第七十五話 再会は夜の町で
ダニエラとの突発性混浴事件は依然として続いている。二人しか居ないことで開き直って温泉を楽しむことにした僕は湯気が晴れて見渡せるようになった洞窟風呂風の浴場を改めて眺める。すると先程は気付かなかったが、奥へと続く道があること、源泉が流れ落ちている滝のようなものがないことに気付いた。てっきりバッシャンバッシャンと音がしていたからそれなりに立派な滝とかあると思ったんだが……と、一瞬考えて目の前で湯船の淵に顎を乗せて垂れているダニエラを見つめる。
「なぁダニエラ」
「なんだアサギ」
「さっきさ、バッシャンバッシャンと音がしていたんだが……何かあったのか?」
「……何のことか分からんな」
スッと顔を上げてキリッとした顔をするダニエラ。しかし此奴が何かやっていたのは間違いない。知らないなんてことはないはずだ。僕はジィーっと見つめる。玉の汗が浮かんだ額を手の甲で拭って明後日の方向を見つめるダニエラの前に移動してジィーっと見つめる。段々と顔の赤みが増してきたダニエラがスイ、と目を逸らす。
「ダニエラ」
「……」
「誰にも言わないから言ってみろよ、な?」
「……」
「……」
「……………………あぁ、もう、分かった、言う!」
折れたダニエラが降参と両手を挙げた。アサギ氏、粘り勝ちである。
「恥ずかしいから1回しか言わない」
「どうぞ?」
「温泉が嬉しくてちょっと油断して突然現れた湯船に突っ込んでビックリして溺れてた」
「普通に危ないやつじゃねーか」
この湯気だし分かんないよな、マジで。僕も凄く怖かったし……でもこの湯気、混浴だと気付かないようにサプライズ演出に役立っているみたいで完全に除去ともいかない感じだ。と、ダニエラの残念美人っぷりを改めて知ってニヤニヤしているとガチャリと扉が開いた。
「あっれぇ、湯気ねーじゃん」
聞こえてきた声に聞き覚えがあった。
「やぁやぁ、お兄さん。さっき振り」
酒場にいたおっぱい姉さんだった。何でこんな場所に……隣に入ってきたのでそちらを見ないようにして返事をした。
「やぁやぁお姉さん、さっき振りですね」
「ぎこちねぇな!」
ケラケラと笑うおっぱい姉さん。だがこっちはそれどころではない。先程から温泉だというのに僕の隣が氷点下だ。勿論、ダニエラ側だ。
「えっと、何でこんなところに?」
「あぁ。ここ、うちの酒場が買い取った浴場。仕事場だぜ」
あの酒場は温泉の権利を買うくらいには金持ちなのか。はたまた、温泉の価値がそれ程でもないのか。酒場、宿、と続いて温泉もとはなかなかやり手なのだな。ん? 仕事場?
「こういうことをする場でもあるんだなぁ」
「んひぇあっ」
湯の中が大変なことになっている!
