第三百十五話 帝都到着
床の上で目覚めた僕は凝り固まった体を伸ばしで解し、枕代わりにしていた虚ろの鞄から洗顔道具を取り出して外へ行く。魔法で出した水で顔を洗い、歯を磨いて家へと入り、また鞄から出したパンを噛じる。今日は帝都へ戻る日だ。幸いにも天気は良かった。
「帰れるな……」
ポツリと呟く。長い戦いだった。あのオークとの戦いと同じくらい規模の大きな戦いだった。あの時はかなり精神的に擦り減ったな……アーサーは元気にしてるんだろうか。聖剣も返さないといけないし何処かで会えればいいんだけどな。
「もう起きてたのか」
「あ、おはよ」
珍しくダニエラが早起きする。絶対最後だと思ってたが、まだ外だから気を張ってるのだろう。寝起きの癖にキリッとした顔をしてる。
その後、キリッとした顔をしていないマーセルと普通の顔をしたシルケットが起きてきて朝食となった。僕は先に食べてたけどまだ食べられる。
仲良く机を囲み、胃に食物を詰め込んだら掃除だ。掃除道具は持ち合わせていなかったので仕方なくこの家の物を借りた。掃き掃除から拭き掃除。ベッドメイクも済ませて荷物を持ち、全ての準備を終えた時、外から声が掛かった。
「おーい、そろそろ帰るぞー」
「分かったー」
伝令にされた翡翠の気の抜けた声に返事をして、最後に忘れ物がないか確認してから家を出た。
日の上り具合から見て10時くらいかなと予想しながら広場に向かうとすでに皆集まっていた。沢山戦ったが、全員生きてる。皆がお互いを助け合いながら、それでいてちゃんとリーダーであるアドラスの指示に従った結果である。これが無秩序な烏合の衆だったらこうはならなかった。きっと前線基地すら建てられないだろう。今回は本当に良い人間に恵まれたな。
「お、遅刻か? 銀翠」
「立つ鳥跡を濁さずって言葉があるん、だ!」
「うわっ!」
軽く《神狼の脚》を纏った爪先でちょこんと雪を蹴って巻き上げ、からかってきたアドラスを雪まみれにして列に加わる。ぺっぺと口に入った雪を吐き出したアドラスが威厳を取り戻すように咳払いをする。
「んんっ、では全員集まったな。これより帝都へ帰還する。帰るまでがクエストだ。油断しないように」
各々が返事をして列が進み出す。そしてこの全員の中にはフェルズも入っている。子供一人残して帰る程僕達は薄情ではない。フェルズにとっては大変かもしれないが、帝都に残ってる村民も心配しているだろうしな……。
皆の足取りは何処か軽い。空気も悪くない。しかしちゃんと警戒は怠らず、弛緩はしていないのは流石だと思う。僕なんかお風呂入って旨いもん食うことしか考えてないぞ……。
道中は何の問題もなかった。平和そのものだ。聞けば普段はこの辺りは魔物もあまり出ず、平和らしい。しかも氷雪期で普段よりも更に出てこない。教えてくれた冒険者は帝都出身の人間だ。
「こんなスタンピードなんて今まで起きたことないですよ」
「ふぅん……じゃあ今回は結構イレギュラーだったんだな」
「そうですね。ギルドも大慌てで募集かけてましたし」
まぁ、本当に滅多に起こらないイレギュラーだしな……。異常進化個体と古代エルフが絡むスタンピードとか100年に1度あれば良い方だ。
「やっぱ平和が一番ですねー……」
「だなー。あ、帝都が見えてきたな」
「おぉー、実家のような安心感……」
「ようなじゃなくて実家だろ……」
こうしてスタンピードは終わり、僕達は帝都へと帰ってきた。沢山の戦いと出会いがあった。こうして生き残れた事を次の経験に活かさないとな……。
□ □ □ □
帝都が保護したナミラ村の人間は、以前僕とダニエラが使っていた軍の宿泊施設を借りているそうだ。帝都の門をくぐった僕達の下へ来た軍の人間が教えてくれた。其処へフェルズを送り届けたらクエスト完了だ。
「もう無茶はするなよ。皆に心配をさせてもいけない」
「うん、分かってる。マーセル姉とシルケット姉にも言われた」
「よし、なら僕から言うことは何もないな」
結構な期間を滞在したので顔パスになってしまった北区軍事エリアへと入り、真っ直ぐ施設を目指す。時々すれ違う人間に顔見知りが居て手を振ったりしてるとフェルズが尊敬の眼差しで僕を見てくるのがちょっと恥ずかしかった。
