第三百八十五話 上社朝霧がロスタリカでダニエラの知り合いに出会った
誰かが僕の体を揺すった。
「アサギ殿、交代の時間です」
「ん……ありがとう、今起きる」
見張りをしていた兵士だった。眠い目を擦りながら体を起こし、天幕を出る頃にはすっかり目が覚めていた。寝起きが弱かった頃に比べれば成長したもんだ。
見上げると月が煌めいている。夜明けにはまだまだ時間があるみたいだが、僕は朝までの担当だ。
「ふぅ……」
消えかけていた焚き火に薪を焚べて水を入れた鍋を吊るす。お湯が沸くまでの間にカップを取り出し、《気配感知》を広げる。……うん、周囲には僕達以外の反応はない。魔物も動物も人間も居ない、静かな夜だ。
コポコポと小さな気泡が出始めた辺りで鍋の中のお湯をカップに注ぐ。
「ふー、ふぅー……あちち……」
白湯も偶には良い。氷雪期が過ぎ、暖かい季節になったとはいえ、夜はまだ少し冷える。ゆっくりと飲み込んだ白湯の味気ない暖かさがじんわりと体を内側から温めてくれる。
事前に魔物を駆除し、危険のない場所にした野営地での夜の見張りというのはとても暇だ。こんな時はいつも《器用貧乏》先生と一緒に頭の中で戦闘訓練をしている。
敵がこう来たらこう返すとか、そういうことの繰り返しだ。大体旅の間はこういう風に夜を過ごしている。
「《深狼の影》に武器を渡して戦えないかね……」
色々と上げた熟練度と手に入れた武器。これを同時に扱えたらとても便利なのだがと、実際の様子を映像で再生してみたが……。
「なるほど、駄目か」
以前、同じように実際に使ってみた時は僕が手にした武器をコピーして使っていた。僕が何も手にしなければ、影もまた手ぶらだ。だから影を操作して武器を握らせようとしてみた。
だが何故か影の手は武器をすり抜けて持てないみたいだった。理由は分からないが。
ただ、武器に触れることで……触れてるか微妙なところだが……影武器を生成出来るようになることが判明した。
「いちいち用意してやるのは面倒だけど、虚ろの腕輪なら楽だし、実際に武器を持った僕が増えるというのはリターンがでかいか……」
これからは多対1という構図が増えてくる。その中でも有利な状況にするためには《深狼の影》は重要な力だ。これを上手く扱えるか否かで戦況は大きく変わってくるだろう。
結局僕は空が白んでくるまで《深狼の影》の開発に勤しんだ。お陰で色々と出来ることも増えたが、ちょっと疲れてしまった。
「おはよう、アサギ君」
「あ、おはようございます」
欠伸を噛み殺していると店長が天幕から出てきた。それを皮切りにぞろぞろと皆が出てくるので、朝食の用意を始めた。
と言っても簡単な物だ。適当に刻んだ野菜と肉を鍋で煮るだけの簡単な料理である。ただ、調味料は町で仕入れた物を僕がミックスさせた物なのでその辺の素人が作る料理よりは自信があった。
□ □ □ □
皆が料理を食べ終え、出発の準備が整った。昨日と同じように一皮剥けた兵士君が御者席に座り、僕達は後部座席に乗り込む。
「では出発します!」
パシンと鞭が馬を打ち、一鳴き。ゆっくりと馬車が動き出した。
今日の天気は晴れだ。雲ひとつない、という訳ではないが、青い空がよく見えるのは気分が良い。
馬車道も何度も行き来があったのだろう。大きな穴も岩もなく、平坦で揺れも少ない。実に平和である。
昨日の一件もあり、御者の兵士君も大人しい。しかし落ち込んでいるような雰囲気はなく、むしろ僕のように長閑な空気と温かな陽気に身を預けて気持ち良さそうにしている。
長閑な馬車旅は、そのまま夕暮れまで続いた。王都も近付いた所為か、魔物も見なかったので快適に距離を稼げた僕達は王都近郊の衛星都市『ロスタリカ』で宿を取れることになった。
今夜も野宿だと思っていた僕達だったが、こういうイレギュラーも悪くない。結果的にダニエラの夜勤交代制は無駄にはなってしまったが、その譲歩があったお陰で兵士達との仲も深まり、こうして酒場に繰り出したりしている。女性陣は明日に備えて寝ると言っていたので今夜は男だけだ。
「今日は僕の奢りでーす!」
「ありがとうございます!!!!」
「敬礼やめろ敬礼!」
もう酔ってるんじゃないかってくらいテンション高い。まぁそれも無理はないだろう。此処はこの界隈でも有名な場所だそうだ。オススメある? って聞いたら教えてくれた。
何が有名なのかは僕も分かってない。前情報皆無だしな。
「お邪魔しま~す!」
と、兵士達の間で何飲もうか考えていたら知らない人が沢山やってきた。綺麗なドレスを着た女性だ。
「ん? 誰かの知り合い?」
「何言ってんスかアサギさん! 此処の店員さんですよ!」
「え? ……あっ、この店アレか! キャバクラか!」
全然気付かなかった。慌てて店内を見渡すと、薄暗いがそれぞれの席に女性が座り、客の男性にお酒を注いだりしている。
