第三百八十二話 ダニエラの故郷
レイチェルにお願いしたソル・ソレイユのことだが、あれは松本君を引き入れる為の手引だ。松本君が参戦してくれるなら百人力だ。松本ハーレムも加われば千人力である。
しかし国が絡んだ立場である松本君を簡単に連れ出すにはレイチェルの助けが必要だ。
って、ダニエラが教えてくれたのでそれを実行した。確かに内部の人間が手続きしてくれた方が色々と手っ取り早いだろう。
多少時間が掛かっても正規の手続きをした方が角が立たないんじゃないかなーなんて僕の考えを正面からぶち壊すダニエラの案は正に天才のそれだった。レイチェルの都合なんて考慮しない傍若無人っぷりは流石の一言に尽きる。
しかしレイチェルもすぐに察してくれた辺り、僕が思ってたよりも正当な判断だったのかもしれない。ダニエラに任せておけば問題ないということである。
「よし、行こうか」
「あぁ」
宿を出た僕達はやってきた町の入り口までやってきた。此処で店長達と待ち合わせだ。多少は時間が掛かるだろうからとベオウルフとの会合は僕達だけで参加したからタイミング的にはちょうどいいはずだが……。
「あっ、せんぱーい!」
「おー、寒い中待たせてごめんな」
「大丈夫ですよ!」
声の聞こえた方を見るとレモンが手を振っていた。この雪景色の中でのレモンの灰髪は良い具合にマッチしていて綺麗だ。僕も髪をアッシュグレーにして陽キャデビューしようかな。
「店長は?」
「リンドウさんはお世話になった人に挨拶してから来ると言ってました」
「あぁ……そうか。邪魔しないようにしなきゃな」
別れの挨拶は神聖な儀式だ。別れがあるからこそ、再会がある。ちゃんと別れないと絶対に後悔するからな……。
「レモン、食うか?」
「あっ、いただきます!」
ふぅ、と白い息を吐き出し、門の壁にもたれ掛かりながらダニエラがレモンに餌付けしている様子を眺める。彼奴の腕輪の中には何本の串焼きが入ってるのだろう。
そうして長閑な二人の光景を眺めていると、通りの向こうから店長が歩いてきた。グイ、と反動で壁から背を離し、ザクザクとダニエラ達の方に歩くと、すぐに察したダニエラが振り返り、僕の姿を確認してから通りの方を振り返った。
「レモン、支度しろ」
「はいっ」
レモンもすぐに雪の上に下ろしていたリュックを拾い、腰の剣を確かめる。僕もダニエラも荷物要らずではあるが、何となくその姿を見て背中が寂しく感じた。
「待たせたね。さ、行こう」
合流した店長に頷き、踵を返す。少ない日数の滞在だったが、結構良い場所だった。この町だけがエレディアエレス法国。敷地は町の外だが、何処までかは分からない。関所もなければ国境の壁もない。
それでもこの長閑な雪の国が発展することを祈ろう。いつかまた、ゆっくりと旅をしてこの国に来たいものだ。
□ □ □ □
法国首都と言っていいのか、あまり知識がないのでちゃんとした名称が分からないが、エレディアエレスを出て数日が経った。
雪原はすっかり溶け、今は豊かな草原を踏みしめている。
「しかし……あれだな。スノーアラクネ……油断出来ないな」
と語るのはダニエラだ。
町を出て少ししたくらいだったか、スノーアラクネの群れに襲われた。此処で語るべきはレモンの奮闘とスノーアラクネの美しさだろう。
高純度の火鉱石を使用した片手剣はスノーアラクネの氷魔法を溶かし、脚をスパスパと切り裂いた。上半身の見た目が人間とそっくりとは言え、魔物は魔物。あまり良い気分はしなかったがしっかりと処理させてもらった。
その中でも1匹だけとても綺麗な……魔物に使うべき言葉ではないかもしれないが、魔物娘スキーである僕は敢えてその言葉を使わせていただこう。
とても美しい純白のスノーアラクネが居たのだ。店長が言うにはあれは群れのボスらしい。勿論、僕が美しいと言うからにはボスは雌のアラクネだ。
ふくよかなボディを隠すような純白の癖のない長髪。下半身は蜘蛛特融のそれもタランチュラ系の肉厚なボディ。しかし其処から伸びる8本の脚を覆う純白の微細毛。その細かくモフモフな体毛の隙間から見え隠れする脚はスレンダーだが力強さを感じる。まさに美しいとしか言い様のない魔物だった。
