第三十六話 最後の夜
ダニエラによると、先程倒した群れはたまたま此方へ流れてきた群れだったらしく、もう何もないだろうということで僕は再び毛布に包まった。それから数時間後にダニエラに起こされ、夜勤交代だ。
地球とはまた違う空を見上げながら火の番をする。初めての夜同様、3つの月が大地を照らす。この世界に来てそろそろどれくらいだろうか。多分もう1ヶ月は過ぎている。怒涛のような日々に押し流されて1ヶ月記念パーティー、開けなかったな。
東から太陽が昇る。陽の光に照らされて森の木々の間から朝日が差し込む様は幻想的だ。少し勢いが弱まった焚き火に薪を焼べながら朝食の用意をする。と言っても生肉はダニエラ先生が食べてしまったのでいつものスープだ。
千切った干し肉が入った鍋に手を翳す。手からダバーっと水が出るイメージをして魔法を行使する。ひたひたになるくらいになるまで水を入れたら火にかける。最近はこうして魔法で水を用意している。軟水をイメージしているので口に含んでも違和感はない。煮沸する必要もないので安心安全だ。
グツグツと煮えてくると出てくる灰汁を匙で掬ってその辺に捨てながら肉が柔らかくなるのを待つ。そろそろダニエラを起こしておこうと思い、匙を置いてテントへ向かう。
「ダニエラ、朝だぞ」
「んぅ……もう朝か……」
少しボサついた髪を掻き上げながら起き上がるダニエラ。イケメン指数が高い仕草に胸がドキドキする。気がする。
「顔洗ったら飯にしよう」
「ん……」
足で毛布を端に追いやりながらボリボリと頭を掻きながら返事してくるので二度寝はないと判断して主夫はキッチンに戻る。
沸騰寸前といった鍋の様子に少し慌てながら火から距離を取る。トライポッドがあれば楽なんだがなぁと鍋の中へ虚ろの鞄から取り出した葉野菜を投入する。トライポッドとはキャンプ等で焚き火の上で鍋を吊るすオサレなアレだ。木で組んでもいいが燃えそうだしなぁ。石を積んで棒を通してとも思うが鍋には取っ手しかないので通す場所がない。今度から燃える薪を避ける場所を作っておこうと頷いていると野菜がしんなりしてきたので完全に火から降ろす。ダニエラもちょうど顔を洗って戻ってきたので朝食だ。まだちょっと眠そうだがアサギ特性スープを飲めば目も覚めるってもんだ。
「今日のスープも美味いな……」
「そいつはどうも。頑張って作った甲斐があるよ」
旅に料理は欠かせない。保存食や携帯食で強行軍なんてご法度だ。温かい食事こそ人間らしい生活というもんだ。
「予定では明日、町に着くんだっけ」
「そうだな。名は『スピリス』という」
「スピリスか……」
新しい町の名を聞いて思いを馳せる。どんな町なのだろう。フィラルドのような温かい人に溢れた町だといいなと思う。クソ冒険者なんて居なかった。そうだろう?
