第五十五話 酒、肉、夢
指定されていた酒場の名は『牙と爪』という。何とも冒険者向きに名前だなと思いながら扉を開けて中へ入る。店内を見て驚いた。店名の荒々しさとは打って変わって落ち着いた内装で、ムードめいた照明が店内を照らす。『銀の空亭』でも見た間接照明っぽい内装はスピリスの伝統なのか、流行りなのか。多少気圧されながらも店内を見回していると探していた人物が手を挙げて僕を導く。レックスだ。
「待ったか?」
「いんや、さっき来たとこさ。ダニエラもよく来てくれた。さ、飲もうぜ」
「まずは麦酒だな」
ダニエラが店主に麦酒を頼んでいたのでそれに便乗して僕も同じものを頼む。
「ここは落ち着いた雰囲気だろう? だからあんまり冒険者達も来ないんだ。あいつらは騒ぐために酒を呑むからな。俺らみたいなのは飲むために来るのさ」
レックスが肩を竦めながら言う。確かにフィラルドのギルド内酒場はいつも騒がしかったっけ。ああいうのも悪くはないが、こういった雰囲気も嫌いじゃない。足繁く通わせてもらおうかな。
と、まったりしていると麦酒が届いた。ダニエラの分も受け取り、手渡しながらレックス達と向き合う。
「じゃあ乾杯するか?」
「そうだな、僕達の出会いに」
「出会いに」
カツン、と軽く当て合い、中身を飲み干す。あまり酒は飲まない方だが、此奴は飲みやすくていいな。度数もそれほど高くないみたいで喉が焼けるような感覚もない。
「自己紹介がまだだったな。改めて俺はレックス。剣使いだ」
一番最初に森で目が合った奴だ。そして最初に攻撃したのも彼だ。
「俺はダリウス。あの時はありがとうな」
大剣使いの彼は背負ったダニーと共に逃げる所を僕が助けた。あの時は本当に危なかった。
「僕はウェズリー。助けてくれてありがとう」
「俺はベニーだ。俺とウェズリー、レックスは剣持ちだ」
前衛ばっかりだなぁ。と心の中で呟きながら握手をする。
「ファリッドだ。短剣が得意だ」
「サイモンです。僕は弓を使うけど基本、荷物持ちさ」
後衛1に前衛6ね……と、どうしてもネトゲ脳で考えてしまう。いかんいかん、うちも基本的に前衛だ。僕もダニエラも遠距離攻撃出来るけれど。
「どうもよろしくな。僕はアサギだ」
「私はダニエラ。『白風』の二つ名も貰った」
早速ダニエラが二つ名自慢をする。と、場がにわかに騒がしくなる。
「おいおい二つ名持ちかよ……すげぇな、羨ましいぜ」
「俺らもそのうち貰えるのかなぁ。先は長そうだが……」
と、各自が口々にいいないいなと羨ましがっている。そんなに良い物なのか? 二つ名ってのは。
「ちなみにアサギは『銀翆』の二つ名持ちだぞ」
ダニエラがいらんことを言う。
「アサギ、お前、マジですげぇんだな!」
「いやぁ、二つ名持ちに助けられたなんて自慢出来るな!」
「握手してくれよ、銀翆!」
「いや、別に嬉しくないんだが……握手もやらんぞ!」
わいわいと冒険者共が群れてくる。ええい離れろ! ダニエラはいつの間にか頼んだステーキ肉を美味そうに食ってるし、これじゃあ落ち着いた雰囲気とか台無しじゃないか!
