第五十話 君子危うきを制する
「ぬぁっ! くそ!」
開戦の一撃はワイバーンの尾だった。それをバックジャンプで避けて着地。そして踏み込んで鋼鉄の剣を突き出す。狙いは攻撃後の隙だ。体を振って放たれた尾を避ければ側面部に隙が生じる。その脇腹目掛けて剣を突き出す。が、ワイバーンも流石に先の戦いで学習したのか翼を下げて骨子の部分で防いで邪魔をする。使い物にならない翼でも、今は盾だ。
防がれたことに悪態をつきながら素早く離脱する。僕目掛けてワイバーンの頭が迫っているのが見える。僕を噛み殺そうと開いた竜の顎から1本1本が鋭い剣のような凶悪な牙が覗く。《森狼の脚》の加速で迫る剣山から逃れる。そして距離を置いて最初の打ち合いは終わる。僕も、ワイバーンも、これで小手調べは終わった。
僕は右手で鋼鉄の剣を握り締める。そして先程の冒険者、レックスのように、だがレックスとは違って、左手に新たに剣を握る。最近は生み出すのも慣れた。脳内のイメージも安定して、魔力消費も抑えられてきた『氷剣』。
透き通った氷の剣は紺碧のオーラを纏って僕の左手に納まる。ピキピキと空気に触れて剣が鳴る。漏れた魔力が空気中の水分をも凍らせていく。そして両足に纏うは銀と翠の風。今の僕が用意出来る最大戦力だ。
今、この場にはあの誰よりも頼りになる白エルフの彼女はいない。バリスタも、厳しい訓練を経て統制された衛兵隊もいない。僕、一人だ。
なら出し惜しみは出来ない。しちゃいけない。油断すれば死だ。
はぁぁ……生き残る為には此奴を倒すしかない。時間を稼いで、逃げ切れれば衛兵隊がどうにかしてくれるだろう。レックスが無事に町に着けば必ず連絡が行く。だがダニーと呼ばれたあの盾持ちを抱えてではどんなに急いでも時間は掛かる。夕方頃に兵を出せれば御の字だろう。なら、もう倒すしかない。目の前のワイバーンを。たった一人で。
「ふっ……!!」
ワイバーンが咆哮と共に突進してきた。油断なく見据えながら跳ねて空中に逃れる。尾の先まで視界に入れながらさらにスキルの力で何も無い『空』を踏みつけ、弾丸のように飛び出し、龍鱗に覆われた体を鉄剣で切り裂く。しかしやはり弾かれ、ギャリィィンとまるで金属と金属がかち合ったような音を立てた。
出し惜しみはしない。さらに僕は奴から貰ったスキルを最大限に行使する。頭の中には《器用貧乏》が4分割で《森狼の脚》の使い方を映像で説明してくれる。僕は集中に集中を重ねる。4分割の映像を1画面の映像へと変換する。元々、この4分割の画面は僕の防犯カメラの映像が根本だ。なら画面の最大化が出来るはずだ。そう信じれば、脳内の映像は一つとなった。出来ることをしただけだ。無理なことなんてない。
その映像では僕は鋭い蹴りを放っている。魔力の流れ、流し方も体が理解する。風を纏った足で蹴りを放てば、そこからは銀色の鎌鼬がワイバーンの体を襲った。
「ギャウ……ッッ!」
予想外の魔法攻撃に油断したか、鎌鼬が届いたワイバーンの足にいくつもの鋭い切り傷が出来、鮮血が吹き出す。しかしそれでも致命傷にはならない。多少、行動を阻害出来ただけだ。
振り向き、竜の魔力に寄って練り上げられた風弾が射出される。今までにはなかった攻撃だ。だが僕には当たらない。右に左にとジグザグに避けながら接近してワイバーンの攻撃範囲に入る。迫る牙をさらに身を低くすることで躱して胸元を、今度は氷剣で斬りつける。すると切っ先が肉を切り裂いた。鋼鉄の剣では切れなかった体なのに……。夥しい血が降り注ぐ中、激痛に暴れる足元から離脱した。ひょっとして、これは……。
「もしかして、魔法攻撃なら効く、とか?」
誰にともなく呟いた。目の前の暴れ狂うワイバーンを見て、確信した。魔法による鎌鼬が効いた。魔法で作り出した氷剣も効いた。これならいける……?
