第三百三十一話 さようならアスク、またいつか
翌日、ついに出発の日となった。
「寂しくなります」
「そう言ってもらえると嬉しいです。僕達も寂しいですけどね」
クラマスさんとの2度目の別れ。もう暫くは会えないだろう。こっちの方に来る機会が無い限りは会うチャンスがないのだ。
「こう言うのはズルですが、また何時か、アスクへいらした時は……」
「『せせらぎ亭』以外に僕達に選択肢はないですよ。なぁ?」
「あぁ、此処より良い宿はない。また来た時も泊まらせてほしい」
イケメンな笑みを浮かべるダニエラの手をギュッと握るクラマスさん。
「はいっ、此方こそよろしくお願いいたします……!」
うんうん、素晴らしい光景だ。ベーコンには勿体無いな、クラマスさんは。是非ダニエラとくっつくべきだ。……ん? でもそうなると僕の存在意義はなくなってしまうな?
「じゃあそろそろ行くとしよう。……アサギ?」
「あ、うん。行くか。じゃあクラマスさん、また」
「達者でな」
「アサギさん、ダニエラさん。お元気で。お体には気を付けてくださいね」
クラマスさんに別れを告げ、『せせらぎ亭』を出たところでベーコンがいつもと違う私服姿で立っていた。
「よぅ」
「おぅ」
厚手の上着のポケットに両手を突っ込んだ少しぶっきらぼうなベーコン。と、衛兵さん。
「先に手続きだけさせるからステカ貸してくれ」
「ちょっと待って。……はい」
「よし。じゃあ行くか」
ベーコンが隣に立ってた衛兵さんにステカを渡すと、衛兵さんが走っていく。手続きだけする為に詰め所まで行ってくれたのか……ご迷惑をお掛けします。
「あ、待って。ロントスさんに挨拶してく」
「えー、時間食うぞ?」
嫌そうな顔をするベーコン。その顔を見て僕はほっほうと変な笑みを浮かべた。
「やーっぱりお前、分かっててあの店に送り込んだな?」
「あ、やべっ……!」
「よーしダニエラ、あの店にベーコンを置いてこよう」
「それはいい考えだぞ、アサギ。ベーコンはどうやら船について学びたいらしい。いや、学びたいと顔に書いてある。今書いた」
「やめろやめろ! ロントス爺さんには俺から言っとくから今日はやめろって!」
ベーコンが本気で嫌そうな顔をしているが、其処に僕達を送り込んだのは此奴なんだよなぁ。
「いやまぁあの人の船雑学はアレだけど船は最高だから。アレで大人気なんだぜ?」
「それは分かるけどさぁ……まぁいいや。ちゃんと伝えといてくれよ?」
「分かってるって」
「よし。じゃあリトゥン大河まで行こう」
「朝食は船の上で優雅に食べると昨日から決めていたんだ。早く行こう」
ダニエラの動機はどうかと思うが、一応急ぐ旅だ。氷雪期中に樹海の遺跡は攻略したい。別れが惜しい町ではあるが、僕達はリトゥン大河へと向かうことにした。
最後に振り返り、『せせらぎ亭』を見上げる。2度もお世話になった宿。小さなせせらぎが心地良い癒やしの宿。またこの宿に来れる事があれば、僕はきっと嬉しくて泣いてしまうだろう。
「アサギ、早く行くぞ」
「あぁ、今行くよ」
ベーコンに呼ばれて二人の後を追う。後ろ髪を引かれる気持ちを振り切り、僕は『せせらぎ亭』を後にした。
□ □ □ □
いつものように賑わう朝市を抜け、リトゥン大河へとやってくる。湿った寒風が防寒具から出た足や顔を撫でていくのを感じながら、虚ろの鞄から船を引っ張り出す。
「よいしょ……っと!」
ザパン! と豪快に取り出した船に飛び乗り、備え付けられたロープを掴んで《神狼の脚》を使って岸へと戻る。グイグイと引っ張って接岸させ、ロープ止めに引っ掛けて一安心だ。
「そういえば初めてアサギに会った時もそうやって川を渡ってきたな……」
「あぁ、懐かしいな……」
「やべー奴が来たと思ったっけ……」
失礼過ぎるわ。
それからお互い適当に笑い、会話に詰まった。何方からともなく適当な段差に腰を掛け、ボーッと二人してでかい川を眺める。流石、交易都市だけあって色んな船が接岸しては離岸していく。それを見るともなしに見ていると、衛兵さんが走ってきてベーコンに僕とダニエラのステカを渡していた。
「ご苦労さん。悪かったな、ありがとう。……お待たせ。これで手続きは終わり。無事に旅立てるぞ」
「おぅ、ありがとな」
受け取ったそれをポケットに突っ込み、また川へと視線を戻す。
「……しかしこれでお別れか。まぁなんだ、また寂しくなるな」
「そうだなー……次に会った時はお互い、おっさんになってるかもな」
僕とベーコンは見た目の年齢が近い。きっとお互い、あまり差はなく老けていくだろう。
「お前だけ禿げてたりしてな」
「馬鹿野郎、うちは代々白髪の家系なんだよ」
「じゃあベーコンが初の禿げか。新規開拓だな」
「やめろや! 禿げんわ!」
僕達が馬鹿なやり取りをしている間にダニエラはさっさと船に乗り込んで出発の準備を進めている。其処に僕達男同士の別れを邪魔しないようにしている気遣いを感じた。あと手伝えって圧力も。それだけを僕は受け流す。
その様子を二人して見ていると、どんどん準備は進んでいく。ロントスさんの教育の賜物だ。そして、後は出発するだけとなった。
「アサギ」
ダニエラに呼ばれ、僕は立ち上がる。
「……じゃあ、そろそろ行くわ」
「おう。病気には気を付けろよ。あれは大変だからな」
「うん、分かった」
あまりグダグダも出来ない。別れが長引けば、惜しくなる。
僕も船に片足を掛け、ベーコンに振り返る。
「お前も元気でな!」
「元気だけが取り柄なんだ。安心して行けよ!」
ポケットから出した手でグッとサムズアップするベーコン。僕もばっちり親指を立てる。
ロープを回収し、岸を蹴ると船はゆっくりとアスクを離れ、リトゥン大河へと進みだす。ベーコンは寒いのか、すぐにまた手をポケットに突っ込んで、しかし僕達を笑顔で見送ってくれる。
僕はベーコンへ手を振り、最後の別れを済ませる。と同時にダニエラが魔道具エンジンに魔力を込めたのか、ゆっくりと流れのままに進んでいた船は推進力を得てスピードを上げていった。
「ぅおっと……っ」
転びそうになり、慌てて揺れる船の縁に手を掛け、ベーコンの居た岸へと振り返ると、彼奴はまだ此方をジッと見つめて見送っていた。まったく、憎まれ口と軽口しか叩かなかった癖に、こういう時だけ律儀なんだから……。
「はぁ……」
その姿を見ていると、船室からダニエラが出てきた。そして船べりで黄昏る僕を見て首を傾げる。
「泣いてるのか? アサギ」
「泣いてねぇよ……いや……はぁ、僕も年取ったな……」
ツンと少し痛い鼻の奥にどう対処したらいいのか分からないまま、やがてベーコンの姿は見えなくなり、僕達はアスクを旅立った。
目指すは樹海。その深奥の古代エルフの遺跡。ノヴァへと至る鍵探しは、まだ始まったばかりだった。




