第三百五十七話 魔物化の解消方法
アーサーが教えてくれた洞窟はものの数分で抜けられた。何度も行き来していたのか、照明の魔道具が設置されていたのだ。今回は取らずに其処を抜けた僕達は海を目指すために樹海を通って迂回を始めた。
しかしこれがまたとんでもない労苦だった。
始めの数日は休憩と野営を繰り返しながら、山を左に見ながらまっすぐ歩いた。だがいつまで経っても森は抜けられず、山も離れていかない。改めてとんでもない大きさの山だ。
何度か《神狼の眼》を使おうと思ったが、ポチの言葉を聞いてしまった後ではそれも憚られた。迂闊に使って暴走してしまったら目も当てられない。
まぁ何時かは抜けるだろうと思いながら歩いていたらいつの間にか2週間が過ぎていた。
□ □ □ □
「いい加減、少しくらい使ったって大丈夫だろう」
「いや……まぁ……僕も最近はもう良いかなって思い始めたけどさ……」
「けど、何?」
「今更使うのも何か負けた気がして嫌だ」
「馬鹿野郎かお前は」
キャメロットを出て2週間目の夜。焚き火越しに呆れた顔のダニエラに風魔法をけしかけられて火の粉が僕を襲った。
「あち、あちち! も、燃える!」
「竜種装備は焚き火では燃えない」
「僕が燃える!」
パタパタと服を叩きながら頑張って消火活動を行うが、焦げ目一つついていなかった。僕も火傷一つしていなかった。
「これ以上私を森の中に閉じ込める気か? 使えばいいじゃないか。少しくらい」
「ダニエラは魔物化したことないからそう言えるんだよ……結構、怖いもんだぞ」
先程は茶化してみせたが、この2週間、本当は言い表せない焦燥感のようなものにずっと苛まれていた。背後から巨大な狼に付け狙われているような、焦り。眠れば狼に襲われる夢を見た。神狼の眷属である僕が狼に襲われるなんて、ありえないことだ。そりゃ下級の魔物には分からないかもしれないが……。
この焦燥感や悪夢が自分で自分の首を絞めるストレスとなっているのは明白だった。解消する為にはレイチェルの元へ行き、ポチの両親を加工してもらって安心感を得るしか無い。
しかし樹海は深く、海すらまだ見えない。
先の見えない樹海の中を彷徨ううちに、氷雪期も終わりが見えてきた。最近は魔物の数も増えてきた。しかも此処は樹海の最奥。魔物のレベルも高く、見たこともないような恐ろしく強い魔物が出てくるようになった。
中にはあのパラライズヴァイパーも居た。鋭い噛み付き攻撃には麻痺効果も相乗されるという恐ろしい蛇だった。何とか撃退したが、スキル無しで戦うのはきつかった。
戦闘中は無意識に《神狼の脚》が漏れでるのを、意識して封じていたから精神的にもクタクタだった。
あれから《神狼の眼》は疎か《神狼の脚》も使っていない。キャメロットでの狩りで使ったのが最後だ。あの時感じた違和感が強くなるのが怖かった。お陰でダニエラには呆れられる始末だが、僕はそれよりも自分が狼になってしまうのが怖かった。
ずっと信頼を寄せていたスキルが諸刃の剣となった。牙が剥かれたスキルは敵だけでなく、僕にまで噛み付いてきた。
それは言葉では表せない程に恐ろしかったのだ。
「……分かった」
「ダニエラ……?」
苛立つように吐き捨てたダニエラが立ち上がり、僕に背を向ける。
「レイチェルの元へ行くぞ。今すぐだ」
「いや、それは」
「煩い!」
ビクリと肩が跳ねた。今までダニエラにこんな風に怒鳴られたことなんて無かった。もしかして、僕が怖がって腑抜けてしまったから愛想が尽きてしまったのだろうか。僕はこの樹海に1人、捨てられるのでは……なんて、悪い方向へ思考が落ちていく。
しかし振り返ったダニエラの目には涙が浮かんでいた。
「お前が魔物になるのならば私も魔物になろう。でもなるか、ならないかも分からないのに恐れて縮こまるアサギを見ていたくない」
「……」
何も言い返せなかった。ダニエラの深い愛情が嬉しかったけど、暗に今の僕を嫌いだと言われて悲しかった。その全ての原因が僕にあったから、ぐうの音も出なかった。
「だから私はお前をレイチェルの元へ連れていき、早急に治療してもらうべきだと判断した。その腑抜けた根性を叩き直してもらう」
