第三百四十四話 さようならキャスパリーグ
「くぁ……っはぁ……」
大きな欠伸が出てしまう。昨夜の宴はとても盛り上がったからな……。ダニエラの軽快な演奏で皆が踊り、酒が進んだ。
僕もいつも以上に酔い、テンションがとても上がってしまった。自慢する為だけに虚ろの鞄から瑠璃水龍の首を取り出して見せびらかした時は最高に気分が良かった。猫獣人の皆も盛り上がっちゃって、収拾がつかなくなったところで首長が解散させて、寝て、起きたのが今だ。
「ダニエラ、朝だぞ」
「んぅ……」
この世界での朝は早い。そんな世界では、7時に起きても寝坊扱いだ。日が暮れたら夜だから一日の始まりが早いのである。
そんな世界基準の中、僕が目を覚ましたのは8時過ぎ。大寝坊である。
「いまなんじだ……」
「8時」
「……もうそんな時間か!」
この通り、朝に弱いダニエラが飛び起きる時間だ。僕も急ぐべきではあるが、どうにもゆっくりしてしまうのは今もまだ現代日本の感覚を引きずっているからかもしれない。
テントを出て桶に水を溜めて顔を洗い、辺りを見回す。今回場所を借りたのはミシュカちゃんの家の近くだ。宴会場は朝から解体するだろうからと場所を変えさせてもらった。提案した僕も了承した首長も、僕達が寝坊する前提で話しているのだからどうしようもない。邪魔になっちゃいけないしね。
「ふぅ……」
「やっと起きたか」
顔を洗うために曲げていた腰を伸ばしていたら、今日だけはお隣さんのアッシュさんが呆れ顔でやってきた。この人も昨夜は浴びるように酒を飲んでいたはずだが、ケロッとした顔だ。其処に獣人の秘密があるのかもしれない。
「おはようございます、アッシュさん」
「おはよう、アサギ。ダニエラはどうした?」
「多分着替えてるんじゃないですか?」
と、二人してテントの方を見るとゴソゴソとテントが揺れていた。寝るには広いが立って着替えるとなれば少し狭いので、所々体がぶつかっているのが分かる。
「片付けたらすぐに行くのか?」
「えぇ、西へ向かおうと思います」
「そうか……寂しくなるな」
「僕もです」
別れは何時だって寂しい。でも出会いがあるからこそ、別れがあり、別れがあるからこそ、再会があるのだ。それはこの世界にやってきて得た僕の人生観の一つである。
ダニエラが出てきた事でテントの片付けが始まる。ポールを外して綺麗に折り畳み、虚ろの鞄に仕舞う。それだけだ。簡単に組み立てられて、簡単に解体出来るのが今はあまり嬉しくなかった。
「ミシュカにも顔を見せてやってくれないか?」
「えぇ、勿論です。行こう、ダニエラ」
「分かった」
先を歩くアッシュさんの後ろをついて歩きながら世話になった集落を見回す。皆、今日も元気に外を歩いている。子供達は楽しげに笑いながら走り回り、大人達は雪掻きをしたり、薪を割ったりしている。
周囲に並び立つ家はアーサーが設計したものだった。ということは西へ向かったアーサーもこういう家を建てて生活しているのだろうか。僕が教えた遊牧民という暮らしがどれくらい役に立ったかは分からないけれど、元気に生きてるのなら、あの時助けて本当に良かったと思う。
「ミシュカ! アサギが来てくれたぞ!」
アッシュさんが呼ぶと家からミシュカちゃんが出てきた。その後ろからは元気になったナミルさんも出てくる。僕と目が合うと小さく頭を下げたので僕も返す。
しかし元気になって良かった……初めて顔を合わせた時は衰弱していたが、イジリスの花のお茶を飲んだらすぐに元気になった。アッシュさんの言う通り、あれは伝説の花なのかもしれないな。
「こんにちは、ミシュカちゃん、ナミルさん」
「こんにちは、アサギおにいさん!」
「こんにちは。昨夜はとても楽しかったです」
「あはは……ちょっと羽目を外しすぎました」
だいぶ騒いだからな……実は今もちょっと頭が痛い。
「今日、旅立つんですよね?」
「はい。ナミルさんも元気になったし、憂いなく行くことが出来ます」
「本当にありがとうございました。アサギさんが居なかったらと思うと……」
「まぁまぁ、湿っぽいのはやめよう。アサギの門出だぞ?」
しんみりした空気をアッシュさんが和ませてくれる。自然と僕もミルカさんも笑顔になった。
「元気に過ごしてくれ。病気には気を付けてな」
「ありがとうございます。ダニエラさんもお気を付けて」
「あぁ、何かあったらアサギに助けてもらうさ」
「ふふふ、仲が良いんですね」
ちょっと恥ずかしくなってきた。皆して僕を見ないでほしい。
「み、ミシュカちゃんも元気でね」
居た堪れなくなった僕はしゃがんでミシュカちゃんの頭を撫でることにした。ミシュカちゃんは嬉しそうに目を細める。本当に猫みたいで可愛い。
「アサギおにいさんもお元気で!」
