第三百五十二話 深狼の影
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スキルが芽生えては統合され、消えていく感覚。例えようのない感覚だ。新しく覚えた知識が実は昔から知っていた事の一部で、たった今覚えたという事実を忘れる……意味不明だ。気持ち悪い。
そんな取捨選択を数度繰り返し、僕の中に一つのスキルが残った。
《深狼の影》というスキル。これがどういうものか、すぐに《器用貧乏》で再生したい気持ちを抑えて僕はポチに礼を言った。
「ありがとう、ポチ。僕とお前は真の友となった。体の奥底でそれを感じるよ」
「貴様と我の間に繋がりが出来た。友としての契だ。勿論、契無しにダニエラとも我は友だと考えている」
「ふふ、気にしなくていい。私もそう思っているよ」
この樹海……此処が樹海という括りで良いかは疑問だが、此処で会う時は大体襲われてるなぁと今更に思う。でもそれだけこの世界が危険で、過酷な世界だからだ。
「しかし、他の人間は別だ。すぐには我も変われないからな」
「あぁ、それで良いと思うよ。誰だってそうだよ」
しかし其処に生きる者全てが悪ではない。アッシュさん達、猫獣人族もポチも善の生き物だと僕は思っている。だからこそ、こうして友達になれた。出会い方一つで全てを決めてしまうのは良くないのかもしれないな……。
アサルトコボルトや、ルーガルーとももしかしたら、友になれただろうか……。
「ところでアサギ達はどうして此処へ?」
「友人に会いに。白いオークなんだが、見たことはあるかな」
「彼等の事か。なるほど、彼等もまた良き隣人で友人だ。案内しよう」
「ありがとう、凄く助かるよ」
良かった。実は縄張り争いで戦い合う仲とかではなくて本当に良かった。実はそんな事もあるかもしれないと思っていた。何方が先に来て、後に来たかは分からないが、順番は必ずある。同着だって争うだろう。それが、良き隣人で友。実に素晴らしい結果だった。
□ □ □ □
ポチの案内で僕達は湖沿いに歩き出した。ポチが隠れていた森もまた湖の傍に広がっているので、自然とその森を通ることになる。
「気を付けろ。この場所は魔物は少ない。が、居ない訳ではない。数少ない魔物の多くは各地に点在する森の中に身を潜めている」
「さっき上から見た限りでは結構沢山の森があったが、あれ全部に魔物が居ると考えて良いのか?」
「あぁ、それでいい。大昔から草原の一部と森の浅い場所、そして湖の一部は動物のものとされている。誰が決めたかは分からないが、そうなっている」
そうなっているうちに、それが習性となった。と、ポチは言う。大昔がどれくらい前の話かは分からない。誰がそう決めたのか……。
「餌はどうしてるんだ?」
「魔物の殆どは魔素を食らって生きている。点在する森は魔素が特に濃い。あとは紛れ込んだ一部の動物や木の実を食べている」
「なるほどね……」
迷い込めばそれは自己責任、か。しかし魔素が特別濃いとなると、やはり何者かの手が加えられていると考えて間違いないだろう。そんな事が出来る者とは……一体何エルフなんだ?
