第六十八話 冒険者「また銀翆がやってくれたらしいぜ」
燦々と陽が降り注ぐ岩場を抜けても真上から照らす太陽は林道を歩いていても影を落としてはくれない。何度か林の木陰で休憩を繰り返し、およそ2時頃、平原へ抜けた。休憩を繰り返しても取れない疲れはどんどんと足へと蓄積し、歩く度に足の重さを増やしてくれる。いっそこの柔らかな草の上に寝転んで15時間くらい寝たいところだが、グラスウルフの餌になるのが目に見えているので、ひたすら歩いた。
少し先にスピリスが見えてきた。漸く頭痛が収まったダニエラと雑談しながら歩いていると、黙々と歩いていた時より時間の経過が早く感じた。早く感じても距離はすぐには縮まらないし、陽はゆっくりと傾いていく。
そしてそろそろ夕方に差し掛かり、陽の光が赤く燃えるように色づいてきたところで僕達はついにスピリスへと戻った。何度も休憩を挟んだ所為で行きは1時間半程だったが、帰りは3時間くらい掛かった。2倍だ2倍。しなくてもいい計算をしたら余計に疲れた。引きずるように足を動かしながら銀の空亭を目指した。
「アサギ……」
「なに……」
「お腹空いた……」
「…………」
僕達は重い体で屋台街へ寄り道してから宿へ帰った。
□ □ □ □
「…………っっっ!」
声にならない歓声というものがあればきっと今の状況だろうか。熱い熱い湯に浸かったこの瞬間。人が皆、緊張が解れ幸せになる瞬間だ。この為に念入りに体を洗い、わざわざぬるま湯で流したくらいだ。嗚呼、極楽とは湯の中に有りけり。
あの戦闘以来、どこか緊張していた体がどんどんと湯に溶けていく。四肢の感覚は麻痺し、意識は朧気になる。だが多幸感だけははっきりと脳内に広がっていく。じんわりと汗が滲み出て、額を濡らす。何故、外でかく汗は鬱陶しいのに風呂場での汗は気持ちが良いのだろう。なんて、阿呆になりそうな程蕩けた頭で考えてみるが、答えは出なかったのですぐに考えることを諦める。今はただ、湯というエルドラドを楽しむとしよう。
ほかほかの体を軽やかな足取りで部屋へ運び、窓を開けて気持ちのよい風でゆっくりと冷ます。この部屋がまだ使えるのはヨシュアさんのご厚意だ。
「いえいえアサギ様。部屋に人がいないのであれば借りて休んだとは言えないでしょう。延長は2週間でしたか。ではこれから2週間、よろしくお願いしますね。では私は仕事がありますので」
と、取り合ってくれなかったのはヨシュアさんの優しさだ。僕達は有難く住まわせて貰うことにした。この宿にして本当に良かった。そして紹介してくれたハロルドさんに感謝だ。感謝と共に心地よい風に身を委ねる。
美しい街並みだ。あのコボルトの王を倒さなければ、ここは蹂躙されていたかもしれない。だがこの町の衛兵隊は精鋭だ。隊列を組めばワイバーンをも討伐出来る。スタンピードも制圧出来たかもしれない。ならば、僕達があのアサルトコボルトを討伐しなくても良かったのでは? スタンピードの可能性に気付いた時、すぐに脱出してギルドに報告することも出来たのでは? しかし、僕達は奥へ進むことを決めた。何故、そうまでして進んだんだろう。
と、終わりのない思考に耽っていた僕は部屋をノックする音に現実に引き戻された。
「はい」
『アサギ、今いいか?』
「ダニエラか。鍵は掛かってないからどうぞ」
促すとそっと扉を開けてダニエラが入ってくる。僕と同じく湯上がりらしく、仄かに上気した顔にドキッとした。が、顔には出さない。何故なら男なら紳士たれとは僕の生きる上でのコツだからだ。
「ギルド、いつ報告しに行こうかと思って」
「あぁ、そうだな……明日の朝一に行こうか。素材もいつまでも持っていられないし」
「そうか。じゃあ今日はもう寝ようか」
ダニエラの提案に頷く。じゃあまた明日、と手を振ってダニエラは自室へと帰っていった。僕もすぐにベッドに潜り込む。あぁ、久し振りの感覚だ……温かいお布団……最高だ……。僕は為す術もなくベッドの船に乗り、夢の国へと旅に出た。
