第三百三十五話 猫の集落
「すまなかった!」
ミシュカちゃんのお父さんが土下座する勢いで頭を下げていた。
「お前が手練れの人間で無ければ一撃で死んでいただろう……俺は娘の命の恩人を殺すところだった」
「まぁ、仕方ないと言ってしまえばそれまでですけど、もうちょっと確認とか欲しかったですね」
本当に運が良かったのだ。あれでもう少し奥まで、なんて《神狼の眼》を使っていたら死んでいた。そう思うと《神狼の眼》も使いどころをもっと考えないといけないな。
「仕方ない、か……獣人にとって人間は恐ろしい生物だ。その認識が常識になってしまっている事を考えれば、そうとも言えるだろうな。だが、それは俺が言う事ではないだろう。これからはもっと広い視野を持ち、正しい認識を広めることを努力しよう」
「そうしてもらえると嬉しいです。ですけど、人間でも悪いことを考えてる奴は少なからず居るので、其処だけは間違えないようにしてください」
「あぁ、分かった」
うん、僕からはもう言う事はないだろう。思うところはあっても、結果的に傷一つないし。
「それとお詫びになるかは分からないが、お前達を俺の集落で歓待したいのだが、駄目だろうか?」
「集落ですか?」
あぁ、とお父さんが言う。聞けばこの先、深奥に近い場所に獣人の集落があるそうだ。僕が《神狼の眼》で見ようとしていた方角だな。そっちに進めば猫獣人の集落があると……。
「人と獣人が歩み寄る第一歩とも言えるな」
と、ダニエラ。
「詫びのつもりだが、そうとも言えるな。どうだろうか?」
「私は行きたい」
「じゃあお呼ばれしちゃおうか」
ダニエラと頷き合うとお父さんが嬉しそうに笑ってくれた。それを見て、成り行きを伺いながら大人しくしていたミシュカちゃんも笑う。
「……そうだ。自己紹介が遅れたな。私はミシュカの父、アッシュだ」
「アサギと言います。で、こっちが」
「ダニエラだ。よろしく頼む」
「出会い方は良くなかったが、これから親密な関係を築けたらと思う。よろしく頼む」
こうして僕達は猫獣人の集落にお呼ばれすることになった。
明日が楽しみだが、今夜はもう遅いということでアッシュさんとミシュカちゃんにはテントで休んでもらうことにした。僕とダニエラは別のテントを用意する。
「じゃあ次は私が見張りをしよう」
「頼んだ」
「獣人一人見逃さないから安心して休め」
「……ありがと」
確かに油断したけど、な。次は頑張ろうと意気込みつつ、テントの中で横になるとあっさりと意識は夢の世界へと出発した。
□ □ □ □
翌朝、僕達はアッシュさんの案内で集落へと向かった。此処からは結構離れているらしいが、船を使えばそれ程時間が掛かることはないそうだ。逆にミシュカちゃんの体力の凄さを知った。獣人の力って凄い。
船頭に立つアッシュさんの指示でダニエラが魔道具エンジンを操作し、日が天辺に昇る頃、接岸ポイントへ到着した。
「此処から少し歩くぞ」
「分かりました」
「何、距離はそんなに無いから時間も掛から……その鞄は何だ?」
「え?」
船を鞄に入れながらアッシュさんの声に振り返る。驚いた顔で固まっていたので、スポンと収納した鞄を背負うと引き攣った顔になった。
「船が鞄に入るとは……」
「あー……これ、ちょっと特殊な鞄なので」
「船が入る鞄が特殊でなかったら人間の世界はどうかしてるな……」
僕もそう思います。
道中はこの鞄の話に始まり、レイチェルの話や、その流れからレハティの話にもなった。アッシュさんは驚いたり、喜んだりと反応は感情豊かだ。表情は殆ど仏頂面だけど。
「……そうか。俺達、猫獣人とは違う種族だが、幸せになれたのなら良かった。しかしアサギは狼獣人とも交友があるのだな。神狼とまで知り合いとは驚いた」
「交友と言ってもレハティだけですよ。狼獣人の集落とか知らないですし。レイチェルは……まぁ、成り行きですね」
あの裏路地……玄関空間に入ったのは偶然だったが、あの偶然が無かったとしてもレイチェルとは何処かで出会っていたという確信がある。そういう巡り合わせなのだと。
