第三十一話 今後の方針
一晩悩んでみたが明確な答えは出てこなかった。使わないで済むならそれで良し、なんて思い始めたところで僕は寝不足の頭を振って胡乱げに窓の外を見る。最近はずっと晴れていたが、今日は分厚い雲が空を覆っている。そっと窓を開けてみると雨の匂いがする。今日は森には行けないな……。
ずっと部屋で悩んでいても仕方ないので着替えて顔を洗って疲れた顔をしゃっきりさせてから食堂へと降りる。ちらほらと宿の住人はいるが、ダニエラの姿はない。まぁ彼女が起きてくるのはもう少し後だろう。とりあえず朝食だ。
「すみません、朝食セットひとつ」
「はいただいまー」
厨房の方から料理担当の人の返事が聞こえたのでいつも座る窓側の席に戻る。セルフサービスの飲料水を水差しからコップに注いで一口飲む。ふぅ、と一息つき、何となく体に力が入らなくてテーブルに突っ伏した。
これからの活動、どうしていくべきなのだろう。そもそも僕は何がしたいんだろう。と考える。この世界に来た理由は分からない。何かをしろと指示された訳でもない。今更、元の世界に帰りたいとも思わない。何だかんだこの世界が楽しくなりつつあるからだ。戻っても夜勤だしな。
僕一人なら気ままに過ごせたが、今はダニエラがいる。一緒にいるのが嫌という訳ではないが、一人での行動と二人での行動はまた違ってくるからな……。ふむ、ならばダニエラが何をしたいか、だな。
竜種のスタンピードによって故郷を奪われたダニエラ。彼女が一人、旅をする理由とは?
復讐の旅、なのだろうか。それもとあてのない旅なのだろうか。起きてきたら聞いてみるのも良いかもしれない。
と、窓の向こうを見るともなしに見ていると僕を呼ぶ声がした。
「朝食セットをお待ちのアサギ様ー?」
「あ、はい。ここです」
突っ伏してた顔を上げて手も上げる。
「お待たせしました。朝食セットです」
「ありがとうございます。いただきます」
「はい、ごゆっくりどうぞ」
柔らかく微笑んだ料理人が一礼して厨房へ戻る。さて、温かいうちに食べよう。今日のメニューはスクランブルエッグと焼いたベーコン、それとパン。スープはトマトベースの葉野菜たっぷりスープだ。どれも美味そうで顔が綻ぶ。この町の料理レベルはどれも高い。ギルドの酒場も、屋台も、ここも。
まずはスープを飲む。程よい酸味が頭脳労働で疲れた体に染みる。葉野菜もシャキシャキしていて歯ざわりが心地良い。次はスクランブルエッグだ。ふわふわの卵は甘くとろける。その中の絶妙な塩加減が食欲を増進させた。その勢いでベーコンを囓る。カリカリになった表面に歯を立てると、中からジューシーな肉汁が溢れてきた。この味はまさに漢の味だ。アメリカンな漢がバーベキューで焼く姿が脳裏を過る。そして油でベーコン一色になった口内をスープでリセットする。まさに至福。手に取ったパンはふかふかのクッションのようだ。千切ってみると中から白い生地が顔を出す。はむ、と欠片を口の中へ入れる。何とも言えない食感と芳醇な香りがまた僕を幸せにしてしまう。ふとスープが目に入る。あぁ、これは拙い。我慢出来ない。やっちゃいけない。しかし、もう理性では抑えられない。僕は駄目だ駄目だと心の中で叫びながら手にしているパンをスープに浸す。白いパン生地が赤いスープに陵辱されてしまう。雫が滴るパンにごくりと喉が鳴る。それを大きく開けた口の中に入れてしまう。噛んでしまう。僕はぎゅっと目を閉じてしまう。ら、らめぇ! こんなの耐えられない……っ! 美味し過ぎるぅぅ!
「何してるんだ……さっきから、気持ち悪いぞ……」
目を開けるとダニエラがドン引きした顔で僕を見下ろしていた。ていうか見下していた。
「おはようダニエラ。美味いぞ」
「おはようアサギ。普通に食え」
何を言ってるんだ。美味しく頂いてるじゃないか。と目で抗議するもジト目で睨むダニエラには勝てなかった。
それから僕と同じく朝食セットを頼んだダニエラと一緒に食べた。実に美味しかったです。ごちそうさまでした。
「ところでダニエラ」
「なんだ?」
「これからどうする?」
うん? と首を傾げるダニエラ。
「この町でやっていくか、それとも他の町へ行くか」
「あぁ、そういうことか」
ダニエラが納得したと頷く。その流れでダニエラが一人旅をする理由も聞いてみた。
「故郷が無くなった話はしたな。最初は住む場所が無くなって転々としていただけだったが、今は世界を見て回っている。幸いにも寿命は長いしな。見聞を広めたいと思ってる」
「なるほど。そうだったか……じゃあ、僕は足止めしちゃってたのか」
あてのない旅をしているダニエラをこの町に留めていたのは紛れもなく僕だった。
「ふふ、そんな風に思ったことはない。色々な町を見てきたがここは賑やかだ。居心地が良い。おまけに、頼りになる奴もいるしな?」
そう言ってからかうような視線を僕に向ける。肩を竦めて『やれやれ』のポーズでお返しだ。
「そりゃあ嬉しいね。まぁ、僕もずっとここにいる訳じゃない。ダニエラが旅に出る時は連れて行ってくれよ。パーティーだろう?」
「勿論だ。ベオウルフの件が落ち着いたら出よう」
南の森の話だな。フォレストウルフが定着し、ゴブリンも北の森に住み着けば奴も武者修業の旅に出ると言っていた。
おぉ、そうだ。昨日調べたことを話さねば。危うく忘れるところだった。ということでマクベルの元で知ったベオウルフの進化の謎と奴の隠された実力について話した。
「……という訳なんだよ」
「なんだと……あいつはそんな危険な魔物だったのか」
「生きてるのが奇跡ってもんだよな」
「全くだ。しかし戦って話してみたがあれで理知的なところもある。話せば分かるんじゃないか?」
ふむ……先手を打つのも良いかもしれないな。
「人里を襲わないように、か。言わないよりはマシ、ってところだな」
「どう足掻いても奴は魔物。それも異常進化個体か。納得してくれればいいが……」
人里を襲うと大勢の人間に追い回されて殺されるぞと言えば理解してくれるだろう。といった所で一先ずの方針は決まった。ベオウルフの説得。それが終わり、森の様子を見てベオウルフが旅に出たら僕達も出発だ。
会話の途中で飲み干して空いていたコップに注いだ水を飲み、窓の外を見ると雨が降り出していた。ま、説得はとりあえず晴れてからだな。