「ダニエラ……ありがとう」
「ふん」
僕の腑抜けを叩き直すか。ダニエラらしい。
あぁ、僕はいつだって腑抜けの怖がりだ。強盗に襲われた時だってビビって何も出来なかった。呂律すら回らなかった。
こっちに来たら来たでゴブリンや狼に追い回されるし、運良くスキルを貰ったからと調子に乗ったらワイバーンに殺されかけた。
今まで沢山、僕はどうしようもない時をダニエラに助けられてきた。今回もいつも通り助けてもらう。まったく情けない話だ。何時まで経っても成長しない。
まぁ、でも、それでも良いと思った。僕はチートを得てハーレムを築くような主人公補正溢れる人間ではない。
何時だって大事なのは地道に生きることだ。そのコツさえ守れば、僕はずっとずっとダニエラと一緒に歩いていけるんだ。
「ダニエラ、鍵を貸してくれ」
「私が開かなくて良いのか?」
「うん。僕がやりたい」
僕が手を差し出すとダニエラが鍵を渡してくれた。レイチェルが渡してくれた鍵。それに魔力を込めて傍の空間へ挿し込んだ。鍵の先端が見えない空間へ消える。そのまま手首を捻ると、ガチャリ、と重厚な金属音が鳴り、目の前が縦に裂けた。
「荷物はまとめた」
「ありがとう。じゃあ行こう」
虚ろの腕輪にまとめて収納してくれたダニエラに礼を言い、僕達は並んで眼前に広がる路地裏へと入り込んだ。
□ □ □ □
久しぶりの玄関空間は斜陽が差し込む夕暮れ時だった。カラスの声は聞こえないが、何処と無く哀愁が漂う。
しかし外は夜だ。失礼のないように窓をノックする。
「ノックしてもしもーし」
「やっかましいのぅ!」
ガラス戸をノックするとノータイムでガラガラバァン! と勢い良く開かれる。昔ながらの木枠の引き戸は風情があるね。
「おはよう。ちょっと良いか?」
「何じゃ、こんな時間に……まぁ入れ」
何だかんだ招き入れてくれる優しい神狼のお言葉に甘えて靴を脱いで家へとお邪魔した。中はいつもの和室。丸い卓袱台には湯呑が湯気を燻らせている。食後かな。
「で?」
その卓袱台に肘を立て、その上に乱暴に顎を乗せたレイチェルが忌々しそうに僕を睨みながら要件を尋ねる。
「実は今日はさ、結構真面目に困ってるからお願いに来たんだよ」
「ふん……話してみぃ」
僕の様子から居住まいを正してくれる。胡座だけど。レイチェルの聞く準備が出来たのを確認してから、僕はゆっくりと今までの経緯を話した。
「……てことで、ポチから両親の形見を貰ったんだ。でも、身に付けたところで逆に魔物化が進まないか不安で」
「まぁ、魔物化は進まんな」
その言葉に思わず身を乗り出した。
「ほ、本当か!?」
「うむ。魔物化は元々自分にない力に抗うことで始まる現象……じゃとワシは思っとる。ポチの奴もその辺は気付いとったみたいじゃな」
何処か、懐かしそうな優しい目をするレイチェル。
「ワシは元々狼だった。だが北国で食うもんもなかったし、魔物とか食っとったらどんどん自分の中の狼としての本能が強まり、いつの間にか魔物になっとったからな。まぁそれでも4,5年は経ってたから、お主のは倍速じゃな」
元々自分にない力に抗うことで魔物化は進行する。そして僕は倍速。まさかAGIが高いのが原因になってるんじゃないだろうな。
「それも一つの原因じゃな。日本にAGIなんてステータスないからの。それに身に着けたのが竜種装備で、身に付いたのが狼のスキルだったのが災いしたのじゃ。自分に抗い、装備に抗い、スキルに抗い……三竦みの環境がお主に1年未満で魔物化を発症させたのじゃ」
「そういうことだったのか……」
ステータス、装備、スキル。この異世界では当たり前だと思っていたことが僕には当たり前ではなかった。そのズレが、僕の体を蝕んだのか……。
「……ちょっと待て。其処まで分かってて、何故アサギには伝えなかった?」
しかしその事実にダニエラが噛み付いた。だがレイチェルが何処吹く風と言わんばかりに胡座を崩して膝を立てる。
