第六十話 修羅場だけどAGI極振りじゃあどうにもならない
「久し振り、アサギくん。ダニエラさん」
此奴は、拙い。
憤怒。正にその表情は憤怒だ。人が持つ七つの大罪。その内の一つである『憤怒』を宿した女性が仁王立ちで僕の前にいる。背は僕よりも低いのに何故か見上げてしまいそうになるのは、僕にやましいことがあるからだろうか。やましくはない……はずだ。
「お久し振りですフィオナさん」
「棒読みなんだけど?」
「すみません上手く話せなくて」
「話せないのは仕方ないにしてもとりあえず、離れたら?」
口調、声音は普段と変わりない。だがその言葉の端々には鋭い棘が隠されて……いない。目に見える棘が僕を針の筵にする。あれほど強固で無敵だったダニエラの腕がそっと僕の腕から離れた。
「応接室借りたからちょっと」
「ちょっと、何? 何するの?」
「ほら行くよ」
「あっ、ちょっと待って、あぁっ」
空いた腕を掴まれ、ギルドの奥へと引っ張られる。振り解けないのは何かの魔法が掛かっているのか?
ダニエラがもう片方の手を握る。引っ張られ、転びそうになりながら振り向くとそこにはデレダニエラではなく、戦闘時のように顔を引き締めたダニエラ先輩がいた。覚悟を決めたということか……なら、僕も覚悟するしかない。冒険の前に修羅場がやってくるとは思ってもみなかったが。
□ □ □ □
応接室に3人で入る。正面にはフィオナ。僕の左隣にはダニエラが背筋を伸ばし、姿勢良く座っている。革張りのソファの座り心地は悪くない。だが何だか背中がやけに蒸れる。革はこういうところ駄目だな。別に汗なんかかいてないのにビチャビチャだ。
「で?」
据わった目のフィオナが僕を見て、ダニエラを見て、再び僕を見る。説明しろと、目で仰っていらっしゃる。
「あの、まずは詳しい説明を……」
「その必要はない」
僕が説明しようとしたらダニエラがインターセプトしてきた。
そして僕の顎を掴み、グイ、と左に向けて乱暴に唇を奪った。
「ふ、ん……っ」
「な、な……!」
応接室には僕のくぐもった声とフィオナの声にならない声とダニエラの吐息だけが響く。
「んっ……はぁ……」
漸く離れたダニエラが僕の唇に熱い息を吹きかけ、潤んだ目で僕を見つめる。そして僕の首に両腕を回し、抱き寄せながらフィオナを見て勝利宣言を言い放った。
「私とアサギは、こういう関係になった。報告が遅れて悪かったな、フィオナ」
「……ッッ!!」
違う意味で顔を赤くしたフィオナがキッと僕を睨む。ダニエラに抱きしめられている僕はそっと細く靭やかな腕に手を添えてゆっくりと降ろさせた。
「本来、こういうことは僕が言わなきゃいけないんだがな……ダニエラに圧倒されっぱなしで情けなくなる。フィオナに睨まれてちょっとだけ足も竦んじゃったしな」
「アサギくん……」
「すまん。僕はダニエラが好きだ。フィオナが僕を好きだと言っても、僕はダニエラを選ぶ」
フィオナは僕とダニエラを交互に見て、そして大きく息を吸い、そして吐いた。
「まぁ……あたしが勝手に玉の輿に乗ろうとしてただけだしね。口だけで何の行動も起こさなかったところに原因はあるかなぁ……」
僕とダニエラは静かにフィオナの独白を聞く。
「でも仲良くなりたいなぁと思ったのは本当なんだよ? 飲んでばかりの荒っぽいフィラルドの連中より大分魅力的だったし、話してて楽しかったしね。特に何かあるわけじゃなかったけれど、刺激的で楽しかったんだよ?」
困ったように眉尻を下げながら笑うフィオナにダニエラが頷く。
「私もアサギといるのが楽しかった。でも私はフィオナみたいに我慢強くなかったみたいだ」
