第三百三十四話 ミシュカの事情
余程お腹が空いていたのか、あっという間にテーブルの上の料理は無くなった。結局、ダニエラの為に追加の串肉を出してやったりしたが、それでもすぐに平らげてしまった。
「ご馳走さまでした……!」
「お粗末様。さてと、腹も膨れたことだし……ちょっと聞いても良いかな?」
「?」
こてんと首を傾げるミシュカちゃん。はい可愛い。
「何で君みたいな小さな子が、こんな樹海の奥深くに居たのかなって。ほら、氷雪期とはいえ、魔物以外にも危険は沢山あるだろう?」
雪に隠れた穴。氷点下の気温。突然落ちてくる雪。遭難。魔物の巣穴へ気付かず近寄ったり。そして悪いことを考えてる人間。
そんな危険を省みず、何故こんな樹海にやってきたのか。
「あ……はい、実は……」
それからミシュカちゃんのことを聞いた。
彼女は此処から少し行った先にある集落の子だそうだ。其処には沢山……とまではいかないが、それなりの数の獣人が住んでいるらしい。
「それって君みたいな……あー……猫?」
「はい、猫です」
「その猫の獣人が多いの?」
「そうですね、猫獣人の集落です」
その猫獣人の集落に、ミシュカちゃんはお母さんとお父さん、妹の4人家族で暮らしていた。
それなりに不自由なく過ごしていたある日、母親が病気になってしまった。集落では滅多にかからない病気だが、その病気の致死率は高いそうだ。集落の長は氷雪期に咲く樹海の花を煎じたお茶を飲めば治るという。
しかし樹海は危険な場所だ。魔物だって居ない訳じゃない。それでもミシュカちゃんは探しに行きたいと父親に願った。しかし父親からの許可など出るはずもなく、ミシュカちゃんはずっと母親の看病を続けていた。
「……お父さんは毎日森に入って花を探しているんです。でも、見つからなくて……だから私、お父さんとお母さんの為に花を見つけたくて……森に……」
「それで、一人で探しに来て、迷ってしまったと」
「……はい」
病に冒された母親と、母親を助ける為に毎日樹海で花を探す父親。不安でいっぱいだろう。そんな二人を助けたい一心で森に入ったミシュカちゃん。泣けるじゃないか。美しい家族愛だ。
「なぁダニエラ」
「なんだアサギ」
そうダニエラに尋ねるが、何も言うなとダニエラが微笑む。でも僕は口にする。有言実行こそが人生を良いものにする大事なコツなのだ。
「花を探そう」
「えっ……!」
その宣言に、ミシュカちゃんは猫耳をピンと立てて驚く。
「アサギならそう言うと思ったよ」
「駄目か?」
「言わないなら、私から言うつもりだったさ」
急ぐ旅だ。足踏みなどしていられない。でも、目の前で困ってる人が居たら助けないと人間として駄目になる。
自己満足だ。目の前の人しか助けられない。でも僕は、僕に出来る事がしたいのだ。
「という訳で花を探す手伝いをしたいんだけど……いいかな?」
「あ、ありがとうございます……! ありがとうございます!」
目に涙を溜めて頭を下げるミシュカちゃん。ダニエラがその柔らかな髪と猫耳を撫でている。僕も撫でたいのだが……。でもダニエラの目がそれを許してくれなかった。ノータッチこそ紳士の嗜みなのであった。
□ □ □ □
今日はもう日が暮れたから、動くのは明日からにしようということで、ミシュカちゃんにはテントで休んでもらった。
「ダニエラも休んでていいよ」
「そうか? 悪いな」
「いいよ」
船の動力源である風魔石に風属性の魔力を込められるのはダニエラだけだ。休憩は多めにとってもらっているが、ずっと働かせっぱなしなので夜くらいは頑張りたい。
僕は焚き火の火が絶えないように薪を加えながら、《神狼の眼》で周辺を捜索する。目的はミシュカちゃん捜索の大人達と病に効く花だ。
「確か……花の名は《イジリス》だったっけ」
イジリスの花は雪の中でもはっきりと分かる赤い花らしい。それなら夜でもある程度は月明かりで見つけられそうだ。
