第三百七十五話 レイチェルとの交渉
レハティと別れ、その場で空間への扉を開く。アパートの壁の前に見慣れた路地裏が出現した。改めて見ても不思議な光景だ。
「なるほど、次元属性の魔道具……それも異空間へ繋ぐ繊細で強力な物だな」
「分かるのか、ユウナギ」
いつの間にか姿を現していたユウナギが顎に手を添えながら観察している。不用心だが後ろ姿くらいなら変わった服を来たでかい女にしか見えない。
「私の姿を隠す魔道具も次元属性の物だ。空間を捻って光を屈折させ、姿を隠すのだ」
「ふむ……原理的には可能だが、余程高度な技術がなければ難しい魔道具だな」
「それをなし得たのが、エルフ族だ」
なるほど、そう言われると納得出来る。古代の超技術があればそれも可能だろう。もしかしたら、レイチェルも出来るかも。
早速ダニエラを先頭に玄関空間へと入る。もしかしたらユウナギは弾かれるかもと思ったがそんなことはなく、3人揃って路地裏へと入ることが出来た。
ダニエラが側の窓をノックするが、反応がない。
「仕事中って言ってたから忙しいのかも」
「忙しいのは私達も一緒だ。入らせてもらおう」
少々乱暴な論理だが、頷いてダニエラの味方をしておいた。レイチェルには悪いが僕はダニエラ派なのである。
窓に鍵は掛かっていないようで、ガラガラと開けたダニエラが入ったので、それに続いて僕とユウナギも入った。中はいつもどおり……ではなく、少々散らかっていた。脱ぎ捨てた服が畳の上に散らかり、空になった茶碗がちゃぶ台の上に転がっている。
「忙しいというのは本当らしいな」
「あんまり刺激すんなよ」
二週間の修行を経て奴を師匠扱いしている僕としては怖いので帰りたい。けれどそうもいかないのが世知辛い。絶対機嫌悪いしなぁ。
居間を抜けて奥の廊下を通り、別の部屋の襖を開ける。其処はまた散らかっていたのだが、何かの素材とか、そういうのが転がっていた。これは触っちゃいけないやつだな。
ダニエラもそれを察したのか、そっと襖を閉じる。ユウナギが反対側の襖を開けているが、其処にも居なかったようで同じようにそっと閉めていた。
「何じゃ、誰かおるのか?」
なんてやってると廊下の奥からレイチェルがやってきた。そっちに居たのか……。
「おぅ、レイチェル。戦争だよ!」
「いや意味分からんし。ワシ忙しいんじゃけど」
ということで事情を話した。是非レイチェルにも参戦してほしいと、土下座する勢いで。レイチェルはじっと目を閉じてだんまりだ。
「確かにワシが戦場に出れば、戦力にはなる」
漸く口を開いてくれたのでそれを邪魔しないように姿勢を正して続きを待つ。
「しかし次元属性というのは戦後に影響を残しやすいのじゃ。かと言って神狼の姿で戦えば、後々狩られるのはワシじゃ。分かるな?」
「それは……まぁ」
確かに、今は共通の敵が居るが、それが居なくなれば次の脅威が的になるだけだ。それは僕やダニエラだって危うい。
「だから力を制限して、尚且ランブルセンの宮廷魔術師として出よう。どうせ泰史も呼ぶのじゃろう?」
「そのつもりだ。そういう形で参加してもらえるならとても助かる」
「僕もダニエラと同じ。来てくれるだけでも嬉しい」
二人で頭を下げるとレイチェルが嫌そうに鼻を鳴らした。ツンデレめ。
「ところで……そっちの娘、鬼か」
「あっ、はい。ユウナギ言います。よろしくお願いします」
借りてきた猫とはまさにこういう状態か。
「鬼が出てきたということはアサギ、独鈷も持っておるな?」
「あぁ、うん。返したけど」
「そうか。ユウナギよ、悪いことは言わん。独鈷は使うな。あれは戦争の種にしかならん。ワシが本気で戦えない理由と一緒じゃ」