時々魔物とすれ違いながらも、ポチの威嚇のお陰で戦闘にはならず、ただただ森の中を歩くだけになった。
勿論、降り注ぐ日光は心地良いし、風に鳴る葉擦れの音も耳が気持ち良い。ちょっと休憩しようかと木の根元に腰掛け、木漏れ日を見上げればキラキラと輝く森の天井がとても綺麗だ。こんなに満喫してて良いのかなと少々不安になるくらいにはこの森林浴とハイキングを堪能していた。
「そろそろ日が暮れる頃だ。寝床の準備をした方がいい」
「えっ、もう?」
先程の空の明るさから考えてもまだ数時間は猶予があると思っていたが、時間の感覚が無くなるまで楽しんでいたのだろうか。
「いや、此処は四方を山に囲われている。広く大きな壁だから空を覆う範囲は少ないが、それでも壁になられると日が陰るのも早い」
「あっ、なるほど……」
あまりにも心地良くて忘れかけていた。此処は言わば広くて大きくて深い器の底。壁が高ければ高い程、差す影も大きくなる。山間部では日が暮れるのが早いという、あれだ。
「よし、早速野営の準備を始めよう」
「我は魔素の濃い場所で寝る。周辺の魔物は近付かないだろうから安心するといい」
「分かった。じゃあ空が明るくなったら合流しよう」
「心得た」
魔物には魔物の生活がある。僕達の野営に付き合わせるわけにもいかない。でも周囲の魔物が近付かないようにしてもらえるのは有り難い。でも一応、交代で見張りは続けるべきだろう。
その日は夕食にスープとパンと、ダニエラが歩きながらちゃっかり収穫していた新鮮な木の実を食べて、交代で眠った。ポチの言葉通り魔物の襲来は無かった。
□ □ □ □
深夜。草木も眠るような時間。夜空だけが煌々と謳歌する時間帯に、僕は一人、焚火の傍に座り、見張りをしていた。
ダニエラは僕の前に見張りをしてくれていたので、しっかり眠れた。お陰様で頭は冴えている。
そんな頭の中では《器用貧乏》が行使され、お馴染みの脳内映像が再生されていた。
再生されている内容は勿論、《深狼の影》である。
「……なるほど、これは強力なスキルだ」
映像の中では僕を含めた3人の僕が剣を手に演舞を披露していた。
《深狼の影》、それは分身スキルだった。しかし何処ぞの忍者のように自分そっくりの分身が現れる訳ではない。スキルの名にあるように、影のように真っ黒な僕だ。それもスキル発動と同時に影から現れる。ケルベロスのように3つの頭とはならないだけ有難いのかもしれないな。
しかし《深狼》というのは何処から持ってきた漢字だろう。深……深いというのは、やっぱり地獄から? ということはこの世界には地獄と呼ばれる場所があるのだろうか。であれば反対に、天国も?
「……考えても仕方ないか」
パチン、と薪が爆ぜる音に意識を引き戻される。戻されたついでに《気配感知》を広げてみる。が、此方を伺う魔物は一匹も居ない。少し離れたところにポチの気配があるくらいだ。今は《気配遮断》を使っていないみたいだな。
そのポチの居る場所が魔素溜まりだ。龍脈から噴き出した魔素の溜まり場。澱み。しかしポチには最高の餌場でもある。こんな訳の分からない場所の魔素溜まりなんて近付きたくもないが……。森にはあまり寄らないようにしよう。
さて、《器用貧乏》先生での再生が終わったところで腰を上げる。次は実際に使ってみるとしよう。
「む……」
初めて使うスキルに意思を傾けると、焚火で伸びた僕の影から線が走り、伸びて僕の形へと変化した。服装は今と同じ、風龍装備だ。真っ黒だけど、よく見ると立体感はあるし、服も風で揺れている。影絵ではないみたいだ。
「……武器がないみたいだけど」
言ってから自分も持っていないことに気付く。鎧の魔剣を地面に転がしたままだ。それを手に取り、鞘から引き抜くと影の手から影が伸び、剣の形を成した。
「なるほど、僕が持つとこっちにも出てくると」
出来れば別々の武器とか持ってくれると戦い方にもバリエーションが出てくるんだが、まぁ、言っても仕方ない。ちなみに藍色の大剣に持ち変えると武器も切り替わった。
その後もちょっと動かしてみたり、実際に一緒に剣を振ったりしたが、特に違和感もなく、まるで僕の動きを完コピした人間が居るみたいだった。まるでも何もそうなのだが、分身というのが出てくることに経験がないのでまだまだ実感が湧かない。
でもこの《深狼の影》はとても有用なスキルであることは確かだ。ダニエラの手が借りられない時、ダニエラでも手が足りない時は頼らせてもらう。
「ん……もうすぐ朝か」
チュンチュンと鳥の囀りが聞こえてきた。山の所為で朝日の出具合は見えないが、空は少し東側が白んでいるようにも見える。
さてと、ダニエラの為に朝食を用意しておこう。この影達に作らせたいが、どうやらそれは出来ないようだった。
□ □ □ □
ダニエラを起こして朝食を食べせてからは、また森の中を歩き、丸い空の真ん中に太陽が到着し、一番気温が上がる頃、森を抜けた。
「この気温で日陰が無いのはきついな……」
「アーサーの村はもうすぐだ。我慢しろ」
「そうか……ならもうちょっと頑張ろうかな……」
じんわりと上がる体温を感じながらグッと曲がった背中を伸ばす。そうか……村か……村が出来てるのか……!
