第五十一話 スピリス帰還
由緒正しき古代エルフの剣を杖にしながら平原都市スピリスを目指す僕は、ついに暮れて星が見えだした空を見て盛大な溜息をついた。歩き出して数分でこれだ。夜の帳が降りた平原は危険だ。だが足を止めている暇はない。いつ、この右足の氷が溶けるかわからない。今は微量の魔力を流して維持しているが、それも時間の問題だ。大分魔法、使っちまったしなぁ。
気配感知を使い、辺りを気にしながら前へ進む。夜の風が波のように草原をなぞるのを眺めながら、足は止めない。グラスウルフは近辺にはいないらしく、平穏そのものだ。だがそういう時に限って厄介なことは起こるのが最近の僕だ。まるで主人公補正のようだが、違うだろう。存在しないものを気にしたところで仕方ない。僕は今、不幸にも強盗に刺され、気付けば異世界で、ちょっとした縁で出来たエルフの仲間と旅して、ひょんなことから単独でワイバーンを倒しただけの一介の冒険者だ。あれ……それだけ聞くと何だか主人公っぽい……?
なんて馬鹿な事を考えながら歩いていると気配感知が何かの接近を察知した。5時の方向から複数の何かが近付いてくる。まぁ、魔物だろう。
立ち止まり、鞘から抜いた剣を構えながら振り返る。すると視線の先の茂みが揺れ、次の瞬間、飛び出してきたのはゴブリンだった。錆び付き、ボロボロになった武器とも言えないような剣を振り上げて果敢にも攻め込んでくる。が、ゴブリンじゃあ僕は倒せない。向かってくるゴブリンの動きに合わせて剣を袈裟懸けに振り切ればゴブリンは斜めにズレ落ち、横に薙げば真っ二つ。縦に振り下ろせば右半身と左半身に分かれておしまいだ。流石は古代エルフの剣。本物のチートだ。
だが此奴を抜くのは剣技を習得してからだと決めていた。自分の命が懸かった場面とはいえ、まだ半人前でありながらこの剣を振るうことはかなりの自己嫌悪だ。
「背に腹はかえられないとはいえ、情けないなぁ……」
手にした翡翠の刃を見て呟く。あぁ全くもって情けない。後悔と自己嫌悪の海に沈みながらゴブリン製の武器を虚ろの鞄にしまって再び歩き出す。絶対町に戻ったら剣買おう。大将に貰った剣くらい良い奴買おう。腰に下げた折れた剣を見て僕は心に決めた。
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歩き始めて1時間が経過した。夜の闇にその明るさはよく見える。スピリスだ。はっきりと町並みが確認出来る距離まで帰ってきた。何度かゴブリンの襲撃はあったが必殺のネガティブスラッシュで真っ二つだった。鞄の中がばっちいゴブリン剣でいっぱいなのがさらに気持ちをどんよりさせる。
外壁の上には松明を持った衛兵が歩く姿が見える。顔までははっきりとは見えないが、人が居ることが分かると自然と足取りが軽くなった。早歩き気味に平原を進む。
そして、ついに、漸く、遥々と、待ちに待った、スピリスの西門へと辿り着いた。門の前に立つ門番と目が合った。挨拶しようとすると、
「ひぃっ!」
と顔を引き攣らせた。えっ、お化けでもいるのか!? とそーっと後ろを見るが、誰もいない。なにそれこわい。
「あああ、あんたを見てビビってんだよ!!」
「えっ」
なにそれほんとにこわい。僕の何が怖いっていうんだ。
「ち、血塗れじゃないか……!」
「あっ」
そうだった。ワイバーンの腹切った時に頭からかぶってたんだった。あ、なるほど、それでやたらとゴブリンが襲撃してきやがったのか! あいつ等、血の匂いに敏感だからな……。
「大丈夫、安心しろ。大丈夫だから」
「いやいやいやいや怖い怖い怖い怖い! それ以上近寄るな!」
ジャキ! と槍を向けられた。この野郎……僕ァもう本当に辛いんだぞ……。
「町に入れてくれよ……怪我してるんだ。この血は返り血だ」
