第三百三十八話 赤い花と白い猫(科)
新年、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくおねがいします。
翌朝……疲れた体でテントから這い出た僕は……ふわぁぁ……。
「だらしないぞ、アサギ。雪猫が来る前に体を洗っておけ」
「はい……」
全部此奴の所為なのだが、何も言い返す元気が無かった僕は、外で背筋を伸ばしていたダニエラに言われた通りに再びテントの中に戻って魔道具を準備して体を綺麗にした。温水が用意出来る魔道具と綺麗な布で体を拭くだけだが、しないよりはましだろう。
身を清め終わる頃には疲れも取れて眠気も覚めていた。しっかりウィンドドラゴンの装備に着替えて腰には鎧の魔剣を下げ、上からスノーアラクネの防寒着を身に着けた。
外ではもう宴会場の片付けが始まっていた。手伝おうとしたがやんわりと断られたので、邪魔するのも悪いかなと今は森の方へ来ている。
目的は遺跡の確認だ。
人気がないのを確認した僕は《神狼の眼》を発動させる。見る場所は深奥、『アスル湖』だ。
視界はぐんぐんと上昇し、俯瞰から樹海を見渡す。僕が居る位置、キャスパリーグの位置から更に南に進んだ所に青い、大きな湖が見えた。中央に浮かぶ小島から、あれがアスル湖で間違いないだろう。
俯瞰から見下ろすアスル湖は実に美しい湖だった。周辺の岸は積もった雪で白に、湖は光の屈折の関係か、それとも成分の関係か、青色だ。それが陽の光に反射してキラキラ光る様は息を呑む美しさだった。
こんな美しい湖だが、瑠璃水龍が棲んでいると思うとゾッとするね……。美しい薔薇には棘があるように、美しい湖にはドラゴンが棲んでいるのかもしれない。
「……あっ」
そんな湖を見下ろしていると、水面が小さく波打ち、うっすらと影が映った。細長い影だ。ゆっくりとそれは小島周辺を泳ぎ、そして水底へと消えていった。
確かダニエラから前に聞いた話だと、水龍はとても尾が長いそうだが、あれがそうなのだろう。はっきりとした全長は分からないが、ゆうに20mは越えているように思う。全長の殆どが尾だとしても、怖いな……。
揺れていた水面が凪いで、落ち着いたのを確認してから視点を移動させる。
上空からどんどん小島に近付くと、小島の中に建物が見えた。周囲の木々に隠れた小さな建物だ。見た感じだと教会とか、そういう建物に似ている。トンガリ屋根の建物だ。
「結構形は残ってるな……」
所々が崩れてはいるが、全体の形はしっかりと残っている。扉は木製だったのか、風化して形はまったくないが、建物自体は特殊な建材なのかもしれないな。自動人形の遺跡みたいに
カモフラージュしている可能性が高い。
一旦離れて周囲を探索してみるが、魔物らしき姿は見えない。やはり上陸しようものなら瑠璃水龍が黙っちゃいないのだろう。
「ん?」
ふと視界の端に何かが映った。視点を移動させてピントを合わせると、思わず笑ってしまった。
「こんな所にあったのか……ははっ、アッシュさんとミシュカちゃんに知らせなきゃ!」
見つけたのはイジリスの花だった。周辺を捜索して見つからないなら深奥にあるんじゃないかとは思っていたが、まさか目的地に咲いているとは思わなかった。
深奥と言っても湖だけがある訳じゃない。土は沢山あるから岸周辺にも咲いている可能性はあった。この巡り合わせに運命を感じてしまう。ミシュカちゃんのお母さんは絶対に助かるだろう。花は摘んでから虚ろの鞄に仕舞ってしまえば保存は完璧だ。後はあの邪魔な瑠璃水龍を始末したら全て上手く行くだろう。
「よし……早く知らせよう!」
《神狼の眼》をオフにした僕は踵を返して集落を目指した。
□ □ □ □
集落に戻るといつの間にか宴会場は撤去され、僕達のテントだけがポツンと取り残されていた。それを片付けようとしているダニエラを見つけて駆け寄る。
「ダニエラ、悪い」
「何処行ってたんだ」
ちょっと不機嫌な顔をしている。イジリスの花の場所を見つけた僕はどうしても頬が緩んでしまうので余計にダニエラの眉間に皺が寄る。
「アスル湖を見てたんだ。小島の遺跡。其処にイジリスの花も咲いてたよ」
「本当か?」
畳んでいた布を取り落としたダニエラが立ち上がるので頷いてやると、先程の僕のように頬が緩んだ。
「そうか……そうか! 朗報だな、早く知らせないと」
「あぁ、これ片付けたらすぐに行こう!」
ダニエラが頷き、片付け始めたので僕はテントを崩しに掛かり、数分で全部片付けて集落内を歩き回る。すると昨日も話した子供達が遊んでいるのを見つけた。
「おーい!」
「あ、アサギおじさんだ」
「おじさーん」
「アサギのおっさんだー!」
おっと、これは躾が必要だな……。
「おじさんじゃなくてお兄さんな。分かるか?」
「おじいさん」
「違う。おじいさん違う」
「お兄さんには見えない」
「嘘でしょ……まだ22だよ……」
僕が小学生だった頃は22歳の人は……おじさんに見えたかもしれない。
「まぁいいや……ところで聞きたいんだけど、ミシュカちゃんの家って知ってる?」