と、確信した瞬間、僕は油断した。
「ガアァァアアア!!! アァァアアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア!!!」
怒りに任せて突進してきたワイバーンの速度は今までに見ない速さで、僕は油断した。咄嗟に離脱出来ず、防御の姿勢をとる。鋼鉄の剣と氷剣をクロスさせたところでまるでトラックのような、だけどトラックよりも硬い塊に跳ね飛ばされた。
「んっっ、ぐぅぅ……っ!!」
《森狼の脚》による風の噴射で威力を相殺出来るか試すが、それも虚しく背後の大木に激突した。
「あ、が、はっ……」
息が出来ない。背中を強く打った所為だ。視界もチカチカする。霞んだ視界はモノクロだ。あー、レジ裏で刺されたのを思い出す。だが今はそんなこと思い出してる場合じゃない。モノクロのワイバーンが怒りに染まった目で此方を睨んでいるのが見える。まずは離脱だ、と《森狼の脚》で空へ逃げる。空を踏んでさらに離れる。このまま逃げれば奴は大量出血で死ぬだろう。多分。竜の回復力が分からん。僕は空を走りながら頭を振って意識をはっきりさせる。視界に色が戻った所で振り向くとワイバーンが全速力で追いかけてくるのが見える。
ふと、右手が軽いことに気付いた。ワイバーンを見据えながら視界に右手を持ってくる。
「あ? うっわ!?」
大将の鋼鉄の剣が真ん中からぽっきり折れていた。鋼鉄の剣だぞ!? つか、剣先どこ行った! と、激突付近から離れた僕は見つかるはずもない剣先を探して見回す。と、おかしなことに剣先は見つかった。
僕の太腿に、突き刺さっていた。
それを視界に収め、意識した途端、激痛が僕を襲った。
「いってぇぇえええ!!」
痛い痛い痛い痛い痛い!!!! 何で気付かなかった!? 刺されたことあるのに!! クソが、まったく分からん!! あぁ、駄目だ、動く度に痛みが僕の視界から色を奪う。どうにかしないといけない。一か八か、僕は右手に握っていた半ばから折れた剣を鞘に戻して折れた剣先を掴む。革の小手に付属した革手袋越しだが握りしめる。
そして、一気に引き抜いた。
「あがあああっ!」
鮮血が吹き出すが、すぐに剣先を捨てて右手で傷口を押さえる。そして乱れる意識を集中させて紺碧の魔法で傷口を覆う。そして手を離せばそこには赤い氷が完成していた。氷魔法で傷口を塞ぐ、出来るもんだな。氷点下の冷たさに痛みの感覚が薄れた。
追いかけてくるワイバーンは僕を必ず殺すという意思の篭った目で睨んでくる。僕は右手に氷剣を生み出して反転、一気に距離を詰めて空中で体を捻り、逆さまになりながらワイバーンの額を両の剣で斬りつける。魔法で生み出した剣なら斬れる。と、思っていたのに額の龍鱗は氷剣を通さない。無残にも2本の氷剣は砕け散った。
あーくそ、氷剣でも駄目ならどうしたら良い……為す術がない。足の傷のこともあるし時間を掛けても良いことはない。何か、何か無いかと辺りを見回して、僕はハッとした。
「ここ……野営地の辺りじゃねぇか!」
そう、今朝まで寝てた場所だ。周辺散策したから分かる。すぐそこに僕が寝た場所もある。ん? ということは、じゃあ!
僕は一番大きな木に走り寄る。そのまま空を踏み、垂らしておいたロープを無視して側の枝に乗る。そこには今朝吊るした虚ろの鞄が今朝と同じままで置いてあった。迷わず鞄の中に手を突っ込み、目的のものを掴み、引っ張り出す。
「古代エルフの剣、これなら……!」
森の遺跡で見つけた剣を握り、鞘から抜き出す。翠色の刃がうっすらと輝く。超魔道時代の遺産の力、信じるしか無い。木の下でワイバーンが大きく息を吸い込んだ。ワイバーンのブレスだ。剣を構えて木から飛び降りる。
「ガァァアア!!」
ワイバーンのブレスが放たれ、荒れ狂う風が枝々を吹き飛ばす。しかし僕の両足の銀と翆の風は負けることはない。僕はブーストを掛けてさらに早く落ちる。そして、眼前に迫った高圧縮されたブレスに対し、垂直に剣を構えた。
「ぁぁぁああああ!!!!」
裂帛とともに森狼の力を最大限に発揮する。一瞬、その場で拮抗する。が、勝ったのは僕だった。
古代エルフの剣がブレスを裂いた。解放された暴風が周辺の木を吹き払う。暴風を越えたその先に見えたワイバーンの顔。開かれた口に剣を倒し、渾身の力を込めて水平に斬り裂いた。
「ゴグァァ……ッッ」
漏らした声と共に吹き荒れていた暴風が止む。顎から首にかけてが、地に落ちる。それと共に溢れ出した血が森の地を濡らした。そして、ワイバーンが力無く血溜まりの中に沈んだ。
僕は振り抜いたままだった残心を解いた。息を吐き、地に墜ちたワイバーンを見据える。血溜まりの中のワイバーンは僕の剣閃によって息絶えた。僕が、倒した。一人で倒せた……。《森狼の脚》の風を納めた。体中がボロボロだ。とにかく休みたい。が、そんな暇はない。すぐに荷物を集めて、スピリスに向かわなきゃ……。暴風によって落とされた虚ろの鞄を拾い、鞘に収めた剣を杖代わりに歩き出す。すぐに町に帰らないと、倒れそうだ。こんな所で倒れたら新鮮な餌だ。
暮れ出した日が森を照らす。その光を背に、僕は満身創痍の体を引き摺り一路、スピリスを目指した。
戦闘描写…状況描写…難しかった……。頭の中の光景を文にするのは本当に難しいです。ワイバーン編、終わります。