「何の返り血だ!?まさか、人じゃないだろうな……!?」
槍をしっかり構えた門番が僕に詰問する。
「いや、ワイバーンだ。あっちの森で死んでる」
「は……? ワイバーン……?」
ビビって、槍構えて、そしてついには放心してしまった門番君。もう本当しんどいのでそろそろ面倒臭い。
「ハロルドさん呼んでくれ。アサギが呼んでるって言えば来てくれるから」
「う、あ……わ、わかった。暫し、そこで待て!」
ビクッと正気に戻った門番君が門横の窓付きの扉に寄ってハロルドを呼び出す旨を伝えた。それから扉が開いて西地区担当衛兵隊長ハロルドさんが来たのはものの数分後のことだった。
「アサギ殿!! ご無事か!?」
「あぁ、ハロルドさん。良かった。森でワイバーンに……」
「話は聞いていますぞ。今、隊を編成していたところです。とりあえず、話は中で……」
そう言うとハロルドさんが肩を貸してくれる。そのまま門横の扉の中へ連れられる。中は詰め所のようになっていて、僕はその中の仮眠室のような場所に案内された。そのうちのひとつのベッドに寝かされるが、今横になったら絶対意識を失う自信がある。ハロルドさんに断って座るだけに止めた。
「ワイバーンの番いが発見されたのは報告されています。そして冒険者が挑んで……」
「はい。盾持ちが酷い傷を負って崩れかけていた所に割り込みました。そして冒険者達を逃して一人で戦ってました」
「その、ワイバーンは……?」
ジッとハロルドさんが僕を見据えた。
「やってやりましたよ」
と、疲れた顔で無理矢理ドヤ顔をしてやった。
「……っ! 貴方という人は……! 本当に……!」
フルフルと身を奮わせてハロルドさんが興奮を隠しきれないといった表情で僕を見る。その顔を見て僕はくっくと喉を鳴らして笑う。それに釣られてハロルドさんも笑いだし、やがて二人で仮眠室なのを忘れて大声で笑い合う。
「はー……、色んな意味で腹が痛い……!」
「貴方という人はまったく、無茶をする!」
「だってあんなの、逃げ切れないですよ。絶対殺すって目でしたし」
「だからといって討伐するなんて非常識ですな! ですが、私はそういうの好きですよ」
「くっくっ……ありがとうございます。ところで、逃げてきた冒険者は?」
聞き忘れていたことを聞く。レックスやダニー達は無事だろうか。
「えぇ、此方で保護して中央詰め所の医務室で治療させてますぞ。盾持ちだったダニー殿の傷は深かったですが、スピリスには優秀な医療魔術師がいますからな。峠は超えたそうです」
「そいつは良かった。本当に……」
あの時、身を挺してでも割り込んで良かった。僕が踏ん張ったことで助かったのだ。本当に良かった。
「では私は編成した隊でアサギ殿が仕留めたワイバーンを回収してきます。大地に還ってしまうのは勿体無いですからな!」
「えぇ、頼みます。あぁそれと、僕のパーティーメンバーのダニエラに、僕がここに居ることを伝えてもらえると助かります」
「お安い御用ですとも! では、うちの医務室で治療を受けてゆっくり休んでください!」
これで一段落、か。ハロルドさんが再び肩を貸してくれた。二人で医務室まで歩き、医療魔術師に右太腿の切り傷を魔法で治療してもらった。初めて魔法で怪我を治してもらったが、なんか、変な感じ。西洋医術に慣れた僕に言わせればは跡が残らない縫合術って感じだ。
無事に怪我も治療し、医務室のベッドに横になる。あぁ、酷い一日だった。まさに異世界冒険譚って日だった。ベッドに沈んだ僕の脳裏に今日の事が繰り返される。木から降りて、グラスウルフを倒して、でかい気配を追ってみたらワイバーンで……
「助けられて、良かったなぁ……」
段々と意識が薄れていく。少し休もう。目を閉じると何も考えられなくなった。そしてそのまま、僕の意識は夢の中に旅立った。




