第三十五話 夜戦
お腹いっぱいのダニエラがテントで気持ち良さそうに寝ている。
僕は夜勤明けの久し振りの倦怠感を覚えながらスープを掻き回している。勿論、夜食ではない。朝食だ。
あれから特に何もなかった。本当に何もなく、ただひたすら暇な時間を睡魔と共に過ごしていた。長引くだろうとドヤ顔で言ってのけた雨は明け方には止み、今は日の出が草原を照らしている。
鍋を掻き回す匙を焚き火を囲う石の上に置いてテントへ向かう。いい加減起きてもらわねば。
「ダニエラ……起きろ……」
非常に眠いのでテンションも上がらない。毛布に包まって眠るダニエラの肩を揺らす。今なら此奴が全裸でも何の反応も出来ない自信があるぜ……。
「んぅ……アサギか……」
「アサギだ……起きて……」
しょぼしょぼする目を擦りながら起き上がるダニエラ。
「顔洗って、飯食って、片付けてくれ……終わったら、起こしてくれ」
そう言いながらダニエラの隣に倒れる。夜勤なんてやるもんじゃない……僕ァもう夜型じゃないんだ……。意識が遠のくのに任せて目を瞑る。隣のダニエラが立ち上がる気配があったので任せていいだろう。おやすみなさい。
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誰かが僕を運ぶ気配がある。ゆらゆらと、揺蕩うような。一定のリズムで上下する感覚にふわりと意識が浮上した。
「ん? 起きたか」
ダニエラの声がする。僕はそれを確認するために目を開けた。すると不思議なことにダニエラの後頭部らしきものが目の前にある。
「んぁ……何ぞ……」
「起きたならもう、歩けるだろう?」
そう言われて段々意識が覚醒していく。そして把握した現状。
「ダニエラ……起こしてくれとは言ったが背負ってくれとは言ってない……」
「ふふふ、あんまりぐっすり寝ているものだから起こすに起こせなくてな。それに、私がぐっすり寝てしまったのが原因だ。謝罪の意味も込めてるんだが、やはり重い」
ポンポンと肩を叩いて止まるように促す。ガシャリと金属音を鳴らしながら降りた。ということは装備も整えてくれたというのか。相当大変だったろうに。
「装備までありがとうな」
「いいさ。気にしないでくれ」
そう言って笑うダニエラ。イケメン指数が鰻登りですわ……。
空を見上げて太陽の位置を確認する。頂点と地平線の中間くらいか。寝たのは2、3時間といったところだろうか。次に辺りを見回すが、依然として草原が広がっている。装備の剣もゴソゴソとお気に入りの位置に直して準備完了だ。
「待たせたな」
「良い声で言う程のことか?」
この台詞だけは良い声で言わなきゃいけないんだよ。
さて、では旅の続きだ。並んで歩く草原の風は穏やかで、温かい日差しが旅の無事を確約してくれていた。
□ □ □ □
「アサギ、そっちに行ったぞ!」
「まかせ、ろっ!」
ギラギラと瞳を煌めかせるグラスウルフの顎に蹴りを入れて怯ませる。キャイン! と鳴いたところで額を剣で叩き切って試合終了だ。ダニエラの方を振り返ると彼女の母の形見である武器、『死生樹の細剣』で首元を一突きにして終わらせていた。
「ふぅ、お疲れ」
「お疲れ、アサギ」
コツン、と拳を合わせる。ベオウルフとのやり取りを見てからダニエラと交わすようになった挨拶のようなものだ。仲間感とか出てきて良い感じである。
グラスウルフの討伐した証は前足の爪だそうだ。フォレストウルフが牙ならグラスウルフは爪、と。心のメモ帳に書き記しながら倒したグラスウルフから爪を切り取る。
「毛皮はどうする?」
「そうだな……傷が少ない個体だけ剥ぎ取ろう」