そんな風に騒がしく、けれど他の酒場よりは多少大人しく飲み食いした。ここの料理は絶品で、僕とダニエラは先を競うように腹に詰めていった。特に肉料理は最高だ。テレビのリポーターが『歯がいらないくらい柔らかい!』とか言ってたのを胡散臭ぇと思って見ていたが、実際にそういう肉があるということを初めて知った。本当に美味しかった。足繁く通うことを誓いながら、腹に肉と酒を詰め込む。気付けば辺りの客も帰りだして、時間は深夜に差し掛かる頃となった。
「んじゃあそろそろ解散すっか」
「だな。今日は誘ってくれてありがとう、レックス」
立ち上がったレックスに良い店を教えてもらった礼を言う。レックスは肩に腕を回してケラケラと笑いながら『良いってことよ!』と耳元で叫んだ。
店を出て、レックス達と別れた後、僕達はまっすぐ宿に帰った。夜のスピリスは賑やかだったが、僕もダニエラもお腹いっぱいで寄り道する元気もない。深夜遅くに『銀の空亭』に着いたがエントランスには明かりが着いていた。扉を開けるとヨシュアさんがカウンターで仕事をしていた。
「おや、アサギ様。それにダニエラ様も」
「お疲れ様です。お仕事ですか?」
書き仕事をしていたらしいヨシュアさんはペンを置いてダンディスマイルで答える。
「えぇ、会計の整理です」
「遅くまで大変ですね」
「いえいえ、これも仕事ですから。それに、もうすぐ終わるところでしたから。鍵をどうぞ、アサギ様」
こうして話しながらも淀み無く僕とダニエラの部屋の鍵をスッと差し出してくれるからこの人は凄い。ホテルマンって感じだな。
「ありがとうございます。ヨシュアさんも無理なさらないでくださいね」
「えぇ、ありがとうございます。私も寝るとします」
苦笑しながら片付けるヨシュアさんを見て釣られて笑う。
「ではおやすみなさい」
「ごゆっくりどうぞ」
丁寧な礼に会釈を返して部屋に向かう。3階が僕の部屋だが、ダニエラも3階だ。だがお互いに別々の部屋を取っている。僕はダニエラに鍵を渡して自室へと入った。歩いたり話している時は実感が無かったが、割と酔っていたらしい。ベッドに入ると僕はものの数分で夢の世界に旅立った。
夢で僕はコンビニの仕事をしていた。懐かしい制服を身にまといながら深夜のお客さんの相手をする。色んな愚痴が出てしまう時間だ。夜遅くまで働くサラリーマン。酔った客の送迎をする代行タクシーの運転手。仕事終わりにコンビニに寄ったキャバ嬢やホスト。深夜のお客は実に様々な人生観を持っている。
掃除やら何やらをやり終えてまったりしていると一人のお客さんが来店した。スウェット姿に財布だけ持ったそのお客はスナック菓子やジュース類を籠に詰めていく。適当に雑誌を立ち読みなんかしたりして時間を潰してからレジにやってきた。
「いらっしゃいませー」
「……」
無言のお客さんなんてのは普通だ。色々愚痴を吐いていくお客さんの方が特殊だからな。だから僕は何も思わない。機械の如く、バーコードを読み取っていくだけだ。
「2150円になります」
「……」
「はい、3000円お預かりします。850円のお返しです。ありがとうございましたー」
商品を詰めた袋を取ってを広げながら差し出す。が、お客さんはそれを取ってくれない。
「お客様?」
「……」
「あの……」
無言で此方を見つめるお客さん。思わず見返すが、そのお客さんが相当な美人であることに今更気が付いた。しかし何処かで見たことがあるような気もする。タレントか何かか?
「朝霧」
「えっ」
「朝霧……アサギ……」
僕の名前を呼ぶお客さん。何故知っているんだろうと考え込む。が、考えれば考える程に頭の中が霞がかったように思考がまとまらなくなる。
「アサギ……アサギ……」
「お客様? えっ、ちょっと」
お客さんは商品じゃなく、僕の手を掴む。ひんやりとした手は美人でもちょっと怖い。
「ちょ、お客様、はなし……っ」
「アサギ……アサギ……」
「こ、困ります、お客様、困ります!」
「アサギ……!」
「あーっ、お客様!」
ギュッと僕の手を、腕を掴む様子がおかしいお客さんを見ながらだんだん意識が不鮮明になる。体も水中を揺蕩うように揺れてくる。
「アサギ! おい、アサギ!」
「お客様……お客様……」
「誰がお客様だ! 起き、うわっ、ちょ、離せ馬鹿!」
「ふが……あれ……?」
薄っすら目を開けると謎のお客様がダニエラに変わっていた。僕に覆いかぶさるようにしている。顔は真っ赤だ。状況が分からない。が、何だか怖い夢を見ていた気がする僕は目の前の見知った顔が酷く懐かしく、愛おしく思えた。
「アサギ? えっ、んむ……っ!」
気付けば僕はダニエラに腕を回して唇を寄せていた。




