第三百五十四話 アーサーの過去
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豪快な焼き肉が完成した。お母さん方が熱そうにしながら骨を掴んで引っ張り出して木の板の上に置けば完成だ。ワイルド過ぎるぜ……。
「この村の近くの森の果実で作ったソースだ。是非掛けて食べてくれ」
「これは旨そうだ。いただきます」
「いただきまーす」
黄色い、少しとろみのあるソースを掛けて一口。あの焚き火が絶妙な火加減だったのか、それともこの動物の肉質か、ほろほろと肉が骨から外れて口の中でジュワリと脂が染み出る。その旨味と、ソースの甘みが絡んで不思議な味になる。甘いソースというのも存外良いものだ。
「酒もあるぞ。オーク自家製の酒だ」
「凄いな……アーサー達が作ったのか?」
「あぁ。旅の途中で知り合ったドワーフに教わった。果物で作った酒だから飲みやすいはずだ」
本当に凄いな。ドワーフとも知り合うなんて……。大変だっただろう。けれど実のある旅だったに違いない。ただの魔物だったオークに『文化』が誕生している。これは本当に驚くべきことだった。
アーサーが注いでくれた酒を少し飲む。甘くて美味しい。少しミルクっぽいのはもしかして動物の生乳だろうか。
「分かるか? 私達は此処の動物を飼って繁殖させているんだ。その乳を使っている」
「本当に驚いた……言葉も出ないくらいだよ」
「アサギが教えてくれた生き方だ。私にはこの生き方がとても性に合っている」
聞けばこの山に来るまでも動物達と共に遊牧民として生きてきたらしい。流石に樹海内部にまでは連れて行けず、途中で自然に帰したようだが……。
「あの時は寂しかったな……何度も何度も振り返る動物達と別れるのは心が痛んだ」
だが樹海に連れていくよりは生きる可能性が高いだろう。
「まぁ、近くにあった村の方へ向かって放したから、きっと今はあの村の人達と仲良くしてくれているだろう。人懐っこい子達だったから」
「そうか……沢山、旅をしてきたんだな」
「あぁ。とても、長い旅路だったように思う」
少しの沈黙。だが嫌な間ではなかった。僕もアーサーも、これまでの旅路に思いを馳せていた。あの洞窟の中で出会ったオークの王が、今はこうして幸せに生きている。嬉しいなぁ……本当に、それ以外の言葉が出ない。
「あぁ、そうだ。忘れていた」
「ん?」
「これをお前に返さなきゃいけなかった」
僕は虚ろの鞄から白い剣を取り出す。柄も鍔も鞘も白い、聖剣。アーサーがモルドレッドに奪われた剣、エクスカリバーだった。
「あぁ……再びこの目で見られるとは思ってなかった」
「信用してくれてなかったのか?」
「すまない、悪い意味ではないんだ。ただ、あまりにもこの世界は、厳しいから」
「そうだな……この世界で生きるのは、大変だ」
そっと差し出すと、白い大きな手が優しく鞘を握る。ゆっくりと剣を抜き、白銀の刃を愛おしそうに眺める姿を見て、ふと何かが引っ掛かった。
さっき、アーサーは何と言った?
