第三百四十三話 友の足跡、別れの宴
昼過ぎにはキャスパリーグが見えてきた。《神狼の脚》で宴会場があった場所に降り立つと、目ざとく僕達を見つけた子供達が駆け寄ってくる。
「元気だなぁ」
「おにーちゃーん!」
「はははっ、元気過ぎだな。……おいおいおい止まれ止まれとまぐぇっ!」
元気過ぎた子供達がそのままの勢いで僕のお腹目掛けて頭から突っ込んできた。流石に止まるだろうと思って油断していた僕はそのまま吹っ飛んで雪の中に突っ込んだ。
「あははははは!」
子供達の笑い声が聞こえる。頭から突っ込んだ雪の中でくぐもった声を聞きながら、猫獣人の力ってすげーとため息を吐きながら思っていると、ダニエラが僕の足を蹴った。
「何時までそうしてるつもりだ?」
ちょっと呆れてる雰囲気。流石に寒くなってきたのでモソモソと雪をどかせて出てくると、子供達がキラキラした目で此方を見ていた。
「おかえりなさい!」
「あぁ、ただいま……」
元気過ぎる歓迎だった。けれど、悪くはないな……うん。人間は怖い生き物だと教わっているはずなのに、こんなに懐いてくれているのは素直に嬉しい。……懐いてくれてる、よな?
「ミシュカのお母さんが元気になったの!」
「もう離れて暮らさなくてもいいんだよ」
「一緒に遊べるようになった!」
口々に集落最大のニュースを教えてくれる。獣人の間にでは恐ろしい病気と言われていた病気の所為で離れた場所に家を構えていたアッシュさん達。でもこれからは皆一緒に住める。それがこの小さな集落の仲間は嬉しいのだ。
「あぁ、もうナミルさんは元気だから、一緒に遊んであげてくれよな」
「うん!」
皆良い返事をして一目散に駆けていく。最初から最後まで元気いっぱいだったな……。うん、実に良いことだ。
子供達の歓迎を受けた僕達はその足で首長の家へと向かった。この間の二人の若者に会釈をすると、気さくに手を挙げて応答してくれる。あの宴のお陰だろう。ダニエラの弾いた曲で皆が楽しく踊っていた。この二人もそれぞれ踊っていた。……ような気がする。
「こんにちは。首長は居ますか?」
「あぁ、中に居るよ。ちょっと待っててくれ」
そういうと中へと入っていった。小さな集落でも長なのだ。こうした取次は必要だ。しかし長とはいえ、小さな集落。30秒もしない内に出てきた若者が頷いて、中へと促してくれた。スピードアポイントメントだな。
「お邪魔します」
「失礼する」
一声掛けて中へ入る。土足厳禁の屋内だ。僕は慣れた手つきで靴を脱いで揃えると、ダニエラもぎこちないながらに僕の真似をして靴を揃えた。
「おぉ、ご無事でしたか」
「えぇ、この通り。ピンピンしてます」
自身の詰めの甘さとダニエラの無茶ぶりで半日程ぶっ倒れてしまったが、傷一つなく元気そのものだ。
「瑠璃水龍は仕留めましたか?」
「しっかり首を落としました。これからは平穏に暮らせると思います」
そう言うと首長は喜びを噛み締めるように細く長く、息を吐いた。
「これで生活が楽になります。水汲みも川まで行かねばならなかったのがとても大変でしたの……」
確かにキャスパリーグから川までは遠い。アスル湖の方がもっとずっと近かった。水汲みの手伝いをする子供達も少しは楽になるだろう。
「まぁ、この家屋は移動に適してますから、いざとなれば川の方へ集落を移しても良かったのですが、此処は拓けていたので住み心地が良かったんですよ」
「なるほど、そういう理由もあったんですね」
水汲みだけ目を瞑れば、住みやすさは上等な方だろう。今後、氷雪期が終わればもっともっと住みやすくなるはずだ。
「ところで……この家屋の造りはとても変わっていて面白いですよね。子供達にも見せてもらったのですが、すぐに組み立てられて、崩せて、移動が出来る。なかなかない発想だと思います」
「えぇ、以前は一般的な家屋に住んでいたのですが、樹海の魔物の侵攻に追い立てられ、困ってたところ、ある人物に助けてもらったのです」
やっぱり……と、ずっと考えていた疑問が正解に近付くのを感じた。
「実は僕達も以前、とある人物に『遊牧民としての生き方』を教えた事がありまして……。家畜を育てながら、解体、組み立てが簡単な家屋に住み、各地を移動しながら生きる暮らしです」
「私達がそれを教えた相手は、白いオークだ。首長、貴方が出会った人物というのはそのオーク、アーサーではないのか?」
僕の話で気付いたのか、それとも僕同様、以前から考えていたのか、ダニエラが話を合わせる。確信が持てなった僕はこの話をダニエラには伝えていなかった。
首長は僕達の言葉に驚いたが、すぐにクスクスと笑い出した。
「ふふ、ふふふ……では私達は、アサギ殿に助けられたようなものだったのですね」
「じゃあやっぱり……」
「えぇ、この暮らし方を教えてくれたのはアーサー殿です。彼が率いるオーク達に手伝ってもらって、この集落を作りました」
そうだと思ったんだ。あぁ、アーサー。無事に生き延び、あの谷を越えた樹海にまでやってきていたのか……!