歩く足も自然と軽やかになる。腐葉土の上ではなく草の上だからだろうか。いやぁ、楽しみでしょうがない。
「アサギ、気が急くのは分かるが《神狼の脚》を使われたら私達は追い付けないぞ?」
「へっ?」
使ってないんだが……と思って自分の両足を見ると、いつの間にか白銀翆の風が漏れ出ていた。全然意識してなかったんだが……そんなに急ぎたがっていたのだろうか。
「あはは、全然気付かなかったよ」
「まったく……」
苦笑交じりに言われ、釣られて笑う。まったく、恥ずかしいな。これではポチにも笑われてしまう。
そう思っていたのだが、ポチは何かを考えるようにジッと僕を見つめていた。
「そんなに見られると恥ずかしいんだが……」
「いや……すまない」
ペコリと3つの頭を揺らして歩き出す。その様子に首を傾げる。何だろう、今のやり取りで何か変な事があっただろうか。僕には分からないが……人間同士のやり取りを見るのが初めてだったのかな。彼処は笑うところだと教えるべきかな?
「ほら、行くぞ」
「うわっ、尻を叩くな尻を!」
叩く際に若干揉まれた気もしたが、ポチが行ってしまう。色々言及したい気持ちを抑え、僕はダニエラとポチの後を追って走り出した。
□ □ □ □
湖沿いの草原を並んで歩いていると、水分補給にやってきた動物の群れに遭遇した。この世界の魔物は動物が多く魔素を取り込んだ結果、変異したのが定着したと以前聞いた。そういった魔物が平原、森、山を問わず多く生息しているので動物の姿というのはあまり見掛けない。
しかし全く居ない訳ではなく、鹿や鳥、狼なんかはまだまだ沢山居る。僕が初めてこの世界にやってきた時もはぐれた狼に遭遇している。今思い返せば、あれは相当貴重な機会だったのだろう。
今、湖で水を飲んでいるのは馬だ。黒や白、茶色といった定番カラーの馬達がゴクゴクと楽しそうにやっている。僕達の姿を見つけても逃げないのは、人慣れしてるからか、危機感がないからか……。
「あれに乗ればすぐに着きそうだな」
「やめてやれよ……」
野生の馬を捕まえて足にするなんて。きっと大変だし疲れる。だったら僕が抱えて走った方が速い。
暫く大自然に生きる動物の生の様子を観察してから、アーサーの村を目指してハイキングを再開した。
踏みしめる草は力強い。足の裏から押し返してくるような芯の強さを感じる。きっと、土がとても肥沃で太い根を張っているのだろう。それだけ此処が恵まれた場所で、もしも草刈りをしようものなら、相当な苦労を負うことになるのは間違いなしだ。
しかし雑草も雑草で綺麗なものだ。こうして風に揺れる様は大海原を想起させる。この山でアーサーに会って、エクスカリバーを返したら次は海を渡ることになる。果たしてあの船で無事に渡り切れるかどうか……それも見越しての購入だが、今更だが不安になってきた。この草原の波を見た所為だろうか?
動物達が駆け回る姿を遠目に、草原を歩くこと数時間。湖と森の間に集落が見えた。
「あれがそうか?」
「あぁ、彼処にアーサーが居るはずだ」
ポチに確認してみると、やはりあの集落がそうらしい。よく見れば建物はキャスパリーグと同じ移動式家屋だ。若干、猫獣人達の家より大きく見えるのは、オーク自体が彼らより大きいからだろう。家のサイズも比例して大きくなっている。その分、建材も大きくなるがオークの怪力があれば問題ないだろう。丸太を棍棒のように振り回す魔物だしな。
自然と歩く速度も速くなり、だんだんはっきりと家屋が見えてくるにつれてオーク達も僕達に気付いて姿を見せてきた。見た感じ武器を持っているようには見えない。
「おーい!」
声を張り上げ、大きく手を振る。すると何人かのオークが手を振り返してくれた。結構嬉しい。思わず頬が緩む。
「まったく、子供か」
「ダニエラも振ってみろよ。振り返してもらえるぞ?」
「ふん……」
人を小馬鹿にしたような鼻を鳴らすが、ダニエラの白い腕が僕の左上で弧を描く。すると僕の時より沢山のオークが手を振り返していた。
「ふふん、私の方が歓迎されてるみたいだな」
「僕という下地あっての反応だろ!」
「子供か貴様ら……」
ドヤ顔のダニエラと拗ねる僕をポチが小馬鹿にしたように溜息交じりに諫める。僕もダニエラもまだまだ子供だった。




