第三百四十六話 登山
料理の仕込みを終えてダニエラを起こし、先に食べてもらいながら少し仮眠をとった僕はダニエラと一つだけ決めごとをした。
「なぁダニエラ」
「なんだアサギ」
「提案なんだけどさ……昨日みたいに歩き通しはやめよう。ゆっくり行こう」
「だらしないな……と言いたいところだが、私も何処か気が張っていたのかもしれない。昨日はらしくない速度で進んだ。今日は天気も良いし、ゆっくり行くとしよう」
ダニエラも疲れてたみたいだったし、この案はすんなり通った。
お陰様でその日はゆっくりと疲れる事なく歩き通せた。変わらない景色を見ながら歩くのは少々暇だったが、それもまた旅の醍醐味だと思い込んでおいた。
翌日、少し雲が多い空の下から間近になった山を見上げる。登山ルートなんてない剥き出しの岩肌と少しの木、そして雪。
僕達は目的地である山の麓へ到着した。
「これを登れと……」
「地道に登っていたら何年掛かるだろうか……」
割とダニエラなら『さっさと行くぞ』と言ってスタスタ登り始めそうだったが、今回ばかりは僕と一緒に見上げている。
「《神狼の脚》しかないだろうな」
「それしかないか……」
《神狼の眼》を使って山の周りを見ながら、《気配感知》で探しつつ、《神狼の脚》で山を登る。僕だけ重労働じゃないですかね……。
「私は此処に陣地を作って周囲を警戒しておこう」
「それが無難か……よし、アーサー探し開始だな」
アサギ選手は山へアーサー探しに、ダニエラ先生は麓で陣地拡大に。
こうしてアーサー探しが始まった。陣地はダニエラに任せて僕はアーサー探しだ。
まずは虚ろの鞄から防寒着を取り出す。さっきまでは脱いでいたが、山は雪まみれだし、標高も上がれば気温も下がる。今のうちにちゃんと着込んでおくべきだろう。
次に武器を用意する。山は恐らくずっとこの寒さだ。これだけ雪が常にあるならば、それに適応した魔物が居ても不思議じゃない。なので終わり間近の氷雪期であっても油断は出来ない。
「んー……」
虚ろの鞄から出した武器を地面に突き立てて並べて暫く悩んだ結果、サブウェポンとして腰に鎧の魔剣を、そしてメインウェポンを霧氷石の槍とした。
理由としては殆どの時間を《神狼の脚》で過ごすので山肌に取り付く魔物相手に至近距離になるまで接近することなく、ある程度の距離を稼げながら攻撃出来る槍は都合が良かったこと、それとそろそろ槍術スキルを上げておきたかった。
片手剣、大剣、時々短剣とスキルレベルは上げてきた。大体コツは掴めたと判断したので槍の出番という訳だ。納得出来る程の技術を磨けたら弓に手を出そうと思っている。まぁ地道にやっていこう。あれやこれやと手を出していては一向に成長しない。
さて、しかしまだまだ僕の槍術は拙い。カンフー映画で見たような槍捌きを《器用貧乏》で脳内再生して、実際に体を動かしてみたがまだまだ《器用貧乏》に動かされている感じがして違和感が残る。これが《器用貧乏》無しに出来るようになって漸くスタートラインだ。
そんな拙い僕が何かの拍子に槍を手放してしまったら……目も当てられない。なのでサブとして手慣れた片手剣を用意しておいた。鎧の魔剣を選んだ理由は片手剣の中でも此奴が一番重かったからだ。槍の重さから急に天狐のような軽めの刀に変わったら体が上手く動かないかもしれない。
それこそ、《器用貧乏》で調整しろって話だが、そんなに僕も器用ではない。器用貧乏だしな。
「……こんなもんか」
長々と説明してしまったが、いざという時の戦う準備も出来た。後は陣地担当のダニエラの作るご飯を食べたら出発だ。
使わない装備を虚ろの鞄に仕舞い込み、ダニエラの方へと振り返る。其処にはちゃんとテントを建てて焚き火も用意したダニエラが居た。流石、僕と会うまでずっと一人で旅していただけある。まだまだ現役だ。
焚き火に乗せた鍋を掻き回しているダニエラの傍に寄って、中身を覗き込むと白いスープがグルグルと渦を描いていた。その渦の中で大きめに切られた具材が時々顔を覗かせる。
「やった、シチュー大好きなんだ」
「そろそろ温まっただろう。食べよう」
「雪山に登る前に食べるにはもってこいの食事だな!」
こう見えてシチュー大好きな僕である。賛否が分かれるところではあるが、シチューで米が食べられる人間だ。まぁ、此処にはパンしかないのだが。パンとシチューも勿論、大好物である。シチューには何でも合うね!