嬉しさに体が震える。彼奴との約束は、どうやら果たせそうだ。
「アーサーは今、何処に居るんですか? 彼奴に渡す物があるんです」
「彼は西へ行くと言っていました。何でも、西の果てには誰も寄り付かない山があるそうで……其処を安住の地とすると、彼は張り切っていました」
「西の果ての山……ですか」
大陸の果てという意味だろう。僕達が次に目指す場所はその大陸を越えた海の向こうの孤島だ。
「僕達も西へと行く予定です。ありがとうございます。彼奴に会えそうだ」
「会えた時はよろしくお伝えください。我々は今も元気に生きていると」
「えぇ、必ず」
その後は出発する日程の話をした。明日には出ると伝えると、短い付き合いなのに首長はとても寂しそうに笑った。別れを寂しく思っているのは僕達だけではないと分かったが、嬉しかったな。
やっぱり今夜も宴を開くと首長は張り切っていた。食料とか大丈夫か不安だったが、それは心配ないとのこと。何でも氷雪期が始まる前からずっと食料集めは行っていたそうだ。
氷雪期以外でも食料は集落の皆で集めるのが日常らしく、この樹海はちゃんと探せば食料の宝庫らしい。氷雪期を狙ってやってきたが、温かい時期の樹海も見てみたかったな。熟れた果実をその場でもぎ取って食べるのはさぞ幸せだろう。
今回は僕達も会場の設営に参加したかったが、やんわりと断られたので子供達の相手をすることにした。大人達は僕達を歓待することが楽しくて仕方ないらしい。子供達は僕達と遊ぶのに必死だ。全力のタックルを受け止めるこっちの身にもなってほしいが……まぁ、子供は遊ぶのが仕事だから、大人である僕はそれに付き合うのが仕事だ。
その遊ぶ面々の中に、ミシュカちゃんの姿があった。
「アサギおにいさん!」
「ミシュカちゃん、元気そうだね」
「はいっ! お母さんも元気になったし、また皆と遊べると思ったら元気が溢れてきます!」
うんうん、実に良いことだ。
ミシュカちゃんも含めて全員が僕にタックルを仕掛けてくる。猫獣人界で流行りの遊びなのかもしれない。受ける側の僕はそろそろ踏ん張りが効かなくなってきた。多対一の時点で負けは確定していた。
「くっ……この力に頼る事になるとは……あいたっ!」
「馬鹿野郎。子供達との遊びに本気になるな」
《神狼の脚》で固定して踏ん張ろうとしたらダニエラに後頭部を叩かれた。確かにこれは大人げない。しかし男には負けられない戦いというものがあるのだ。避けられない戦いというものがあるのだ。
「またの機会にしておけ」
「しゃーないな……」
ダニエラがそう言うのであれば本気は次の機会に発揮するとしよう。次こそは僕の本気中の本気を見せてやるとしよう。その時は地形が変わってしまうかもしれないが、其処はご了承だ。
□ □ □ □
日がゆっくりと暮れていく。樹海の木々の先端が夕日に飲み込まれ、長い影を落とす。僕の一番好きな時間だ。茜色に染まった空と雲。落ちた日が下から照らす雲に浮き上がる様々な形の影のなんと綺麗なことか。
太陽が沈む方向とは反対の空を見れば、夜が其処までやってきている。濃紺の空と紅蓮の空がひしめき合う広い空を眺めていると、小さく明るい一番星を見つけた。
辺りは篝火が焚かれ、日と火が照らす中、僕とダニエラは二人、宴会場へと歩いていた。
「また一曲弾いてくれよ」
「私なんかで良かったら、いくらでも披露してやろう」
とか言いながらドヤ顔のダニエラをおだてていると会場が見えてきた。
「おっ、主役の登場だ!」
「おーい、早くしてくれ! 腹減っちまった!」
「はやくー!」
口々に呼ばれ、自然と笑顔になる。歩く速さが遅く感じてしまった僕は、隣に並ぶダニエラの手を掴んで、ついには走り出した。
「そんなに急いだって料理は逃げないぞ!」
「気持ちが急いてしまってどうしようもない!」
ザクザクと雪を踏む音が二人分。少し後ろに下がったダニエラがぽつりと何かを呟き、速度を上げて隣に並んだ。
「何か言った?」
「いや、何も?」
いや、絶対何か言った。まるで僕を子供を見るような目で見て笑っている。
まぁ、でも、今日くらいは子供で良いだろう。その方が楽しい。
「アサギ!」
「アサギおにいさん!」
「アサギさーん!」
アッシュさん一家の声が聞こえた。
さぁ、もう会場はすぐ其処だ。
僕は別れを告げる為の最後の宴に向かって、強く雪を踏み込んだ。