「知ってるよ。こっち!」
おじさんの手を掴んで引っ張ってくれる幼女2人に導かれ、集落を進む。家と家の間を抜けて、集落から少し離れた場所に一つの家があった。
「彼処だよ」
「ありがとう。じゃあまたね」
あの場所に家があることから察するに、病を患ったミシュカちゃんのお母さんを隔離しているのだろう。外から来た人間だから少し物悲しくなるが、狭い集落なら仕方ない。ちゃんとした医者も居ないだろうし、な……。
子供達と別れて、ダニエラと2人でミシュカちゃんの家に行くと、足音に気付いたのかアッシュさんが顔を出した。
「あぁ、アサギか。どうした、こんな所まで」
「アッシュさん、良い知らせです。花を見つけました」
その言葉にアッシュさんが目を見開く。
「本当か……!?」
「えぇ。場所はアスル湖の小島です。古代エルフの遺跡のすぐ傍に1輪だけ咲いていました」
「もう行ったのか!? いや、そういうスキルがあると言ってたな……そうか、あったのか……これで……」
ギュッと拳を握り、喜びに涙を浮かべる様を見ていると、あの花を絶対に摘んでこようという気になる。瑠璃水龍は怖い。高く厚い壁だ。しかし僕には《神狼の脚》がある。この脚があれば、どんなに高い壁だって飛び越えていける。
「ありがとう、アサギ。お前のお陰で妻が助かりそうだ」
「喜ぶのはまだ早いですよ。でも、瑠璃水龍は僕が必ず仕留めます」
「あぁ……そうだな」
「そろそろ雪猫様が来る頃じゃないか?」
ダニエラに促され、空を見上げる。もう朝も過ぎた頃だが、寝坊だろうか。雪猫様か……どんな奴なんだろう。
「よし、首長の元へ向かおうか」
「はい」
アッシュさんと共に歩き出し、ふと視線を感じて振り返る。するとアッシュさんの家の戸からミシュカちゃんが此方を見ていた。手を振ってやると、嬉しそうに、でも控えめに手を振る。お母さんを気遣っての事だろう。
「花、絶対摘んでくるからな……」
「アサギ、早くしろ」
「あぁ、今行く」
僕は決意を新たに、一先ずは首長の家へと向かった。
□ □ □ □
首長は家の前で僕達を待っていた。聞けばもう雪猫様が来てもおかしくない時間なのだが、まだ来ていないそうだ。
「恐らく寝坊でしょう。まぁ、いつもの事ですから」
「あはは……」
やっぱり寝坊か。猫って自由気ままだから、仕方ないね。
と、少し和んでいたら急に気温が下がってきた。防寒着を着ているが、ちょっと冷える。
「今日天気悪いのかな」
「ちょっと寒いな……」
「来られたようです」
『え?』という声を上げようとした時、寒風が吹き荒ぶ。冷たい空気から顔を守るように腕で覆いながら《気配感知》を広げる。すると、目の前に大きな反応が一瞬で現れ、思わず腰の剣に手が伸びそうになった。
「久しぶりの匂いだな……人間臭ぇぞ」
地の底から響いてくるような低音と共に風が止んだ。ゆっくりと腕を下ろし、顔を上げると、其処には大きな白い豹が居た。
「お前か、瑠璃水龍とやり合おうっていう馬鹿野郎は」
「う、あ……はい」
「やれんのか? お前みてぇな人間如きに」
いきなりの問答だ。姿勢を低くし、僕と視線を合わせた縦に割れた黄色い瞳孔が睨めつける。
「……やります。やらないといけないので」
「そんな適当な理由で出来んのか?」
「やるって言ったらやるんですよ。でないと前へ進めない」
ジッとその目を見つめ返すと、雪猫様は納得したように姿勢を正した。
「ふん、仕方ねぇな。じゃあちょっと手伝ってやる……って、つもりだったが、無理だな」
「えっ?」
話が違う。思わず首長の方を見てしまうが、首長も嘘やろって顔をしている。
「手伝ってやりてぇが、無理だ。お前は眷属にはなれねぇだろ」
「あっ」
僕は神狼の、レイチェルの眷属だ。今更雪猫様の眷属にも鞍替え出来ない。
「そっちの女も端っから眷属になる気もなさそうだしな」
「悪いな」
「ハッ、この俺の眷属になれねぇなんて哀れだぜ、エルフ」
「私は私のやりたいようにやる。それだけだ」
「そうかよ。なら、俺もやりたいようにやらせてもらうぜ。あの水龍は邪魔だったんだ。俺のテリトリーにはな」
どうやらこれで問答は終わりらしい。口は悪いが優しい……ってことなのかな。険悪なムードにはならなくて良かったと安心するべきか。
ガリガリと後ろ足で頭を掻く雪猫様が大きな欠伸をする。
「はぁ、まぁ俺一人じゃあちっときついと思ってたんだ。邪魔にならんように動けよ」
「其処は気を付けますよ」
何とか、なりそうではあるかな。結構協力してくれそうな感じではあるし。じゃあまぁ、とりあえず作戦会議を……。
「よし、じゃあ早速行くぞ。おいレオナルド。帰ったら飯だ。用意しとけよ」
「畏まりました、雪猫様」
「え、ちょ」
「先行ってるぜぇ!」
止めようとしたが、雪猫様は寒風と共に去っていった。後に残された僕達は言葉もなく棒立ちだった。
大丈夫なのだろうか。とても心配になってきた僕は一人、天を仰ぐ。
雲ひとつなく、とても良い天気だった。