「はい、熱いから気を付けろよ」
「ありがとう! いただきまーす。あちちっ」
「言った傍から……子供かお前は」
嬉しすぎて唇を軽く火傷してしまった。ダニエラに呆れられながら慌てて匙の上のシチューに息を吹きかけて温度を下げてから、ちょっと口をつけてちょうどいい温度か確認してから口に含む。んんぅ……このミルク感と溶け出した野菜と肉の旨味……最も高い。
「旨いよ、ダニエラ」
「それは良かった。……うん、良い出来だ」
ダニエラも納得の味だ。僕も納得の味である。
「帝都の屋台で買っておいて良かった」
「ダニエラの手作りじゃないのかよ!」
出来合いのものを温めてただけだった。旨いけど、何か損をした気分だ。旨いけど!
□ □ □ □
結局2回もおかわりをして腹一杯になった僕はどっこいしょと重い体を持ち上げる。
「さてと……んじゃちょっと行ってくるよ」
「あぁ、気を付けてな。私も周辺を探索してみる」
「分かった。危なくなったらすぐ逃げろよ」
「あぁ」
死生樹の弓の弦を弄るダニエラに声を掛けてから《神狼の脚》で滑るように走り出す。
この拓けた麓から山まではそう遠くない。少し走ればゴロゴロとした岩が現れ始め、そして緩やかに上り坂になる。ルート次第によっては徒歩でも登れるかもしれない。僕は登山家ではないので詳しくはないが。
緩やかな坂がやがて急な坂になると共に、木の数も減っていく。小さな茂みなんかは深く積もった雪に消えていく。もうすぐ氷雪期も終わりだなんて思ってはいたが、こうして雪山に踏み入るとまだまだ終わりが見えないなと思ってしまう。
しかし季節は巡る。雪は残ってても気温は上がる。雪崩には注意しないといけない。
「《神狼の脚》がなかったら、これを徒歩で登ってた訳か……現代の登山道具があってもご遠慮願いたいね……」
眼下に広がる雪山を見下ろし、嘆息する。この時代に登山を楽しむ人は少ないだろうが、どういった装備で登っているのか非常に気になる。オーク達も登ったのだろうか。見た限りでは足跡は見当たらない。
どんどんと標高を上げて先へと進んできたが、だいぶ風が強くなってきた。心なしか呼吸も苦しい。忘れていたが、高山病というのにも気を付けないといけない。低酸素状態というのはとても危ないからな……。吐き気とかしてきたらすぐ下山しよう。《器用貧乏》先生で山登りを学びながら再度アタックしよう。
「しかし……この山、不思議な形だな……」
白い息と共に吐いた言葉。思わず呟いてしまうくらい、山の形は妙だった。
僕がこれまで見てきた山はアレクシア山脈の壁のような山脈に、レプラントを出た先にあった岩山のようなゴツゴツした山だ。
この山もまぁ、見た限りでは山なのだが、その形が妙だったのだ。
アレクシア山脈に近い壁のような山というべきだが、均一の角度の山肌はまるで草原都市スピリスの防壁を思わせる。それがずっと、僕を中心に左右へ広がり、続いている。勿論、大小の抉れや突出部分はあるが、少し離れて見てみれば一目瞭然と言える。
「こうして宙に浮いた場所からでないと分からないよな……」
山肌に張り付いていたら絶対に分からないだろう。かと言って、遠方から見てもはっきりとは理解出来ないだろう。登れば登る程、違和感には気付くが、麓からは普通の岩山に見えた。
ある程度の高さと、通常ではありえない位置からの観察でしか気付けない違和感。それが何を意味するのかは分からない。
「まぁ、登るしかないか……」
登った先にしか答えはない。山頂からしか見えない景色がある。だから人は山に登るのだ。
「う……何か気持ち悪い……」
まぁ、それは別に今日じゃなくてもいいだろう。
軽い目眩と吐き気を感じた僕はすぐに地上に戻ることにした。降りる前に振り返り、広がる山を見る。近い内に踏破してみせよう。この力があれば絶対に出来る。