「うん、皆と仲良くね。もう無茶はしちゃ駄目だよ」
「はいっ」
うん、これで安心だろう。後は首長のところに顔を出したら行くとしよう。
「アサギ」
「はい?」
その場を離れようとしたところでアッシュさんに呼び止められた。何だろうと首を傾げていると、何かを差し出された。
「これは?」
「お前に渡しておきたい。まぁ、お守りみたいなものだ」
それは羽の形をした小さな金属製のアクセサリーだった。羽の根元で結んだ紐があるから鞄にも付けられそうだ。
「猫獣人の種族が鳥の羽を模したお守りというのもおかしな話だが、昔からあるんだ。何でも、襲ってきた鳥と仲良くなった猫が居たらしい。その猫は鳥と一緒に末永く暮らしたそうだ」
「へぇ……良いお話ですね」
お守りを目線まで上げてジッと見つめる。陽の光に照らされたお守りはキラキラと光を反射させる。
「他種族とも仲良く生きていけるように。そういう意味が込められてる。俺達とアサギとの間に出来た強い絆が永遠に続きますように……なんて、俺らしくない話だがな」
「こら、恥ずかしいからってそういう事は言わない」
「わ、悪い……」
「もー、お父さんったら!」
照れ隠しをミルカさんとミシュカちゃんに怒られているアッシュさん。思わず笑ってしまうとダニエラも笑い出す。それに釣られたのか、アッシュさん達も笑いだしてしまった。
本当にいい人達だ。いつもこの瞬間が一番辛い。良い巡り合わせの多い旅だ。出会う人達は皆いい人ばっかりで、だから別れが惜しくなる。でも立ち止まる訳にはいかない。それもまた、辛い。
「じゃあ首長に挨拶してくる。そしたらそのまま行く」
「そうか……引き止めても悪いしな。達者でな」
「お元気で! 助けてくださった御恩は忘れません!」
「いってらっしゃい!」
僕の気持ちを察したダニエラに強引に引っ張られて歩き出す。よろけながらも振り返り、精一杯手を振った。
「さようなら! また会いましょう!」
手を振り、声を上げる。それに応えるように3人も力強く手を振ってくれた。僕はダニエラに引きずられながらその姿を瞼に焼き付けようとずっと、姿が見えなくなるまで見つめていた。
□ □ □ □
首長の家の前まで行くと、すでに家から出てきて近衛の2人と並んで立っていた。
「おはよう、アサギ殿。具合はどうですか?」
「おはようございます。お陰様でばっちりです」
「それは良かった。ダニエラ殿も元気そうだ」
「旅立つには良い日だ。体調も天気も、悪くない」
空は晴れ渡り、日の光の温かさを感じる。運動をすればじんわりと汗を掻くような、そんな温かさだ。
「あまり長く引き留めても悪いですし、手短に。瑠璃水龍討伐と我が集落の仲間を病から救ってくださった事、心から感謝します。我々猫獣人一族は生涯、アサギ殿とダニエラ殿の味方であり、同胞であることを誓いましょう」
そんな大げさな……とは思うが、その気持ちは有難く受け取っておくことにした。いざという時、樹海の奥に助けてくれる仲間が居るというのは凄く心強かった。
「ありがとうございます。もしもの時は頼りにさせてもらいます」
「えぇ、お互いに助け合って生きていきましょう」
がっちりと握手をする。いつか彼等が窮地に陥った時は必ず馳せ参じよう。僕達は同胞だ。住む場所や種族は違っても、助け合って生きるんだ。
僕は今になって漸く、本当の意味で種族の壁を越えた気がする。こうして人と獣人が手を取り合う事ができる世の中になれば、もっともっと世界は豊かになるだろう。
「では、お元気で。また会いましょう!」
「旅の無事を祈っております。さようなら、アサギ殿、ダニエラ殿!」
首長に背を向け、キャスパリーグの外へと向かう。集落の外側、西方面の森へと向かっていると後ろから沢山の声が聞こえた。振り向くと、集落の皆が思い思いの言葉を口にしながら手を振っていた。
「皆で見送ってくれるみたいだな」
「うん、嬉しいな……さようならー!」
僕も大きく声を上げて千切れんばかりに手を振った。ダニエラは大きく手を上げて、すぐに踵を返して歩き出した。
別にこれが冷たい訳ではない事を僕も皆も知っている。ダニエラは小さく笑いながら、森を見つめている。振り向かず、前だけを見るのがダニエラだ。
僕はと言うと未練がましく後ろ向きに歩きながらずっとずっと手を振っている。それは僕達が森の中に入り、彼等の姿が見えなくなるまで続いた。
さぁ、次の目的地は西の孤島。……しかしその前に大陸最西端にある山脈だ。其処に居るというアーサーに預かっている白い剣、エクスカリバーを返すのだ。
……本当にこれ、伝説の剣なのかな?
これにて樹海篇、終わります。
次回からは霊峰篇が始まります。よろしくお願いします。




