第三百十一話 塔を揺らす者
やはりハイレッドゴブリンを倒した事で魔物にも動揺が走ったようで、その後は難なくハイゴブリンを倒し切ることが出来た。とは言ってもこの3層目だけ。階下はまだ戦っているはずだ。
「よし、すぐに助太刀しよう」
僕は氷剣を霧散させ、アドラスとダニエラに向き直る。しかしこの2人も侮れない。僕が1匹に苦戦している間にハイゴブリン複数相手に立ち回ったんだからな……僕も多対1の経験をもっと積んだ方がいいな。
「階下のハイゴブリンの数も少ない。すぐに終わるだろうな」
「翡翠達も稼ぎ時だと張り切っていたしな。邪魔するのも無粋かもしれないぞ」
なんて事をダニエラとアドラスが言ってるが、危なくなったら大変だ。町に散った翡翠達もそろそろ塔に集結する頃だろうし、此処に居ても仕方ない。
「何であれ、とりあえず降りようぜ」
「そうだな……ん!?」
「どうした? ダニエラ」
「《気配感知》だ! とんでもない反応が……!」
ダニエラの声に慌てて《気配感知》を広げる。すると廃墟都市郡内にとんでもなくでかい反応が出現した。今まで隠れていたとかそんなんじゃない。本当に突然現れた。だって、僕が潜入捜査した時だってこんな反応の魔物は居なかった。《気配感知》を広げ、隈なく探したはずだ。
「……此奴は拙いな。反応はこっちに向かっている」
「どういう意図だ……? この廃墟の中で真っ直ぐ此方に来る理由があるのか?」
「分からない。でも今は避難だ。この塔が崩れたら無事では済まないぞ!」
素早く行動に移る。アドラスとダニエラは階下の冒険者達に連絡。退避の指示。僕は《神狼の眼》でこのでかい反応の根源が何なのかを確認する。
「……うわぁ……何だ此奴……ッ!」
思わず声が漏れるが、すでに2人共移動しているので答える人間は居ない。
僕の眼が捉えた反応の正体。それはとんでもない化物だった。
体色は薄緑。ゴブリンと同じだ。だけど、体の作りはまったくゴブリンのそれとは違う。分かりやすく言えば、巨大な百足だ。膨れ上がった肉は数珠繋ぎのように繋がり、その体一つ一つに太い腕……いや、脚が付いている。そのふざけた体の先端には幾つもの目と口が付いた肉の顔が付いていた。
その化物が廃墟都市郡の建物を薙ぎ倒しながら、この塔へと一直線に向かっていた。
「やばいやばいやばい!」
僕も逃げないと。あんなの相手にしていられない。
慌てて眼を切り替え、階段へ向かい、《神狼の脚》で滑り降りる。2層目はすでに退避を始めているようで、フロアを過ぎて階段に差し掛かるとダニエラの後ろ姿が見えた。僕は《神狼の脚》を切り、少し速さに蹌踉めきながらダニエラの隣に並び、一緒に階段を下る。
「ダニエラ、やばい」
「私はやばくない」
「そうじゃなくて、いやそうだけど!」
「焦るな、こういう時だからこそ落ち着け」
これが落ち着いていられるか! と言いたくなるのを飲み込みながら深呼吸をする。階段下りながらの深呼吸は逆にきつい。
「見たこともない化物がこの塔に向かってる。とんでもなくでかい奴だ」
「それは魔物か?」
「多分。そうだと言い切る自信がないが」
いっそ、古代の生物兵器ですと言われた方がまだ納得出来る。
「生きているのであれば殺せるだろう」
「そんな台詞言う奴が本当に居るとは思わなかったよ」
何処からその自信が湧いてくるのか全く理解出来ない。が、巨大さに圧倒されていたが、落ち着いて考えれば無理なことではない気がしてきた。確かに生きているのなら息の根を止めれば死ぬだろう。問題はそれが出来るかどうか、だ。
「もう塔から見えるところまで来ている。このまま塔の外へ逃げるのは危険かもしれないな」
「でもダニエラ、塔の中も危ないぞ。絶対に崩れてくるし、ペシャンコになっちまう」
「すぐに脱出出来る場所に待機するのが一番だな」
ふむ、それが良いかな……外は化物。中は倒壊。もし化物が塔にぶつかってくれるなら、その隙に逃げることが出来る。
と、その時。階段の先で悲鳴が上がった。立ち止まり、《神狼の眼》で少し先を覗くと、2層目に居た翡翠が窓の外を指差して怯えていた。化物の姿を見たのだろう。確かにあれは悲鳴をあげたくなる容姿だが……。