時々、スキルを解除して焚き火の様子を見たり、《気配感知》で周囲に注意を払いながら、《神狼の眼》で遠方も探してみた。
「……そうだ、対岸も見てみよう」
森の奥ばかり探していたので気分転換に此処の反対側を見てみることにした。
「ふむ……やっぱりあっちも樹海だな」
此処と同じように木々が入り乱れている。魔物も動物も居ない氷雪期の森は足跡が全く無く、とても神秘的だ。月明かりに照らされた青い雪はいつまでも眺めていたいくらいに幻想的で、《眼》はどんどん先へ先へと進んでいく。
その途中、クイーンズナイトゴブリンと戦った後の事を思い出した。あの時はあまり遠くは眺められなかった。
では今はどうだろうか。
「負担は……全然無いな」
完治したと言ってもいいだろう。あの時は確か1km以上先、長時間の使用は出来なかった。かなり目や視神経に負担を掛けたからだろうと思い、使用を控えていたのが良かったのかもしれないな。
安心した僕はどんどん先へと進む。しかしイジリスの花は何処にも咲いていなかった。もしかしたらこっちの方向には無いのかもしれないな。
「深奥側はどうだろうか……いや、その前に」
ちょっと長く見過ぎたな。焚き火の様子と、周辺の様子を確かめないと。花探しも大事だが、見張りも仕事だ。
と、僕はスキルを解除して顔を上げる。
其処には鉈を振り上げた男の姿があった。
「ヌゥゥゥン!!!」
一瞬の事で頭が回らなかったが、男の掛け声で咄嗟に地面に置いていた白刀を握って《神狼の脚》で後方へと下がった。今まで僕が座っていた椅子が鉈で真っ二つにされる。
「僕の椅子!」
「貴様が……!!」
男は何か僕に恨みがあるのか、怒り狂った様子。静かに白刀を抜きながら対峙した男の様子を観察した。
手には大きな鉈。体つきは筋肉ムキムキのマッチョマンだ。体表からは湯気が出ているが、もしかして結界を無理矢理抜けてきたのかもしれない。バチバチとした音は焚き火や川の音で掻き消されたか……不覚だ。
そして視線を上げ、男の顔を見る。知らない顔だ。イケメンではあるが、こんな無精髭の生えた野性味溢れるイケメンの知り合いは居ない。
「ん……獣人か?」
「……」
その頭の上に耳があった。ミシュカちゃんと同じ猫耳に見える。……ん? ミシュカちゃんと同じ?
「もしかしてミシュカちゃんの知り合いですか?」
「……此処からミシュカの匂いがする。そして貴様はミシュカを知っている。やはり攫ったのは貴様か!!」
「違います、誤解です。むしろ保護を……」
「問答無用!!!」
猫さながらの瞬発力で飛び込んでくる男。振り下ろされた鉈を白刀で防ぐが、ライオンのような太い四肢が生み出す膂力に振り払う事が出来ない。
「ぐ、ぬぬぬ……」
「貴様の四肢を捩じ切ってミシュカの居場所を吐き出させてやる……!」
「ミシュカちゃん、なら……其処に……!」
「死ねぇ……!!」
言ってる事もやってる事もめちゃくちゃだ! このままじゃどうにもならない。せめて話を聞いてくれれば……!
「お父さん!」
その声が僕には天使の歌声のように聞こえた。ミシュカちゃんの声だ。どうやらこの騒ぎで起き出してきたようだ。
視線をやるとテントから出てきたミシュカちゃんと、弓を構えたダニエラが傍に居た。ていうか……お父さん?
「み、ミシュカ!」
「お父さんやめて! その人は何もしてないよ!」
男がまるで幽霊でも見たかのように目を見開いてミシュカちゃんを見つめていた。その隙を見逃さなかった僕は白刀を振り上げる。男の手から鉈が離れ、その宙に浮いた鉈をダニエラが射抜き、森の奥へと弾き飛ばした。
「ぐっ……」
ミシュカちゃんのお父さんが立ち上がった僕を睨む。ミシュカちゃんの言葉を信じたい気持ちと、人間に対する猜疑心が入り混じっているのがよく分かる。此処は僕が折れるべきだろう。
「まぁとりあえず、お話しましょう?」
まずはお話だ。白刀を鞘に収めた僕は、お義父さんへと手を差し出したのだった。