「なぁ、アーサー」
「ん? どうした? アサギ」
「いや、間違ってたら申し訳ないんだが……もしかして、お前はこの世界以外の世界を知ってるんじゃないか?」
「……」
知らなければ、知らないで済む話だ。聞き返されたら、僕は自分の身の上話をするだけだ。
けれど、質問をした途端、アーサーの顔付きが変わった。
「……その話については、二人で話したいが、良いか?」
「勿論」
「……ありがとう。よし、ではまずは腹ごしらえだ!」
ピリッとした空気を掻き消すように明るい声で焚き火の中に手を突っ込んで肉を引っ張り出すアーサー。あまりの豪快さに乾いた笑いで頬が引くついた。
□ □ □ □
適度に酒を飲み、そして肉は食べ過ぎた。パンパンに張ったお腹を撫でながら、アーサーに言われた場所、湖の畔までやってきた。
辺りは真っ暗だ。けれど空の穴に散りばめられた満天の星が優しくキラキラと光る。その小さくも沢山ある光は湖の表面に反射し、また違ったキラキラを満ちさせる。
「……この水、飲めるのかな」
「飲めるが、人間の体には厳しいんじゃないかな」
誰にともなく呟いた言葉を、此方へ歩いてきたアーサーが拾った。
「やっぱり煮沸しないと駄目か」
「あぁ。その点、オークの体は頑丈で良い」
もう隠すつもりもないらしい。
「何時、記憶が?」
「旅の途中、ワイバーンに襲われた時だ。此処に傷があるだろう?」
トントンと指先で頭を叩くが、見えない。アーサーは僕よりも遥かに背が高い。背伸びしたら苦笑しながら腰をかがめてくれた。
其処にはワイバーンの爪で抉られた傷跡があった。頭の天辺から後頭部に掛けて、だ。傷は既に塞がっているが、見ていて痛々しい。
「結構な深手だった。ワイバーンは仲間が何とか追い返してくれたが、私は何日か寝込んでしまった。その時、夢を見たんだ。此処とは違う世界で生きている夢を」
「それで?」
「目が覚めた時、前世の記憶が蘇っていた。私は老衰だったんだ」
アーサーは日本の田舎に暮らすお爺さんだったらしい。妻に先立たれ、1人寂しく日々を生きていたそうだ。
「犬を1匹飼っていてね。だから寂しくなかったよ。名前は……」
「あはっ、ひょっとして」
答えが分かってしまい、聞くまでもなく笑いが漏れてしまう。
「はははっ、あぁ、君の想像通り、ポチだよ」
「あははは!」
何という偶然か。アーサーが昔飼っていたペットが、ケルベロスとなって帰ってきたのだ。名付けはレイチェルだが、それもまた奇妙な偶然だった。
「彼はポチと名乗った。この世界にその名前を付ける者が居たという事に気付いた時、震えたよ。私のような人間……或いは魔物が存在するのだという事に」
「確かにあのケルベロスにポチと名付けたのは元日本人だよ。僕の知り合いだ」
「そうか……やはり居たのか」
感慨深そうに小さく零すアーサー。きっと今までオークに囲まれながらも孤独感を抱えてたんじゃないだろうか。自分が元人間という無視出来ない要素が、思っていなくても隔たりを作ってしまう。僕だったら怖くて怖くてしょうがない。自分を保てないだろう。
「ずっと考えていた。何故、私が今、こうしてオークという魔物になってオークを導こうとしているのか。そしてワイバーンに手酷くやられて、記憶を思い出して、理解した。私は誰かに何かを教えるのが好きだったんだ。私は教師だったんだよ」
ゆっくりと水際に腰を下ろし、落ちていた小石を拾い、手の中で転がす。
「思えば人を襲う事に抵抗があったのは私が人間だったからだろう。そんな私の魔物になりきれない自己満足に付き合って言葉まで覚えようとしてくれる彼等がとても愛おしい。君に助けられた後、本当に彼等は誰も襲っていないんだ。本能を押さえつけて、私に付き合ってくれている。本当にそれが嬉しいんだ」
「アーサーが真摯に向き合って、生きてきたのを見ていたからだよ。こういう生き方がある。それを実行して、成し遂げたからこそ彼等は貴方を信頼して付いてきてくれるんだよ。……なんて、僕みたいな若造が言っても説得力ないけど」
アーサーの隣に腰を下ろし、手頃な石を広い、湖に向かって放り投げる。ボチャン、と静かな空気を震わせた。水面に広がる波紋が反射させていた星を散らかす。
「そんな事はない。君にも沢山学んだ。君の教えてくれた生き方がきっかけとなって私の記憶を呼び覚ましたんだ。その事に私はとても感謝してるんだよ。ありがとう」
「……うん。そう言ってもらえると僕も嬉しいよ」
広がっていた波紋は消え、再び静寂が湖を包む。
「そろそろ寝よう。此処は平和だから夜も安心して眠れるんだ」
「外は危険だしな……そういえば、アーサー達はどうやって此処へ来たんだ? 僕はかなり標高の高い場所にある洞窟を抜けてきたんだが……大変だったんじゃないか?」
「ん? 地表の行き止まりの辺りにあった洞窟をずっと進んでいたらこの場所に出たが……。そうか、上にも洞窟があったのか」
「マジか……」
あのダニエラが雪だるまを作っていた場所の近くに洞窟があったのか……灯台下暗しとは、正にこの事だな。
急に力が抜けた……。すると待ってましたと言わんばかりに睡魔が顔を出す。僕は一つ大きな欠伸をして、キャメロットへ向かって歩き出した。