「拙いな。恐怖は伝播する」
先を見ずともダニエラはすぐに状況を理解し、危惧する。
「すぐに行って落ち着かせないと」
「あぁ、先に行け」
そうと決まればアドラスにも言っておかないと。まぁ、彼奴なら言われるまでもなく理解しているとは思うが。
「ちょっとお先に」
「気を付けるんだぞ」
「おう」
《神狼の脚》で冒険者達の頭を飛び越え、2層目へと降り立つ。皆が何事かと見上げてくるが、それらを無視して滑り降りる。
アドラスはすでに翡翠の肩を揺すり、鼓舞していた。何奴も此奴も状況を把握するのが早いね……。
「アドラス」
「目視した。あれは何だ?」
「僕に分かるかよ。とにかく外も中も危険だ」
「奴が塔にぶつかり、動きが止まったら外に出て翡翠を逃がす。紅玉は残って奴と戦うぞ」
「勿論そのつもりさ」
そのやり取りを、怯えた翡翠は信じられないという目で見ていた。
「あ、あんなのと戦うなんて馬鹿げてる……倒せる訳がない!」
「生きてるなら殺せる。上手く立ち回れば……」
「あんなワイバーンよりも大きい魔物なんて倒せないって! あぁ、駄目だ、逃げるのだってもう間に合わない!」
化物は意外にも足が速く、もうぶつかるのは時間の問題だった。それを見上げた冒険者達は頭を抱えてしゃがみ込む。
「倒せるさ。見てろ」
僕は虚ろの鞄から藍色の大剣を引き抜き、剣先を塔の先の化物へと向ける。そして藍色の魔力を流して水刃化させ刃渡りを伸ばし、一気に壁を貫いた。ぶつかる寸前だった化物は、体を水刃で貫かれ、けたたましい叫び声を上げた。
「ほら、攻撃は効く。続ければ殺せる。戦えば勝てるんだ!」
怯えが伝わりつつあった翡翠達が僕の声に顔を上げる。きっと僕がクイーンズナイトゴブリンと戦った所為で不調なのも知っているだろう。そんな僕でも攻撃すれば効くということが証明された。
現金な話ではあるが、これが最も分かりやすい話だった。
「帝剣武闘会上位入賞者がこれだけ居るんだ。不可能などない」
僕なりの鼓舞にアドラスがおどけながら続く。その様子にダニエラが小さく笑った。一瞬、場の空気が和む。
「また来るよ!」
そして店長の声に、一気に気が引き締まる。皆、やる気は十分だ。きっと僕とアドラスの鼓舞に応えてくれるだろう。
水刃に拠って出来た亀裂の先では化物が背を仰け反らせている。弓なりに反った体をバネにした頭突きをするつもりだ。
「……衝撃に備えろ!」
床に剣を突き立て、しゃがむアドラス。同じく僕も剣を突き立て、アドラスの肩に腕を回す。この方がもっと揺れに対処出来るだろう。アドラスもそれに気付いて僕の肩に腕を回した。
それから数秒後、突進してきた化物の頭は見事に塔に激突した。激しい轟音と揺れが僕達を襲う。
「う、わわッ」
「きゃぁッ!」
其処ら中から悲鳴が聞こえるが、塔が崩れる轟音に掻き消されて僅かにしか聞き取れない。僕は歯を食いしばり、天井から落ちる砂埃の量に慌ててフードをかぶりながら、ジッと耐えていた。
きっと10秒も経っていない。けれど、長く感じた揺れも収まり、一瞬の無音が訪れる。僕は《神狼の眼》で化物の様子を伺う。どうやら激突したのは3層目。頭を突っ込んで停止しているようだ。
いや、今はそんな事はどうでもいい。この隙を無駄にしてはいけない。
「今だ! 走れ!!」
アドラスの代わりに声を張り上げる。翡翠達はすぐに立ち上がって駆け出した。幸いにも今の揺れで腰が抜けた者は居ないようだ。道はまっすぐ、一直線だ。階段を下り、1層目に到着したらすぐに外へと脱出する。化物のそばを通るのは怖いかもしれないが、其処さえ過ぎればあとは魔物も居ない、廃墟の町だ。
僕達が退避し、無人となった塔からビシビシと罅の入る音が聞こえてくる。それも段々大きくなっていき、それに比例して落ちてくる砂埃も増え、仕舞いには小石なんかも落ちてくる。
「倒壊も時間の問題だな」
アドラスの声に頷く。奴が頭を引っこ抜いたら塔も一緒に崩れてくるだろう。しかしそれを危惧して退避しては、最大のチャンスを逃すことになる。
「脚を潰せ!」
