第五十六話 自覚する気持ち、自覚した気持ち
唇の感触がはっきりと分かる頃、僕の意識もはっきりしてくる。何、そんなに時間は経っていない。ほんの0,何秒だ。
「ぷぁ……あ、アサギ…………?」
「い、いや……これは、その……何というか……」
目の前のダニエラの顔が瞬間湯沸かし器のようにみるみる沸騰していく。視界の端で握り拳が作られるのを見た。
「せ、説明させてくれ!」
「い……良いだろう。聞くだけ聞こう……」
何とか説明の機会を得られたので、僕は深呼吸する。夢の内容は思い出せない。しかし怖かった記憶はある。怖かったのだが……何というか、言葉に出来ないが、怖くなかった感もある。非常に混乱しているのが自分でも分かる。が、夢から覚めた後に思ったことは僕が素直に思ったことだ。本音というやつだ。それをダニエラに説明しなくてはいけない。
「最近、僕はダニエラによく助けられているんだ。ダニエラが意識しているかは分からないけれど、僕はとても助けられている」
「ん……」
「ふとした時、ダニエラが隣にいることがとても頼もしく感じるようになった。いつも側にいてくれることが、僕の当たり前になったんだ。でも、それに胡座をかいちゃいけないって思う。そう思うように心掛けているんだ」
「立派だと思う……」
言葉少なだが、ダニエラが相槌を入れてくれる。それにありがとうと返しながら僕は気持ちを吐露する。
「いつでも隣にいるダニエラが頼もしく、そして愛おしく感じるようになった」
「い、愛おしく……」
また、頬を染めるダニエラを見て、『あぁ、やっぱり、そうなんだな』と改めて自覚する。だから僕は言葉を続ける。説明ではなく、告白を続ける。
「あぁ、最初は頼りになる仲間だと思ってた。ベオウルフと戦った時、泣いてくれたダニエラを見て、頼りにしてるだけじゃ駄目だと思った。隣に立てるように努力しようと思った。それからダニエラを追い掛けていくうちに、君のことが好きになった」
「アサギ……本当、なのか?」
「あぁ、嘘じゃない。長々と説明してしまったが、その、纏めると、何だか怖い夢に魘されて、慌てて起きたら好きな人の顔が目の前にあって、思わず口付けしてしまったんだ……どうか分かってほしい」
伝えるべきことは伝えた。こんなタイミングになってしまって、ムードもへったくれもないが、今言わないと僕は一生言えない気がした。ダニエラはゆっくりとベッドから離れる。僕は返事を待ちながらじっと見つめた。
「その、少し……考えさせてくれないか?」
その返事は保留だった。まぁ、いきなりだったしな……当然だろう。
「分かった。さっきは本当に突然のことで悪かった」
「わ、私も悪かった……珍しくアサギが起きてこなくて、呼びに来たんだ」
昨日は遅くまで起きていたからか……酒も入っていたし、な。勿論、今はまったく酔っていない。
「悪かった。今日はどうする? 防具屋に行く予定だったが……」
「あ、後で行こう。1時間後に、宿の前でいいか?」
「あぁ、分かった」
僕は頷いてベッドから出る。ダニエラは一度、僕の方を見てから部屋を後にした。パタン、と扉が閉まるのを見届けてから僕は体内の空気を全て吐き出した。
「はぁぁぁ……どうしよう……振られたら立ち直れない……」
ドサリと再びベッドに寝転ぶ。眠気はないので二度寝の心配はない。寧ろ目が冴えて冴えて仕方ない。今ならゴブリンが1000匹来ても蹂躙出来る自信がある。しかし後悔しても仕方ない。とりあえず、準備をしなくては。と、重い体を動かして僕は鞄から着替えを取り出し、風呂へ向かった。途中、誰ともすれ違わなかったのは寝坊した所為だろうか。一人で浸かる湯船がいつもより広く感じた。
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私の頭の中は真っ白な塗料をぶち撒けられたかのように真っ白だ。こんな風に冷静を装ってはいるが、思考力は全く無い。まだゴブリンの方が賢いだろう。
目の前に私が頼りにしている仲間の顔がある。距離はゼロだ。密着している。主に唇と唇が、だ。
普段は私の方が起きるのが遅いのに、今日はアサギの方が遅かった。だから、部屋に呼びに来ただけだった。けれど返事もなく、試しに扉の開けようとしたら鍵も掛かってなくあっさりと開いた。だから、部屋に入った。脱ぎ散らかした上着なんかを見て、『あぁ、そういえば逆の状況もあったっけ』とクスリと笑ったりして、部屋の主がいるベッドへ向かう。閉じられたカーテンを開けば明るい陽光が部屋へ差し込み、惨状がはっきりと私の目に写った。
「仕方のない奴だなぁ」
なんて、呟きながら未だに眠りこける私の相方を起こしにかかった。
「アサギ、朝だぞ。そろそろ起きろ」
「んん……」
「アサギ、起きろ。アサギー」
腕をグイグイと引っ張ってみるが起きる気配がない。さらに声を掛けているとだんだん魘されてきたのでぎょっとした。
「アサギ! おい、アサギ!」
「お客様……お客様……」
どんな夢を見ているんだ。店員にでもなったのか?