「ヤバい……ダニエラに怒られる……」
「何飲みますかぁ?」
一人頭を抱えていると隣に座った青い髪の女性が覗き込んできた。
「あー、えっと……じゃあ果実酒ください」
此処まで来ておいて飲まないのも店に失礼か……と、とりあえず飲める物を頼む。
「ふふ、随分可愛いの飲むんですね?」
「あはは……」
小悪魔的笑みを浮かべる店員さん。何か人気ありそう。こういう店には来たことがないから全然馴染めない。
若干引き気味の僕の前にお酒が2つ並べられる。そうか、店員さんも飲むんだっけ。何か聞いたことある。一緒にお酒を飲んで会話を楽しむシステムだったか……。喋る為の時間にお金を払い、相手の飲むお酒のお金も払うお店だ。
「じゃあアサギさん、乾杯の音頭をよろしくお願いします!」
「マジ……?」
今すぐ帰りたい僕と違って全員テンションが高い。
「あー……えっと、特に山場とかなかったけど、無事王都付近までやってこられたことを祝して、乾杯!」
「かんぱーい!」
わぁっと声が上がり、兵士諸君が一気に酒を飲み干す。良い飲みっぷりだ。そしてすぐに次の酒を注文している。対して僕はゴクゴクっと少なめに流し、喉を潤した。
「お酒苦手なんですか?」
「そうでもないですけど、今日はちょっと」
「ふぅん?」
小首を傾げて曖昧な顔をしているが、店員さんも一口二口と唇を湿らす程度に抑えている。
「お兄さん、彼女持ちでしょ」
「んッ! ゲホッ、ゲッホ!」
意外と味が好みだったので自然と口に含んでいたお酒が突然の口撃に焦り、咽た。
「ふふっ、図星だぁ。だって最初と全然違うんだもん。お店の様子見て変わったから、知らずに入ってきたんだろうなぁ~って」
「鋭いですね……」
「偶に居るからね、そういう人」
小悪魔的な笑みは消え、素の顔で笑われた。僕はいたたまれない気持ちで酒を飲んだ。
「周りの皆、兵士なんですけど、お世話になったからお礼にって。知らなかったとは言え、出る訳にもいかないから困ってます……」
「仕方ないよ。お兄さん、冒険者でしょ? この町は初めてかな」
「そうですね。名前は聞いたことあるんですけど」
ロスタリカ。だいぶ前にダニエラの口から出たのを覚えている。ダニエラが冒険者登録をした町だ。それ以外の情報はまったくない。
「この町も有名になったってことかな」
「どうですかね。彼女が冒険者登録したって聞いただけだから」
「……それってどういうこと?」
「え?」
どうも何も、別に不思議な話ではない。何処の町にでもある冒険者ギルドで、冒険者になったという話だ。
「この町には冒険者ギルドはないよ?」
「えっ? ない?」
「うん。大昔のギルマスが犯罪行為をした所為で王都から罰せられて、この町ではギルド活動が出来なくなったんだ」
「大昔……」
ダニエラが若い頃だから大昔でも間違いはないが……そういえば彼女は青い髪だから青エルフだ。もしかしたら事情通なのかも。
「店員さん、もしかしてその頃の事とか……」
「まぁ、知ってるけどね……エルフだし。……あっ、もしかして彼女さんって」
「はい、エルフです。白エルフ」
「白エルフ? もしかして……ダニエラって名前だったりする?」
「そう、ですけど……えっ、知り合い?」
まさかダニエラの名前が出てくるとは思わなかった。
「やっぱり……この町で冒険者になった白エルフとかダニエラしか居ないし……そうか、あの子、この町に来てるんだ」
「えっと……」
「あぁ、ごめんなさい。ちょっと昔、ね」
含みのある言い方だ。あまり昔語りをしないダニエラの過去を知っている人だから是非聞きたいところではあるが、表情を見る限り、綺麗な思い出ではなさそうだった。
「ダニエラ、こんな良い彼氏さん捕まえて、羨ましいな」
「いやそんな、彼女置いて酒飲んでるような奴ですよ」
「知らなかったんだからしょうがないでしょ? ウジウジしない!」
ペシンと太腿を叩かれた。ダニエラは怒らないとは思うけど、完全に気持ちの問題である。
「幸せそうで良かった! うん、本当に良かったよ」
「……絶対に不幸にはしない、です」
「あはは、親に挨拶してるみたいだよ」
そんな気持ちだった。
「ダニエラによろしく伝えてね。フレイが彼氏ゲットおめでとうって言ってたとも」
「……はい、伝えます。ありがとう、フレイさん」
ダニエラがこの町に来たのはきっとスタンピードを生き延びてすぐの事だろう。家族や友人を亡くした直後、彼奴がどんな状態かは分からないけれど、相当きつかったのは想像出来る。僕だったらきっと耐えられなかっただろう。
それでも生きる為、生きる術を得る為に一人、この町まで歩いてきた。その時、フレイさん出会えたんだろうな。
その後は他愛のない話をして1時間半程で店を出た。色んな収入のお陰で助かったが、次はもっとお手頃な店に行きたい。普通の店でお願いします。