まずは機動力だ。意外と此奴は足が速い。沢山あるからな。足も速いだろう。
動きを奪わないと此方も手が出せない。動き回られたら水刃化も当てられず、下手したら冒険者達を巻き込んでしまう。だからまずは足だ。その場に縫い留めるか、切り落とすか。それは各々のやり方に任せるしかない。勿論、僕もそれに参加する。
「セヤァッ!」
気合いと共に一閃。幅が太すぎて一撃では切り落とせないが、パックリと裂ける。其処から噴き出す血を避けて更に斬る。残った半分も刃が通り、無事に脚を1本、切り落とすことに成功する。
「肉質はゴブリンと一緒だ! やれば出来るぞ!」
声を張り上げ、更に斬ろうと剣を構えたところで化物が暴れだす。痛覚を感じるまでのラグが凄い。一瞬、痛みを感じないのかと思ったぜ。
「離れろ!」
アドラスが水魔法を放ちながら叫ぶ。その声にすぐに離れる冒険者達。一部の人間は少し転ぶが、何とか逃げ切った。
痛みに泣き叫びながら暴れる化物が足を踏み鳴らし、地震のように揺れる。しかし頭は動かない。どうやら何かに引っ掛かっているようだ。
しかしチャンスなのに、こうも暴れられては手が出せない。
「任せろ! ハァッ!」
アドラスの十八番のオートガード魔法が冒険者達を守る。この魔法には苦労したが、味方になると此処まで心強いとはな。安心して戦えるというものだ。
しかし今ならもしかしたら仕留められるかもしれない。頭が引っ掛かってるのであれば、その頭を攻撃すれば……。
「試してみるか……!」
虚ろの鞄から取り出した藍色の大剣を構え、《神狼の脚》を発動させる。
「アサギ!?」
「今がチャンスだ! 一気に仕留める!」
「やめろ、危険だ!」
ダニエラが止めようとするが、此処で倒せば怪我人が出ることもないだろう。
ダニエラの制止を振り切り、一気に天井近くまで駆け上がる。藍色の魔力を剣へと注ぎ、水刃化させ、化物の頭へ向けて距離を詰める。
「食らえ! 『上社式……ッ!?」
剣を振り上げたその時、沢山ある目がギョロリと僕の姿を捉えた。
瞬間、背後から化物の百足のような胴体が迫ってくる。僕は頭へと向けてぶちかまそうとしていた『壱迅風閃』の軌道を、急遽胴体へと向けた。
「クソ……ッ!!」
体を捻り、無理な体勢で中途半端に振られた水刃が廃墟都市郡を掠めながら、抵抗なく胴体を斜めに切り飛ばした。鋭い切れ味を持つ水刃で斬られた断面からは夥しい量の血が溢れ出し、化物は狂ったように泣き叫ぶ。
『ギュエエエエェェェェェエエェェェェェエェエェェェエエエエエエ!!!!』
まるで何人もの叫びを重ねたかのような声が肌を打ち、鼓膜を震えさせる。化物も相当ダメージを負ったようで、先程の脚よりも痛がり、さらに暴れる。結果、頭部は塔から離れた。切り飛ばすべき脚の数は半分以下になったが、凶暴さはより増してしまう結果になってしまった。
「悪い……!!」
暴れる化物から逃げて距離をとるダニエラ達のそばに降り立ち、大剣を引きずりながら共に走る。
「あれさえ決まれば終わっていた。惜しかったな」
「全く情けない……」
此処ぞという場面でのミスは自分の力の無さを痛感する。経験値の足り無さが原因だ。あれだけの目があれば背後も見えるということを考えなければいけない。自分だって《眼》を持つのだからその考えに至るべきだった。
「しかし大ダメージなのは間違いない。もう一度同じことをやれば仕留められるだろう」
「悪い……」
「反省するのはいいが、後にしろ。今はあれを倒すことが先決だ。そうだろう?」
フォローしてくれるアドラスに頭を下げるが、逆に叱咤された。そうだな……あぁ、そうだ。あの化物を完全に仕留めて、汚名返上しないとな!
「よし、絶対に倒す! 皆で倒すぞ!」
「その意気だ!」
ダニエラや、僕の声に応える冒険者達の力強い声に後押しされ、グッと剣を強く握る。結果がどうあれ、ダメージは通ってる。ならば、殺せるし、それも時間の問題だ。これから上手く立ち回れば可能だ。
やるしかない。こんな化物にやられてたまるかってんだ。此処は一つ、人間の恐ろしさを分からせてやらねばならない。