そんな顔見知りの中でも一番の顔見知りが僕を見つけて駆け寄ってきた。
「アサギさんじゃないですか!」
「リコリスさん、お久しぶりです」
北区を案内してくれた女性、リコリス=ラディアーレさんだった。今日も誰かを案内してるのだろうか。
「暫く見掛けなかったので旅立ったのかと……」
「いえ、北のスタンピード鎮圧のクエストを受けてたんですよ。無事鎮圧して漸く帰ってきたところです」
「なるほど……あっ!」
「どうしました?」
相槌を打っていたリコリスさんが突然大きな声を出すからびっくりした。ダニエラが。
「1人、行方不明者が出てるんです。村長家の次男です。アサギさん、心当たりはありませんか?」
「あー……」
僕はチラ、とフェルズを見る。『行方不明者』という単語の重さからか、フェルズの顔色は真っ青だった。
「もしかして……そちらが?」
「はい。帝都の外でゴブリンに襲われてるところを助けました。村を守る為に1人、帝都を出たそうです」
「良かった……無事に保護出来て。なるほど、アサギさんはその子を親御さんの下まで連れて行く最中、ということですね?」
「そうなります。軍に預けた方がいいですか?」
「いえ、アサギさんなら問題ないでしょう。顔も広いですし、軍には私から報告しておきます。お願いしてもいいですか?」
リコリスさんの言葉に一も二もなく頷く。元よりそのつもりだ。フェルズはちゃんと送り届ける。だから此処まで来たのだ。
「では私はこれで。よろしくお願いしますね、アサギさん」
「はい。お気をつけて」
ビシッと美しい敬礼をしたリコリスさんは帝城の方へと走っていった。これで騒ぎも収まるだろう。後はフェルズを連れて行くだけだ。
「久しぶりです、ハイペリカムさん」
「……ん? おや、アサギ君か。どうしたんだい、宿でも追い出されたのかい?」
僕の声に顔を上げた見知った男性は宿泊施設の事務を担当している無気力系男子、ハイペリカムさんだ。
「違いますよ。ナミラ村の少年をお届けに来ました」
「あぁ、失踪報告があったっけ……状況が状況だから血眼になって探してるよ」
それはさっきリコリスさんから聞いた。何処でも話題になってるんだな……それもそうか。助けたはずの子供が居なくなったら、そりゃあ焦るよな……。
「じゃあ見つかったってことで報告しておくよ。親御さんのところには君が連れてってね」
「あ、リコリスさんが報告に行きましたよ」
「あぁ、彼女か……。相変わらず元気だよね、まったく。じゃあ部屋は316号室だ。あー、君とダニエラさんが寝泊まりしてた部屋だね」
懐かしい。彼処は良い部屋だ。
ハイペリカムさんと別れ、フェルズの手を握って階段を登る。その間もやはり顔見知りに挨拶をされる。フェルズは……おや、緊張した面持ちだ。
「どうした?」
「……怒られるかもしれない」
「いや、かもしれないじゃなくて怒られるだろ……」
スタンピード真っ最中の帝都外に出たんだからな。泣いても許されないだろう。
「……アサギ兄ちゃんから上手く言ってよ」
「馬鹿言うな。これはフェルズが起こした問題だ。ちゃんと自分で始末しないと大人になれないぞ」
「うぅぅ……」
そう言いながらも逃げずに階段を登るのだから大したものだ。ダニエラも感心したように頷いてる。
「でもきっと嬉しいと思うぞ」
「えっ?」
「父親は亡くしたが、弟は生きてるんだ。喜ばないはずがない」
「……」
ダニエラは両親を亡くしてるからな……家族を亡くしたフェルズの兄の気持ちが分かるのだろう。
「しっかり怒られて、それから抱きしめられてこい。それで全部解決だ」
「……分かった。俺、怒られてくる。それからごめんなさいして、全部終わったよって話してくる!」
「あぁ、それでいい」
「此処から先は俺1人で行くよ。一緒に来てくれてありがとう」
まだ怒られてないのに男の顔をしてるフェルズ。付いていくのは無粋、か。
「しっかりやってこい。僕達は下で待ってるから」
「うん、行ってきます!」
もう316号室は目と鼻の先だ。僕から鍵を受け取ったフェルズは迷いなく向かっていく。その後姿が部屋に消えるのを見届けた僕達はその場を後にした。
その直後、怒鳴り声と泣き声が聞こえてきたのは言うまでもない。