「誰がお客様だ! 起き、うわっ、ちょ、離せ馬鹿!」
と、呆れていると急にグイ、と腕を掴まれた。寝惚けているのか引っ張る力は強い。思わず私は空いていた手をベッドについた。
「ふが……あれ……?」
漸く目が覚めたか……と、やっぱり呆れ半分で薄っすらと目を開けたアサギを見つめる。此奴もこんな一面があるのかと、微笑ましく思っていたら、目と目が合う。しかしその目にはいつもの溌剌とした色がない。
「アサギ? えっ、んむ……っ!」
そして私の頭の中は真っ白になった。ものの数秒で離れたアサギの顔と、首元に回された腕、そして鮮明に残る唇の感触が、はっきりと意識させた。私は、アサギに唇を奪われたのだと。
「せ、説明させてくれ!」
それが私の唇を奪った男の第一声だった。まるで浮気現場を見られた男のような台詞だったが、私は寛大だ。そして慎重だ。
「い……良いだろう。聞くだけ聞こう……」
震える声でそう答える。どんなことが起ころうと、私はいつでも話を聞く準備が出来ている。私は寛大である。寛大であることを心掛けている。だから、こんなに頭の中が真っ白に沸騰していても私は相手の言葉が耳に届く。そして慎重な私は理解する。アサギの言った説明とは、告白そのものだったことを。
部屋から出た私は考え込んだ。正直、私は自分の気持ちを理解するのが不得手だ。あのスタンピードから、心に蓋をすることが多くなってしまった。しかし蓋をしてばかりでは生きてはいけない。表面上だけでも、会話は必要だ。だからほんの少しだけ、蓋を開けることが増えた。一人で旅をしていた時は常に半開きの状態だ。必要なことを話し、必要な態度を執った。
長い間そうしてきたが、それが崩れたのはアサギとの出会いだった。多分、きっかけはそれだ。ずっと一人だった私が、何故かこの男とパーティーを組みたいと思った。その時の気持は私自身も分からない。尤もらしい理由を付けたが、その理由を付けた私自身の気持ちが分からなかった。それも一緒に過ごせば分かるのだろうか、なんて思っていた矢先にベオウルフの襲撃だ。何とか傷を負わせたが、奴の反撃は凄まじく、あの脚に踏まれ、今にも殺されそうになったアサギを見て私は竜種に踏み殺された家族を幻視した。死ぬかもしれないあの瞬間、それでも私を庇ったアサギに私は心の蓋が外れ落ちた事を自覚した。
あの時、きっと私はアサギに心を許したのだ。
私は自身の過去を話して聞かせた。アサギは優しく微笑みながら温かいスープを差し出してくれた。あの時の味は今でも忘れられない。あの温かさと優しい味が、彼の心なのだと思った。それから私は、彼を意識していたのかもしれない。言葉の端々や、態度から、心の中で一喜一憂していた時も確かにあった。
それでも、私は自分の気持を理解するのが不得手なのだ。だから、ああして唇を奪われるまではっきりと自覚出来なかった。
私は部屋の窓辺に飾ってあった服を手に取る。アサギが初めて買ってくれた服だ。こんな素敵な服が着れたらなと柄にもなく思っていたのをあっさりと見抜かれ、プレゼントされた。
ふと、部屋に差し込む陽光を見る。眩しくも温かいそれに私はアサギを幻視した。そして慎重な私はもう一度考える。しかし考えるまでもなく、今すぐにでもこの服に袖を通したいと思う私の心が、アサギへの答えなんだと不得手ながらにも理解していた。
ここでも告知しなきゃと思いながらすっかり忘れてました。ツイッター、始めました。@kamifuuuuusen
です。よろしくお願いします。
そして活動報告でも告知していたのですが見事に”f”と”h”を間違えていました。正しくは”f”です。
申し訳ありません、アサギの台詞を一部改編しました。告白はしたけどキスしてしまったことの説明を忘れてました。
読み直して頂けると助かります。よろしくお願いします。




