第三十八話 戦いは終わり、森は広く
残るオークはあと1匹。此方は僕とダニエラの二人だ。視界の端でダニエラが樹上から降りてくるのが見えた。
「アサギ、油断するな」
「あぁ」
オークを見据えたまま短く返事を返す。まずは当たらないことを前提に、だ。
「ブゴォォォオ!!」
眼前のオークが吠える。だがそれに気圧されることはない。ベオウルフの咆哮に比べれば可愛いもんだ。両足を開き、いつでも動けるように身構えながら握る二振りの剣を腰だめに構える。鋼鉄の剣と氷剣はそれぞれ重さが違う。氷の剣の方がだいぶ軽い。なら氷剣で牽制して鋼鉄の剣で攻撃がセオリーだろう。
オークが手にした棍棒を振り上げた。真正面の僕に向かって振り下ろす。しかし残念ながらそんな馬鹿正直な攻撃は当たらない。地面に足を踏み込み、爆発的な速度でその場を離れる。AGI特化型の戦いを始めよう。
避けた勢いのままオークの脇を抜けてすれ違いざまに氷剣で横っ腹を切り裂く。首を落とした剣だけあって切れ味は申し分ない。痛みに鳴くオーク。振り向きざまに力任せに振った棍棒を見てからしゃがんで回避する。頭の上をゴウ、と重い風切り音が横薙ぎに飛んでいく。しゃがんだまま弾丸のように飛び出し、次は鋼鉄の剣で足首を力いっぱい斬りつける。スパン、と抵抗無く足首が飛んだ。
「ブギャアアア!!!」
バランスを崩したオークはグラリと揺れて地面へと倒れる。僕は息を整えながら油断なく剣を構える。窮鼠猫を噛むという言葉があるように、追い詰められた敵は何をするか分からない。
「アサギ、止めだ」
背後から聞こえるダニエラの声に頷いて、一歩踏み出す。
するとその音に反応したオークが狂ったように暴れだす。棍棒を我武者羅に振り回してとてもじゃないが近づけない。こういう時こそ魔法だろう。幸いにも相手はその場から動けない。
僕は鋼鉄の剣を地面に刺して手にしていた氷剣を水平に持つ。そこへ魔力を注いでイメージを具現化する。ゆっくりと剣が浮かび、その切っ先をオークへと向ける。力を込めながら氷剣を握っていた手をオークへ伸ばす。そして脳内の引き金を引く。射出された氷剣はまっすぐにオークへと飛び、その額に突き刺さった。
反動で後方へ吹き飛び、木に激突するオーク。大きな音を立てて揺れた木から突然起こされた鳥達が飛び立つ。心の中で謝りながら、ゆっくりと息を吐き、突き立てていた鋼鉄の剣を取る。
「ふぅ……」
「お疲れ、アサギ」
弓を握った拳を伸ばしてきたダニエラに応対して鋼鉄の剣を握った拳を伸ばしてぶつける。このやり取り、ダニエラが結構気に入ってるんだよな。僕も気に入っている。仲間感溢れるよね。
「あの棍棒、危ないな」
「オークの怪力に棍棒……驚異的だな。油断したら体を持っていかれるぞ」
本当にな……まったく、恐ろしい相手だった。
僕は倒したオーク達を見やる。脳天に矢を立てて絶命したオーク。地面に縫い付けられ首を落とされたオーク。そして足首を切り飛ばされ額に氷剣を突き立てられたオーク。時間にしてみれば数分ではあるが、激しい戦闘だった。
□ □ □ □
二人して野営地へと戻る。オークの討伐証明として牙を回収した。牙といってもフォレストウルフと違ってオークの牙は太くて長い。フォレストウルフの鋭い見た目とは違う。あれは完全に食う為に牙だったが、オークのそれはまさに攻撃の為の武器といった感じだ。
その牙を片手に疲弊した体を運ぶ。見上げた空は少し雲が出て朧月が浮かんでいる。もう2時間程で月は沈み、太陽が昇るだろう。
「連日の夜襲はきっついなぁ」