その言葉に頷いて傷の少ない個体を探す。僕が倒したのは顔にでかい傷が付いている。まぁ首から下を使えば問題ないかと、首を落とし、腹に向けて短剣を走らせてちゃっちゃと剥ぎ取る。肉は食えないので血抜きの必要もない。放っておけば魔物が集まって食い散らかしてくれるので処理の必要もないので楽だ。思えばこうした解体も慣れてきたもんだなぁと。狼を始めとして森に入れば鹿等を狩って食う時もあったしな。
そうして魔物と戦い、部位剥ぎを繰り返していると虚ろの鞄のダニエラの胃袋に消えた生肉の分のスペースが埋まった。それをダニエラに告げると「じゃああとは爪だけでいいか」ということになり、問答無用でグラスウルフを蹴散らして旅を続ける。
4日目の野営地は森が見える場所だ。明日からはまた森に入ることになる。森といえばフォレストウルフかゴブリンだが、この森はどんな魔物が出るのだろう。不謹慎にも楽しみにしながら見張りを続ける。パチパチと薪の爆ぜる音を聞きながら前世でアウトドアが趣味だと言っていた友人のことを思い出した。彼は山が好きだと言っていたっけ、と辺りを見る。月明かりに照らされた山が遠くに見える。あれはフィラルドからも見えていた山脈だろうか。この世界の地図を知らないので僕は何も分からない。
そのままいくらか時間が過ぎて月が天辺を少し過ぎたのでダニエラを起こす。最近はすぐに起きてくれて助かる。やはり町中の宿と野宿では意識が違うのだろうか。
特に異常はなかったことを伝えて毛布に包まる。睡魔は今日も僕を夢の世界へ連れて行ってくれるだろう。おやすみなさい。明日からは森だ。気合入れて寝ないとな……。
「起きろアサギ、魔物だ」
ガバッと起き上がる。畜生、寝かせてくれたっていいじゃないか……頭の側に置いた剣を手にテントから這い出て気配感知を使う。するとそろそろ見えるんじゃないかといった辺りに魔物の気配がした。この感じだとグラスウルフだろうか。ゆっくりと剣を抜いてダニエラに続く。風の動きとはまた違う、ガサガサとした茂みの揺れに目を凝らしながら剣を構える。いつでもいいぜ。
ダニエラが手の平の上に風の塊を作る。此方を見て一つ頷くと、ヒュルル……と小さな風切り音がするそれを茂みの中へ飛ばした。すると案の定グラスウルフが飛び出してくる。数は4匹だ。
前を走るダニエラに続いて僕も走り出す。先頭の1匹目をダニエラがその細剣で突き崩し、脇を抜けた僕が2匹目を撫で斬りにする。3匹目が飛びかかってくるが、それを後ろから飛び出したダニエラが剣で防ぐ。その隙に走り込んできた4匹目がダニエラに襲いかかるが、これを僕が突き出した剣で牽制する。
背後でダニエラが魔法を行使した気配がする。ヒュン、と鋭い風切り音とキャイン、というグラスウルフの断末魔の悲鳴が聞こえる。その様子を見ていた4匹目のグラスウルフが勝てないと思ったのだろう、踵を返して茂みへと走り出した。それを僕がダニエラと同じく魔法で対処する。ちょっと剣と魔法で戦うのが格好良いと思ったのは内緒だ。
行使する魔法は森で使った氷の弾丸。イメージするのは簡単だ。剣を握る右手の伸ばした人差し指の先に生成した氷の礫を走るグラスウルフへ向ける。そして発射のイメージ。脳内で落ちた撃鉄が氷の礫を飛ばす。ギャイン! と一際大きな鳴き声がして最後のグラスウルフが草の上に倒れた。
「やったな、アサギ」
「あぁ、上手くいったよ」
僕は満足げにダニエラに振り返る。すると彼女は首を傾げた。
「あれ、アサギ」
「なに?」
「髪切った?」
今更気付いたダニエラに苦笑交じりに溜息を漏らしながら頷き、二人でグラスウルフの爪を回収した。




