着いた。開いた口が糾弾の形になる前に、僕から声を掛けた。
「おはようございます。町の方ですか? ちょっとこの奴隷達に襲われたんで衛兵とか呼んでもらえたら嬉しいんですけれど」
僕がやったことには変わりないが、被害者であることを伝えると町人は今にも吐き出そうとしていた言葉を飲み込み、改めて状況を確認するとコクコクと頷いてリーサが言っていた詰所の方へと走っていった。良い人で安心した。
その後も集まる人々に説明していると衛兵隊が走ってきた。先頭を走るの山門で検査に立ち会った隊長と呼ばれた男だ。町人を近付けさせないように兵に指示してから転がる奴隷の安否の確認もさせる。すぐに僕を引っ捕らえないということは話はしっかり伝わっているようだ。第一町人に感謝だな。
全ての奴隷の確認が済んだのか、隊長が僕に向き直る。僕も下ろしていた腰を上げて氷剣を分解して気体に戻す。
「襲われたそうだな。怪我はないか?」
「えぇ、この通り」
両手を上げて無事をアピールする。その様子に隊長は頷く。
「では詳しい話が聞きたい。詰所に同行してもらってもいいか?」
「はい、よろしくお願いします」
そして二人で歩き出した時、僕を呼ぶ声がした。
「おい、アサギ! おい!」
振り返るとリーサがゼェゼェと肩で息をしながら現場に町人を入れないように囲っていた兵の間から僕を呼んでいた。
「彼女は?」
「僕が泊まっていた宿の従業員です。彼女も襲われかけたんです」
「ふむ……おい、そこの女性も詰所に来てもらえ!」
兵に指示を飛ばすと数人の兵がリーサを連れてくる。「離しやがれ!」と暴れるリーサに嫌そうな顔をしながら、しかし目線はしっかり胸に向かっている辺り、彼らとはお友達になれそうだった。
「すみません、一つお願いがあるんですけど」
「なんだ?」
前を歩く隊長に声を掛ける。振り向かず、歩きながら応える隊長に続けて僕は宿にいるダニエラのことを話した。
「ふむ、その連れを詰所に呼べば良いのだな?」
「はい、宿は……えーっと、リーサ。あの店の名前ってなんだっけ?」
「山霧亭だ」
「だそうです。その店にいる白エルフを呼んでください」
「了解した」
隣を歩く副官らしき兵に伝えると兵は敬礼し、列を離れて『山霧亭』の方へ向かっていった。真っ直ぐ向かうってことはそれなりに有名なのかね。まぁ温泉買い取るくらいだから売れてはいるのかな。
と、それ程歩くこともなく衛兵隊詰所へ到着した。白い壁の大きな建物は警察署を思い出した。悪いことはしていないはずだが妙に落ち着かなくなる。
入り口を抜け、エントランスも抜けて廊下に並ぶ扉の一つに入れられる。リーサは別々の部屋だ。話を合わせられないようにだろう。僕は用意された椅子に座ると正面には兜を脱いだ隊長が座った。
「さて、私はアレッサ衛兵隊隊長、バッカスだ。君の名を聞きたい」
「アサギです。しがない冒険者をやっています」
自己紹介を終えて、事情聴取が始まった。
「君が襲われたと町人の通報があった。心当たりは?」
「はい、僕がお願いしました。逃げられないようにはしましたが、奴隷達を見張っていて離れられなかったので」
正確に伝えてくれた彼には後でお礼を伝えて欲しいとも伝える。
「了解した。必ず伝えよう。それで、襲われたことに対しての心当たりは?」
「彼らはフィラルドで問題を起こした元冒険者です。その問題には僕と連れが関わっていました。フィラルドの衛兵隊隊長にお願いして鉱山送りにしてもらいました」
「ふむ……ラッセルの知り合いか。奴は元気にしていたか?」
おや、こんな所でラッセルさんの名を聞くとは。
「お知り合いですか?」
「まぁ、従兄弟だ。名前が似ているだろう?」
それってどうなんだ? 異世界あるあるなのか?
「確かに……。ラッセルさんは元気でしたよ。色々良くしてもらいました」
「そうかそうか。それなら良かった。はは、ラッセルの知り合いなら無碍には出来んな。まぁ元々君は被害者だ。お咎めなく解放されるだろう」
「安心しました。それでちょっと聞きたいんですが、ここの奴隷の管理ってどうなってるんですか? 普通、監視されてますよね。自由はないはずですが」
そう、今回のこの事件の一番の原因はそこだ。奴隷はきっちり管理されているはずだ。それが逆に僕が見張られ、追い掛けられた。一体どうなっているんだ?