あの魔物と僕は1対1で向き合った。運悪く3人とも他のアラクネと戦っていた所為で、加勢がなかった僕は一瞬、戦慄してしまった。
美しさの中から溢れんばかりの殺気と、それに見合う強さを感じ取ってしまったからだ。僕のような凡人でも感じる程の殺気と強さ。尋常ではないだろう。
だからこそ動きが止まってしまったが、あろうことはあのスノーアラクネは僕を襲うことなく、品定めをするように、僕の頭の上から爪先までじっくりと見た後、急に踵を返して逃げ出してしまった。
呆気に取られたのは当然と言えるだろう。まったく理由が分からなかったからだ。あれ程の強さを持ちながら、僕に恐れをなしたとは思えない。だからこそ意味不明だった。
そんな僕にダニエラが雪玉をぶつけ、働けと怒鳴った。我に返った僕は周囲を取り囲むスノーアラクネを蹴散らし、難を逃れた。
「いやー、しかしあのスノーアラクネは綺麗だったな!」
「先輩、またその話ですか?」
レモンに白い目で見られるが、それ以上にあの魔物は白く美しかった。
「いい加減にしないと浮気認定するぞ」
「悪かったって……そんな怒るなよ」
「ふん。まったく油断も隙もない……アサギも、スノーアラクネも」
あんまり僕が言うものだから此処数日のダニエラは拗ねっぱなしだ。反省せねば……。
「さ、さて……そろそろソル・ソレイユだと思うんだけど」
「上手く話題を逸らしたね。ふふ、だけど残念。あと2日ってところかな。もう少しの辛抱だよ」
店長のツッコミと含み笑いをスルーして《神狼の眼》で視界を飛ばす。あぁ、遠くに何か建物が見えるな。関所のようだ。
「流石に首都近辺ともなると魔物も出ないなぁ」
「この先に関所兼砦があるからね。其処から兵がやってきて魔物退治をするのさ」
「砦ですか?」
急に物々しくなってくる。改めて見ると、確かに砦と言えるかもしれない。大きい建物だ。
「昔、この辺りで魔物のスタンピードが発生したんだよ」
「スタンピード……」
「それも……」
と、店長の言葉を遮るようにダニエラが続きを紡ぐ。
「竜種のスタンピードだ。成体のな」
「それって……!」
「あぁ。昔、この辺りには私の住む集落があった」
思わず息を呑んだ。此処が、この何もない草原がダニエラの故郷……?
「と言っても、もう200年近く前の話だ。今は習慣として魔物狩りが続いているだけだろう」
「そっか……」
「何だ、気にしてるのか?」
心配してる僕を心配してるダニエラ。笑みすら浮かべて、気にしてるのは僕だけか?
「まったく気にする必要はない。何度も通ってるしな」
「いや気にするでしょ……」
「ただ昔住んでたってだけだ。そう気にされてもどうしようもない……見渡す限り、ただの草原だしな」
ダニエラが両手を広げておどけてみせる。そう言われたら何も言えない。なので仕方なく肩を竦めた。
ダニエラが気にしてないのに僕がとやかく言うのもよくないか……。
改めて周りを見てみる。何もない。あるのは風に靡く草とポツポツとある木だけだ。この場所で生まれ育ち、才能があれば確かに《新緑の眼》も発現するだろう。悲しいが、遮蔽物がないから風がいつもより心地良く感じる。
「いい場所だろう。この風の中で育ったんだ」
「あぁ、気持ち良いね……心が穏やかになるっていうか、気持ちが落ち着くね」
店長の長い黒髪が風に靡く。レモンも風を受けて気持ち良さそうに目を細めている。こんなに気持ち良い風だ。一人でネガティブになっているのは勿体無い気がしてきた。
「ダニエラの故郷か……!」
改めて思えば、愛する人も故郷にやってこられたのだ。嬉しくない訳がない。ダニエラに僕の故郷を紹介出来ないのがちょっと寂しいが、この広く美しい草原を目に焼き付けよう。
《神狼の脚》を発動させ、空を踏んで駆け上がる。向かい風を全身で受けながら駆け上がり、上から草原を見下ろすと、ダニエラ達が楽しそうに手を振っていた。僕はそれに応えるように滑空しながら宙返りしたりと曲芸じみたことを披露してみせる。
すると想像以上にわーきゃーと喜んでくれたので気を良くした僕は酔って吐きそうになるまで上ったり下りたり滑ったり瞬間移動したりを繰り返した。