ある日、ダニエラが話してくれたことがある。
『私は自分の気持ちを理解するのが不得手なんだ。でも理解したらもう後は突っ走るだけだ。寿命の長さに胡座をかいていては機を逃すからな』
そう言ったダニエラは、正に稲妻のような早さで僕の心の大事な部分と成っていった。今じゃダニエラ無しでは駄目な体にされてしまった。
「理解したなら素早く行動。これが生きる上での大事なコツだ。私は今までの人生、我慢ばかりしていたように思う。フィオナだから話すが、私は家族を竜種に拠るスタンピードで失くしている。それからは心を閉ざして只々世界を彷徨う一人のエルフだった。そんな私を変えてくれたのがアサギだ。それを理解してしまった私は誰にも止められないんだ。フィオナにも、アサギにも、そして、私にもだ。私は彼と一緒になった。もう、離すつもりはない」
静かにダニエラの話を聞くフィオナ。その表情には悲しみの色はなかった。
「そっか……あたしじゃあ敵わない訳だ。ゆっくり距離を詰めようとしていた時点で遅かったんだね……うん、分かった! あたしもあたしの気持ちを理解した。もう、大丈夫!」
そう言って笑うフィオナに僕はどうしていいか分からなかった。正直、こんなに好かれることなんて無かったからどれも初体験だ。ダニエラとの毎日はそれはもう薔薇色に相応しいもので、でもその陰でこんな悲しいことが起きるなんて夢にも思わなかった。僕は、僕を愛してくれた人を大事にするつもりだ。けれど、その相手が二人いたら? 考えても考えても答えは出ない。
「じゃあ、この話はここでお終いね! ……アサギくん、そんなに悲しそうな顔をしないで」
「え……?」
「今にも、泣きそうだよ?」
そんな事はない。僕が泣くような場面じゃないからだ。けれど、フィオナの気持ちを考えれば考える程、言い様のない気持ちが込み上げてくる。その気持ちは、確かに悲しかった。
「アサギくんがそんなに思ってくれるのは本当に嬉しいよ。でもこれは私の問題だから、アサギくんは抱え込むことないんだよ。その気持ちだけであたしは十分だから」
気丈にも笑顔で言うフィオナを見ると、比例して悲しさが込み上げてくる。だけど、これ以上はお節介だろう。こんなにも強い彼女を悲しむなど、侮辱もいいところだ。僕はダニエラの手を握り、立ち上がる。
「分かった。じゃあ、そろそろ行くよ」
「うん……」
ダニエラを連れて、応接室の扉を開けて外に出る。フィオナは座ったまま、動かない。
「フィオナ」
「うん?」
振り向かず、少し震えた声で返事をするフィオナに僕は、僕の気持ちを伝えた。
「また来る」
これからも関係は変わらない。立場が違えど、仲良くすると約束したのだ。これで終わりにして良いはずがない。これは僕の我儘だ。拒まれても、僕は約束は違えない。
「うん……っ! またね!」
振り向いたフィオナはいつもより明るく、眩しい笑顔だった。その目には涙が浮かんでいたが、それでも、笑顔だった。
そっと、扉を閉める。扉の向こうからは何も聞こえない。静かなギルドには何の音もしなかった。次に彼女に会う時は、きっといつも通り。元気で気安い友達のギルド員と、我儘で頑固な友達の冒険者。その隣には僕が好きな、フィオナの友達がいるはずだ。あの草原を駆け抜けた仲間は永遠に変わること無く、ずっと一緒なのだと僕は確信していた。
「行こう、ダニエラ」
「あぁ、アサギ」
僕は好きな人の手をギュッと握る。好きな人も僕の手をギュッと握る。それだけで僕の心拍数は上昇する。
それでも僕はやっぱり、悲しかった。
祝60話です。これでも僕は三日坊主なのですよ。