「ちょ、あんた学習能力ないのか!」
「あん?」
おっぱい姉さんが首を傾げたところで固まった。その様子から僕越しのダニエラを漸く見つけてくれたみたいだ。
「私のアサギに手を出すとは貴様、死にたいようだな」
「や、これは、その、お、オレ、ちょっと仕事熱心っていうか……!」
「ほう? それが遺言という訳だな。ではマスターにはそう伝えよう。『彼女は仕事熱心な奴だった』、とな」
「マジすんません!! 許してください!!」
震え上がったおっぱい姉さんはこのままじゃ湯の中で土下座しそうな勢いだ。流石にそれは可哀想だ。周りを見る目と学習能力に不安有りだが、彼女は別に悪いことはしてなかった。
「ダニエラ、彼女も仕事だったんだ。僕が断れば済む話なんだからそんなに怒るなよ」
「それもそうなのだが……目の前で自分の彼氏が他の女に良いようにされるのは我慢ならん」
「僕がしっかりしていれば良かったんだ。悪かった。彼女のことも許してやってくれよ」
「ん……アサギがそういうなら」
渋々とは言った感じではあるが、ダニエラも矛を収めてくれたらしい。はぁ、良かった。このままじゃ温泉が血に染まるところだったぜ。おっぱい姉さんも自身の首が飛ぶこと無く、修羅場を乗り越えたことを実感出来たようだ。
「あ、ありがとーーう!」
「馬鹿、やめっ……」
感謝の心を大事に。しかしそれを表現するために僕の頭を抱き締めるのは良くない。僕は目の前が真っ暗になった。
□ □ □ □
「んが……知らない天井だ……」
気付けば僕は知らない天井を見つめていた。痛む頭を押さえながら体を起こす。部屋は見たことがある場所だった。ていうか303号室だ。天井はまだ見てなかった。
ボーッとダニエラが教えてくれた防犯グッズを見ながら頭の中を整理する。多分、あの抱きつきで興奮して倒れたんだろう。後頭部がやけに痛むのは、気絶してどこかにぶつけたんだろう……ふぁ、もう一眠りするか……と、布団に潜るが眠れない。寝ないと明日の旅に支障が出るとは分かっているのだがごろごろと寝返りをうつばかりで睡魔はやって来なかった。
「しゃーない、ちょっと散歩でもするか……」
眠れない僕は布団を抜け出して部屋の鍵を持って廊下に出る。しっかりと戸締まりをして階段に向かう。その途中、別の部屋から艶めかしい声が聞こえてきた。多分、おっぱい姉さんがお仕事中なのだろう。あれだけの修羅場があったのに、まったく仕事熱心というのは本当のことだったという訳か。
その部屋を横切って1階に降りる。たまたまマスターがいたので散歩してくる旨を伝えた。
「その鍵は部屋の鍵でもあるがこの宿の出入り口の鍵でもある。それを使って出入りしてくれ。まぁお前さんならそんなことはしないとは思うが、他の部屋には使えないから怪しい真似はしないでくれよ」
どういう仕組なのだろう、と考えてここが魔法万歳の異世界であることを思い出して考えるのをやめた。魔法的な仕組みは僕には分からん。そういうものだということだ。僕はマスターに礼を言って宿の外へ歩き出した。
外は篝火が照らしている。暖かな火の光ではあるのだがパチパチと薪が爆ぜる音がそこら中でしていてまるで合戦場の夜のようだ。行ったこと無いけど。この入り組んだ町では絶対に迷子になると確信していたので入念に宿の位置を記憶してから散歩へと洒落込んだ。
夜の鉱山は静かなもので、昼間働いて夜はしっかり休むというのが通りすがりの旅人である僕にも伝わる。まぁ、明かりが漏れて、騒ぎ声も漏れていたりするので酒に酔う人間がいるのも伝わったが。ポツポツと漏れる明かりを意味もなく避けながら歩く。横断歩道の白線だけ歩く感覚で気ままに歩く。篝火の明かりはセーフ。回復ポイントだ。風に吹かれて舞う火の粉を紺碧色の魔力を纏うことで防ぐ。やけどは怖いからな。山間の風は冷たい。ちょっと当たるだけなら涼しいが、ずっと当たっていると冷える。こうして時々、篝火で回復しないとな。
十分に温まったところでまた目的なく歩き出す。目の前の階段を上がり、更に上へと続く階段を見つけては上を目指す。そういて町で一番高いところを目指す。やがて辺りの上がれる階段がなくなった所で町を見渡した。
「あー……あっちが当たりだったか」
反対側の、東側の町の方が高い建物が多かった。西側の一番高い建物は東側の一番高い建物より低いようだ。
「やっぱ計画は大事だな」
「あぁそうさ。計画は大事だぜ!」
急に背後から声が掛けられ、振り向こうとして慌てて下がる。僕が居た場所にはツルハシが振り下ろされていた。僕はジッとツルハシを握る相手を見つめる。髭と垢に塗れた顔。それを記憶に照らし合わせて、漸くそれがあの時、フィラルドで僕を黒兎呼ばわりしてきたクズ筆頭であることに気付いた。