慣れてきたお片付けを終えて出発の準備は出来た。今日明日でこの眼前に広がる森を抜ければスピリスだ。さて、鬼が出るか蛇が出るか……。
□ □ □ □
森に住んでいるのは魔物だけじゃない。動物だって沢山住んでいる。猪、鹿、兎に狼。栗鼠のような小動物もちらほらと視界の端で木を駆け上がる。
そして今回、此方の森でお世話になるのはゴブリン先輩だ。
「グギャァ……」
断末魔の悲鳴を漏らしながらドサリと最後のゴブリンが倒れる。手にしていたボロボロの剣を虚ろの鞄にしまって立ち上がる。
「アサギは何でゴブリンの武器を回収するんだ?」
ピッと細剣に付いた血を振り払って鞘に納めたダニエラが尋ねてくる。
「此奴等の武器は何だかんだで鉄だしな。鍛冶屋に売るんだよ」
「ほう……そういうやり方もあるのか」
「ちょっとしたお小遣い稼ぎだよ」
だが馬鹿には出来ない。これが意外と金になる。鉄は何にでも使えるからいくらあっても良いのだ。武器は勿論、防具にも使えるし生活用品にも使える。かさばるので皆、回収しないようだが僕にしてみればそれは『馬鹿なんじゃないの?』と言わざるを得ない行為だ。目の前に落ちているお金を拾わないというのだから。というと語弊があるので念の為に言うが、僕はお財布は交番へ届けることが出来る人間だ。因果応報が僕のモットーだ。
よっこいしょ、と鞄を背負い直してダニエラの後ろに付いて歩く。この森の魔物はゴブリンばかりで、レベル30を突破した僕としては経験値的には味気ない。しかしお小遣い的には非常に有り難い。今は虚ろの鞄もあるしね。時々出てくるゴブリンをダニエラと退治しながら武器を虚ろの鞄に収納する。
そうして迎えた5日目の夜。木の少ない開けた空き地を運良く見つけた僕達はそこを今日のキャンプ地とした。今日は最後の夜ということでちょっと奮発して鹿を仕留めた。昼間のうちに仕留めてバラした鹿だ。その鹿の前足の脛肉を削いでスープに投入する。良い気になって作った2つ目の焚き火の周りに石を積み、そこに腿肉を置いて焼く様はまさに蛮族だ。ちなみにダニエラは見回りでまだこの光景を見ていない。ふふふ、あいつの喜ぶ姿が目に浮かぶなぁ。
「凄いぞアサギ! 美味そうだ!」
と言いながら涎を垂らす残念美人……。なんだかこの旅で僕の主夫力が鰻登りなのは気の所為だろうか?
ジュワジュワと油が落ちる様子を見ながら適度に引っくり返す。焚き火でこの大きさの肉を焼くのは至難の業だが外はカリカリ中はレアが僕のモットーなので本気を出して焼く。勿論、スープも本気だ。手は抜かない。灰汁を取り、じっくりと煮込む。今日のスープには生肉も投入しているので柔らかくなるように火を通す。岩塩を削って入れながら掻き混ぜる。腿肉も状態を見極めながら焼いていく。こうなると酒も欲しくなってくるがここは森の中。酔っていては戦えない。
そういえば森の中で盛大に肉を焼いているが匂いに釣られた魔物が来たりとかするのだろうか。あれ、ちょっと不安になってきた。しかしここまで焼いてはやめられない。主夫の名に懸けて料理を完遂しなければ。そこには一人の主夫が居た。冒険者など居なかった。
「凄くいい匂いがするのだが」
「おぅ、ダニエラ。おかえり」
「ただいまアサギ。美味そうだな」
目をキラキラさせたダニエラが焚き火にあたる。ふふふ、僕の予想した通りの姿だ。主夫冥利に尽きるってもんだ。
「ところでダニエラ先生」
「なんだ、アサギ君」
「森の中で肉焼いて大丈夫? 匂いとか実は凄く心配してるんだが」
「あぁ、それなら大丈夫だ。近くに魔物は居なかったよ」
なるほど、つまり居たらヤバいと。肝に銘じておこう……。
さて、それから十分程で肉博士こと僕の許可が下りる。焼きあがった肉の骨に布を巻いてダニエラに差し出す。
「いただきます!」
ガブ、とワイルドに噛み付いて歯型と同じ形のクレーターを作るダニエラ。破顔した表情が言葉もなく美味しさを語っている。それに続いて僕も鹿肉を食べる。うむ、この旨さ、百点満点だ。
具沢山スープをよそった器に手を伸ばし、匙で肉を掬って食べる。ホロホロと崩れる……まではいかないが柔らかく煮込まれた肉は焼いたのとはまた違った美味しさがあった。ダニエラも僕を見てスープを食す。ダニエラ先生も合格といった顔だ。
こうして最後の食事が進んでいく。実に平和な夜だ。火の色を見ながらゆったりとした食後の白湯を飲みながら今日までの旅路を思い返してクスリと笑う。何だ、普通に楽しい旅じゃないかと。こんな旅がこれからも続くならそれは実に幸せなことなんじゃないだろうか。そんな淡い思いを胸に抱きながら夜空を見上げる。今日はダニエラが最初の夜勤だ。僕は飲み干したカップを座っていた石の上に置いて先にテントへ潜り込んだ。
異変が起きたのは3つの月が天辺を過ぎた頃、丑三つ時のことだった。