「……もう少しで俺達の集落だ。先に行って話をつけてくる。此処で少し待っててくれ」
「分かりました」
頷いたアッシュさんはまるで全力で地面を走るように雪の上を走っていった。足も沈まないし、どういう仕組なのか全く理解出来ない。あれが獣人の力なのだろうか……。
「お父さんは雪の猫の加護があるんだよ」
「雪の猫?」
アッシュさんと再会して安心したのか、だいぶ口調が砕けた感じになったミシュカちゃんが僕の隣でアッシュさんを見送る。
「うん。真っ白で大きな猫の魔物なんだけど、私達猫獣人にとっては神様みたいな存在なんだ」
「へぇ……」
魔物の加護とくれば答えは一つしかないだろう。
「アサギ」
「うん」
ダニエラも思い至ったようで、鋭い視線を送ってくる。
この樹海には居るのだろう。獣人に友好的な、異常進化個体が。
と、どうしたもんかと考えているとアッシュさんが帰ってきた。やはり雪に沈まない足取りでだ。
「遅くなった。首長には話をつけた。歓迎してくれるそうだ」
「それは良かった。じゃあ行きましょうか」
猫獣人の集落は目と鼻の先だ。少し《神狼の眼》で見てみると、確かに集落のような場所があった。木や草を編んだ円形の建物は何処か遊牧民を思わせる。
と、其処で《神狼の眼》を閉じる。実際に見る楽しみが減ってしまうからな。
「アッシュさん、猫獣人の前でしてはいけないこととかありますか?」
他種族への無礼な行いは出来るだけしたくない。
「アサギは律儀だな。しかし気にするな。そういう決まりは特に無い。強いて言えば……」
「強いて言えば?」
聞き返すと仏頂面だったアッシュさんが苦笑しながら答えてくれた。
「耳や尻尾は敏感なんだ。断り無く触るとびっくりするから駄目だぞ」
「あはは……はい、分かりました」
ちょっと恥ずかしかったのだろうか。照れ臭そうに頬を掻きながら前を向くアッシュさんの横顔を堪能してから向き直る。すると木々の間から先程見た家が見えてきた。
「着いたぞ。此処が俺達の集落、《キャスパリーグ》だ」
木々を抜けた先、視界いっぱいに広がる樹海の中の雪原に建てられた無数の家々からは興味深そうに猫獣人達が此方の様子を伺っていた。
その中をまっすぐ此方に向かって歩いてくる猫獣人が3人。真ん中の老人を先頭に、左右に若い猫獣人が2人だ。老人は立派な髭とふさふさの白髪と猫耳がライオンのようで逞しく見える。
老人は僕達の前に立つと、上から下までじっくりと観察してから、手を差し出した。
「ようこそ、人間の客人よ。私はこの集落で長をさせてもらっているレオナルドと言う」
「初めまして、首長殿。僕は冒険者ギルドに所属しているアサギ=カミヤシロと言います」
「私はダニエラ=ヴィルシルフ。アサギとはパーティーを組ませてもらっている」
猫獣人にも握手の文化はあるようで、ギュッと握り返すと好々爺然とした笑みを浮かべてくれた。僕に続いてダニエラとも握手を交わす。
「ほう、お嬢さんはエルフか」
「白エルフだ。此処では珍しいか?」
「そうでもない。この集落から少し行った場所にはかの古代エルフの遺跡もあるしな」
その言葉に僕もダニエラも固まる。探してはいたが、正確な場所は分からなかった。カルマさんに見せてもらった地図がこの樹海の奥だったから、それだけを頼りにやってきた。
「……ふむ、お前さんらの目的地は其処か」
「とても大事な用があるんです」
「そうか。まぁ立ち話もなんだしの、とりあえず私の家へ行こうか。此処に居ると、皆が興味津々で肩が凝る」
レオナルドさんがわざとらしくグリグリと肩を回すと、家から伸びていた顔が一斉に引っ込む。その様子にダニエラと一緒に笑ってしまった。
異常進化個体、遺跡の位置、そして赤い花。鍵を目指してやってきた樹海の奥で出会った猫獣人達。
これからどうなっていくのか……僕に想像も出来ないが、まぁ、なるようになる……かな。
「何してるんだアサギ。置いていくぞ」
「あぁ、今行くよ」
先を行くダニエラに呼ばれ、僕は慌てて後を追った。