□ □ □ □
翌朝、すっきりした頭と体でギルドへ出社した。実に2週間ぶりだ。フィオナは元気にしているだろうか。と、扉を開けて中へ入った途端、腹に強烈な一撃を食らった。
「んぐっ……」
「アサギくんどこ行ってたの!!」
腹に一撃をくれたのはフィオナだった。突進してしがみついている。
「どこって、コボルトの巣に……」
「2週間も!?」
「事情があってその報告に来たんだ」
そう言うとやっと離れてくれた。まだ脇腹の傷が痛いので死ぬかと思った。
「出来ればキルドマスターと話す必要があるんだが」
と、ダニエラが申し出る。それだけの内容だしな。フィオナは不思議そうな顔をしたが、僕達の真面目な顔を見てハッとしてすぐに踵を返してカウンターの向こうに消えた。エントランスで待っているとフィオナが戻ってきて手招きをする。準備が整ったのだろう。僕達は並んでギルドマスタールームへと向かった。
「で、報告があると聞いたが……何があった?」
ボルドーが前と同じように机の上に座って僕に尋ねてきた。僕達は新装備に性能を確かめる為に坑道跡のコボルトの駆除向かったことから話し始めた。浅いはずの坑道が異常なまでに深かったこと。その穴を掘った原因がホールモール、及びメガモールだったこと。そしてそこに棲みついたコボルトを束ねる王を自称する異常進化個体がスタンピードを画策していたこと。そして、それを討伐。数多のコボルトを駆除し、スタンピードの発生を防いだこと。
全てを話し終え、聞き終えたボルドーが盛大な溜息を吐いた。
「お前はまったく……まずはギルドへの報告が先だろう? 何で潜った? いや、言わずとも分かるがな」
好奇心が刺激されたことはやはり言わずとも分かってしまうものなのだろうか。無茶をしたことは悪いとは思っているが。
「ま、しゃーねーよな。今回はお前らの功績に免じて許す! だが次からは絶対に報告しろよ。でないと恥ずかしい二つ名に改名して言い触らすぞ」
「冒険者人生詰むからそれはやめてくれ」
「なら、報告だ。報告、連絡、相談は冒険者の義務だぞ!」
社会人かよと思ったが雇用され、働いて、報酬を貰うのはまさに会社員だった。深夜アルバイターだった僕も今では会社員か。母さんも喜んでくれるだろう。母さん、息子は立派に剣を振るっていますよ。
「んじゃ報酬の話だ。コボルトの左手、ホールモールの爪、これらは相場から計算させてもらう。そして異常進化個体、アサルトコボルトの討伐報酬。これは俺の判断で払わせてもらう。最後にスタンピードを防いだギルドへの貢献。これは金貨を支払おう。そして報酬合計には俺自身の財布から多少の色をつけさせてもらうからな。心付けってやつだ」
話がどんどん進むが、言ってる内容は理解した。僕達にとって損はない話だ。
「分かった。じゃあ報酬引渡カウンターで待つよ。素材はここに置いていくぞ」
「あぁ。ありがとな。あ、そうそう、アサルトコボルトの素材はどうする? お前らで使うことも出来るが……」
「そうだな……うん、使わせてもらってもいいか?」
「なら鍛冶師を紹介しよう! ギルドお抱えだから良い腕をしているぜ。見ろ、そこの武具は俺のなんだが、鍛えてくれたのはその鍛冶師だ!」
そう言われ、壁際に飾られた鎧と斧槍を見る。ふむ、確かに見事な装備だ。見た目が派手な気がするが、このボルドーの性格を見るにそういう依頼をしたんだろう。髪色と同じ赤い下地に金のラインが走ったフルプレートアーマー。斧槍も燃えるような赤い金属だ。あの次元鉱石を見た後ならあれが火鉱石から出来た武器だと分かる。ちなみに次元鉱石の話はしていない。どんな危険があるか分からないからな。まぁ、深部まで行けば分かることだが。
「んじゃあ、今回は有難うな! ギルドマスターとして礼を言うぜ! この事はまた全ギルドへ報告させてもらう! 銀翆と白風がスタンピードを解決したってな!」
「だから、マジで、やめてくれ!!!」
タイトルはボルドーが拡散した結果でした