「旅なんてこんなものさ。一人はもっと大変だぞ?」
そう言われて一人の旅を思い出す。確かにあれはな……。もう木の上で寝たくない。狼とかゴブリンが生息する森なら木の上でも何とかなるだろう。でもこれがオークなら? きっとへし折ってくるだろう。見たことはないしいるかも分からないが、猿型の魔物なんていた日には木の上の安全性は皆無となるだろう。
「ダニエラは一人だった時はどうやって旅をしていたんだ?」
ふと気になり尋ねる。
「完全に一人というのは本当に危険だから数回しかない。普段は商隊と一緒だな。護衛任務等で追従するんだ。一人の時は寝ない。火を絶やさず、気配感知を全開にして緊張感を途切れさせず、朝を迎える」
うえぇ……地獄じゃん……。
「まぁ、木の上ならば、多少は安全だろうな?」
からかうようにダニエラが覗き込んでくる。僕はふい、と目を逸した。
□ □ □ □
さて、漸く朝だ。お片付けを終えた僕達は出発前に忘れ物が無いか確認する。
「そっち大丈夫か?」
「あぁ、問題無い」
「よし、じゃあ行くか」
野営地を後にして森を歩く。時々現れるゴブリンを倒して武器を回収して、また歩き出す。お小遣いがどんどん増えていく。
「しかしこの森もなかなか広いな」
後ろを振り返ったりと周りを見ながらぼやく。多少切り開かれてはいるが、やはり林道といった雰囲気はなく、油断すればすぐに遭難だ。遊歩道的な石畳でもあれば良いんだが……。
「しかしもうすぐ森を抜けるはずだ。予定通りならな」
凝った肩に手を当てながらグリグル回したダニエラが言う。僕も鞄を背負い直しながら休まず歩く。
すると気配感知に何かが引っ掛かる。
「うん? 魔物か?」
「いや、これは……人か?」
後方から人らしき気配が迫ってくる。そういえばこの旅で人には会わなかったな。タイミングの問題だろうか。ならここで会うのもまたタイミングというものだろう。
「結構な速度で来るな……本当に人か?」
怖がりな僕は腰に下げた鋼鉄の剣に手を掛ける。いつだって危機感を持つのが旅のコツだ。
「いや、よく感じてみろ。もう一つ反応があるだろう?」
そう言われて集中してみる。ふむ……確かに人らしき反応に重なって何かもう一つ反応がある。
「これは?」
「馬だな」
ダニエラが言う。なるほど、森の中を馬で駆けているのか。しかし何で森の中を?
「緊急の場合か、あるいは盗賊か……」
腰の細剣に手を掛けるダニエラ。しかし一人で襲いに来るかね?
油断なく身構える僕達の耳に何かが力強く地面を踏みながら走ってくる音が聞こえてきた。ふむ、確かに馬だな。
段々と近付いてくる馬とその馬に跨る人の姿。はて……僕の見間違いでなければ見たことがある人物な気がするのだが。しかしもし、その人物が僕の想像通り、予想通りの人物ならば僕は一刻も早くここを離れたい。
「ダニエラ」
「しっ」
小さくそういって人差し指を口の前に立てるダニエラ。話を聞いてほしい。
「ダニエラ」
「何だ」
「逃げよう」
「何で」
「いいから」
『何なんだ』と苛立ち混じりに僕を胡乱げに見やる。早く走って逃げよう。きっと面倒なことになる。
焦りながら馬の来る方面を見る。あぁ、ほら、もう……元気に手なんか振ってるじゃないか。
「アサギくーーん!」
あの気安い声が耳に届く。
「何故彼女が……?」
「絶対面倒くさいやつだこれ」
片手で顔を覆いながら溜息を吐く。もう間に合わない。
「アサギくーん! おまたせ!」
元気いっぱいな声が頭上から振ってきた。手をどけるとそこには馬に跨ったフィオナが満面の笑顔で僕を見ていた。