確かにあれはチートもいいところだ。干ばつを解消し、攻め込むにも最強の武器だ。あれが人の手に渡れば、どうなるかは目に見えている。
「けど私は一族の為に戦わんと……」
「戦うだけならいくらでも手段はあるじゃろ。戦うことも大事じゃが、戦った後のことも考えよ」
レイチェルの言うことは尤もだった。戦うだけなら簡単だが、その後の事も考えないといけない。こればかりは本当に難しい問題だ。これが正規軍とかそういう公的な役職があればまた変わってくるのだが、野良は難しい。
「どうしても使いたいわけではないのじゃろう?」
「それはそうや……種族全体の問題になるなら、使わない方がええに決まってる」
「ん。まぁ、本当に危ないと思った時の判断は任せる。悔いのないようにな」
「……わかりました。よろしくお願いします、レイチェルさん」
「くすぐったいからさん付けはやめぃ」
照れ臭そうなレイチェル。ユウナギも何処か照れているようで頬を掻いている。うん、無事に顔合わせ出来て良かった。
「仕事中に悪かったな。そろそろ行くよ」
「うむ。次は法国か」
「あぁ、エレディアエレス法国だ。確かレイチェルの生まれ故郷だったっけ」
「其処では生まれとらんけど、まぁ国内ではあるな」
雪国かぁ。寒いのは氷雪期で懲り懲りだったけど、また逆戻りか。体調崩しそうで嫌だな。
行きたくはないが、行かなくてはならない。そろそろお暇しようと腰を上げると、レイチェルも見送ってくれるのか立ち上がる。
「そろそろ行くよ。船の予約もしなきゃいけないし」
「私も皆連れて行かんと……」
「鬼族の移動問題はワシが請け負うとしよう。霧ヶ丘付近であればちょうどいい場所があるしの」
何処かあったっけ。あの辺だとフィラルドが近いが……。
「まさかフィラルドまで送るのか?」
「町中は拙いじゃろう。エルフ族の遺跡があるから、其処が良いと思うんじゃが」
「あぁ、彼処なら安心だ」
僕がベオウルフと初めて出会った場所でダニエラと一緒に戦った場所だ。彼処なら道から外れてるし人も来ないだろう。あの町の冒険者はアレなので奥深くまでは入ってこないだろうし、安心出来る。
「じゃあユウナギはレイチェルの指示に従ってくれ。私達は先に行く」
「戦いが近くなったら呼びに行くよ。場所は分かるし」
「ん、分かった。こっちも準備してからその遺跡行くから、早めに呼んでや」
これでバッチリだ。鬼族は遺跡で待機。僕とダニエラはこれから船に乗ってエレディアエレス法国へ行って店長と合流、鍵を入手して南下。ランブルセン共和国王都ソル・ソレイユで松本君を勧誘して、霧ヶ丘へ行く。
……しかし共和国なのに王都というのはどういう理由なんだろう。王様も居るって言ってたな。松本君に会った時にでも聞いてみるか。
「じゃあレイチェル、後は頼んだ。頼りにしてるからな」
「うむ、全部任せてはよ行け」
小さな足で僕の尻をぐりぐりと押すレイチェル。妙に痛いのが腹立つ。
このまま弄られるのも嫌だし、さっさと行こう。船もそんなに便はないだろうし、時間を無駄にしたくない。
レイチェルに急かされるように居間へ行き、窓に手を掛ける。
「じゃあ、またな」
「うむ」
「世話になった」
「うむ。……ふくく」
僕達を見てニヤニヤしている。気持ち悪い奴だな……何か気になるな。
「まぁいいや……よいしょ、っとぉぉぉぉおおおお!?」
「おい離せアサギぃぃぃぃぃぃああああああ!!」
「ぶははははははははははは!!!」
窓から出た瞬間、空へと落とされる。慌ててダニエラの手を掴んだ所為でダニエラも一緒に落下していく。その様子をレイチェルが窓から身を乗り出して笑っているのが見えた。その腹立つ顔を瞼に焼き付けながら、強制的に意識をシャットダウンされる。
そして意識が戻った時、僕とダニエラは雪の中に転がっていた。