「そうだな……端的に言って奴隷管理を担当している管理者はクズの集まりだ。奴隷に鞭を打つことだけが仕事だと勘違いしている奴等だ。普段から杜撰な管理で何名も奴隷を死なせているし、奴隷の稼ぎを掠め取ることを日常的に行っている。しかしこれだけのことがあっても手が出せないんだ。部署が違い、奴等は王都から派遣されているからな……」
ギュッと拳を作るバッカスさんは悔しそうに唸る。
「奴等の監視の目が無かったから奴隷の脱走が発生してしまったが、今回のことに関しては我々の責任でもある。因縁のある人間が訪れることもあると分かっていながら対策を怠っていたからな……誠に申し訳なかった。再発防止の為にまずは巡回を多めにして監視の目を増やそう」
彼の真摯な眼差しは信用出来るだろう。何よりもあのラッセルさんの従兄弟だ。僕がこの世界で一番お世話になった人の身内だ。
「それで、奴隷に関しての話だが……どうする?」
心の温度を思い出させられる。
「どう、とは?」
「受刑年数を増やすか、処刑かだ。私は法の下であれば奴隷管理局よりも上の権限で動ける。君が望むなら関わった全員を縛り首に出来るだろう」
懐かしい問いに思わず頬が緩む。この人も優しい人なのだろう。
「ふふ……ラッセルさんと同じことを聞くんですね」
「あいつも同じことを?」
「えぇ、『俺の権限で縛り首にも出来る』と」
「全く一緒じゃないか……」
がっくりと項垂れるバッカスさんを見て笑い声が漏れる。やっぱり、従兄弟なんだな。
「それで、答えなんですが……」
と、僕の気持ちを伝えようとしたところで扉が叩かれた。
「お取り込み中に失礼します! お連れ様が到着されました!」
「通せ」
「ハッ!」
どうやらダニエラが到着したらしい。バタバタとらしくない足音が聞こえてきたかと思うとすぐにダニエラが部屋に飛び込んできた。
「アサギ! 無事か!?」
「あぁ、おはよう、ダニエラ」
「おはようとか言ってる場合か! 怪我はないのか!?」
ぺたぺたと腕や脇腹を触るダニエラ。怪我してたら逆にそれは痛いからやめた方が良い。
「大丈夫だよ。被害なく全員大人しくさせたよ」
「はぁぁ……良かった。私が寝てる間に奴隷がアサギを襲ったと聞いて、気が動転した……」
ダニエラが膝から崩れ落ちる。僕はそれを支えるように椅子から床に降りて肩を抱く。
「僕があんな奴等にやられる訳無いだろう?」
「アサギが強いことは私が一番知っているさ……でも、心配したぞ」
「ありがとう、ダニエラ」
潤んだ目で僕を見つめるダニエラ。心配してくれたんだろう。本当に嬉しい。少し赤くなった頬がとても可愛らしく、見つめ合う僕達の距離がどんどんと近くなっていく。
「アサギ……」
「ダニエラ……」
そして、唇と唇が触れ合いそうな距離になり、どちらからともなく目を閉じて、
「ゥオッホン! ゴホンゴホン! ゲェッホゲッホ……ッ!」
慌てて離れた。ここはどこ? 衛兵隊詰所だ。僕は誰? バッカスさんに重要参考人として連れてこられた馬鹿野郎だ。
「あなた方がとても仲が良いのは伝わった! で! 奴隷の処分について聞きたいんだが!?」
バッカスさんが半ギレで聞いてきた。部下に出された水を飲み干してダンッと机に置く姿にビクリと肩が跳ねる。
「アサギ、その奴隷というのはまさか……」
「あぁ、ラッセルさんに鉱山送りにしてもらったあの冒険者達だよ。町を歩く僕を見つけて襲ってきたんだ」
ダニエラはそれだけで全ての状況が伝わったらしい。ジッと僕を見つめる。
「アサギ、今回は何も言わない。君の判断に任せる」
「良いのか? 襲われたのは僕だけど、ダニエラも関係のある話だ」
「それでも、私はアサギの判断に委ねる。アサギ決めて欲しい」
そう言って立ち上がり、壁際まで下がった。そこで聞いてくれるんだな……僕の答えは決まっている。だから、そこで聞いていてくれ。
椅子に座り直し、バッカスさんに向き直る。
「バッカスさん。あの奴隷達の懲役を増やしてください」
「良いんだな?」
「はい。人は生きていれば何度でもやり直せると僕は信じたいです」
それが、朝まで座って考えていたことの答えだった。
「……分かった。アレッサ衛兵隊隊長、バッカス=ホワイトが約束しよう。冒険者アサギの寛大な心に感謝を。君のその温かな気持ちは必ず彼らに伝わり、更生に繋がるだろう」
優しく微笑むバッカスさんとダニエラに囲まれ、僕の心はまた、温度を上げていった。