「此奴がワシの眷属になった時点である程度の進行は抑えられるはずじゃった。だが聞けば阿呆みたいなスキルの使い方をして自分を使い潰しそうになった。《器用貧乏》のスキルがそもそもの原因じゃ。手にした物の基礎的な使い方を脳内映像でマスター出来る? んなもんちょっと考えればおかしいと思うじゃろう。終いには相手と自分の動きを脳内映像で演算して戦うじゃと? そんなもん、未来予測じゃ。脳が壊れるのは阿呆でも分かるわい」
ダニエラの指摘に対して捲し立てるレイチェル。その言葉を拾い上げ、反芻しながら、自分がどれだけの事をしてきたかを自覚した。
確かに《器用貧乏》はちょっと変わったスキルだ。スキル自体、あまり見るものではないが、このスキルは僕が強盗に刺され、意識を失う間際に『あんな事やこんな事がしたかった』と願ったから得たものだと思っていた。
でも僕を此処に召喚したのはノヴァだ。無差別に召喚する人間に必ずスキルを付与するだろうか。
考え始めたら止まらなくなるが、答えは見つからない。だから今はその考えを置いてレイチェルに向き直した。
「ある程度のスキル内容は聞いていたがの、そんな無茶苦茶な使い方をしてればすぐに駄目になる。ワシのような魔狼になりたいのなら止めはせんがの」
「それは……困る」
レイチェルの前で言うのは失礼だが、魔物化は正直言って困る。でないとダニエラまで魔物化すると言い出すだろう。それは、嫌だ。
「まぁ、普通はそうじゃ。だから泰史にもスキルの使用は極力控えるように言っとる。彼奴は魔物のスキルは身に付けとらんからそれだけである程度は防げる」
「アサギの身はもう駄目なのか?」
聞きにくい事を聞いてくれるな……。僕はまるでガン宣告を受ける直前の患者のような気持ちでレイチェルの言葉を待つ。
「一度魔物化が始まればそれを解消することは、恐らく出来ん。だが進行を止めること無くスムーズにすることは可能じゃ。言ったじゃろう。魔物化の原因は力と力の反発じゃと」
「じゃあこの毛皮を加工して装備すれば、力の流れはスムーズになるのか?」
僕は畳の上に広げられた大きな2枚の毛皮を横目で見る。
「竜種と神狼の力の反発は無くなるじゃろう。そうすればスキルの使用は問題なくなる。そしてワシともう一度契約をし直す。それにより、神狼の眷属としての結び付きを強く出来る。深狼の契りの上から改めてワシの契約を上書きする形じゃな」
「でもそれじゃあポチとの契りが……」
「安心せい。優先順位をはっきりとさせるだけじゃ。あとはお前の気の持ちようじゃな」
良かった。ポチとの繋がりが消えるのは、嫌だ。
「こうなればその他の反発作用は神狼の力で塗り潰せる。魔物化は進行しないし、寧ろ力は増すじゃろうな。ふむ、一石二鳥じゃな」
「こういう場面では使いたくない言葉だな……」
こっちは死ぬしかないかと思ってたくらいだ。強くなったってあまり嬉しくない。
「ま、そういう訳じゃから、その毛皮はワシに寄越せ。お前の装備を作ってやる。ついでに付与もしてやろうか」
「ありがとう……本当に、助かる……!」
「ふん、お前にありがたがられても気色悪いだけじゃ!」
プイッと顔を逸らしたレイチェルに頭を下げる。隣のダニエラもペコリと礼をした。
「じゃあさっさと出てゆけ! 此方の時間を遅くして作業するから、夜明けには出来てるはずじゃ」
「わ、分かった! ダニエラ、行こう」
「あぁ。ありがとう、レイチェル。アサギを助けてくれて本当にありがとう」
「はよ行け!」
耳まで赤くなったレイチェルがグイグイと僕達を窓へと押しやるから、慌てて靴を拾って窓枠の外へと飛び出した。
「あ、わ、うわっ!」
そしたら久しぶりの感覚。体が空へと落ちていく。僕これ大嫌いなんだが!?
「あ、アサギ!」
ダニエラが僕を捕まえようと腕を掴む。しかしそれ以上の力で空へと引っ張られる。視界の端のレイチェルがにんまりと笑っていた。
「い、いやだああああぁぁぁぁぁぁぁ…………」
「きゃぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁ…………」
手を振るレイチェルに見送られ、二人分の悲鳴が真っ赤な空に響き、真っ直ぐに空へと落ちていき、やがて意識が飛んだ。




