第三十話 森狼の秘密
マクベルに案内されて本の谷を進む。古い紙の匂いに囲まれた空間はどこか落ち着く。
「おぉ、この本じゃな」
喜色満面といった感じで一冊の本を僕に手渡す。本当に本が好きなんだなと思うと自然と此方も笑顔になる。
「ありがとうございます、マクベルさん」
「いいんじゃよ。其奴を読んでいる間に付与に関する本を探しておこう」
「助かります」
そう言って本を手に谷を戻り、机と椅子が置いてある談話室のようなスペースに行き、座って本を机の上に置く。
「『付与術』か。ストレートなタイトルだな……」
まさに付与! といった感じの本だ。さて、読んでみよう。この世界の文字は読める。仕組みは分からないが……古い本だが古代文字とかでも読めるのだろうか。まぁまずは読んでみないと分からない。僕は深呼吸一つ、文字の海にダイブした。
□ □ □ □
目が痛い。腰と背中も痛い。ついでに言えば肩もなんか痛い気がする。
「くぁ……」
ぐい、と凝り固まった体を伸ばす。パキポキと乾いた音が体中から聞こえる。
結果から言うと魔物による付与の謎は解けなかった。何冊かマクベルが本を持ってきてはくれたのだが残念ながらどれもハズレだった。
『付与スキル』は他人のステータスを上げるスキルについての本だった。バフ系スキルだな。
『与えられた力』は神に力を与えられた男が成り上がる冒険記だ。主人公補正凄い。
『……ゴニア……の侍女』はタイトルが掠れて読めなかった。中身もよく分からなかったが多分何も関係ない。
『魔物研究録』は僕が付与と魔物の関係性を調べたくて頼んだ。小さな魔物の子供を育てた研究者の記録だ。付与に関しては記録されていなかった。
他にも多数の本を読んだが魔物が人に付与し、スキルを授けるなんて話は出てこなかった。神がスキルを授ける、なんて話は多いのに不思議と魔物が人に、という話は出てこない。『魔物研究録』に関しては準禁忌指定されているらしい。
魔物に関する記録、逸話が不自然に消されている? というのは考え過ぎだろうか。マクベルがたまたまそういった書物を持っていなかっただけかもしれない。
本を閉じ、ぐるぐると纏まらない考えを整理しているとマクベルが侍女を連れて戻ってきた。
「どうじゃ、お主の知りたいことはあったかね」
「色々読みましたがありませんでした」
「ふむ……」
顎に手を当てて考え込むマクベル。二人して悩んでいると僕とマクベルの間に茶器が置かれ、温かい紅茶が注がれた。侍女さんの淹れてくれた紅茶だ。飲んでいいのだろうかとマクベルを見ると視線で促す。
「すみません、いただきます」
ほのかに湯気の立つカップに口を付けてゆっくり飲む。芳醇な香りと優しい味が口内に広がり、鼻から抜ける。
「美味しいです」
「ふふ、ありがとうございます」
侍女さんにお礼をいうと優しく微笑まれる。プロって感じだ。
「考え過ぎはお体に障ります。適度に休憩なさってくださいね」
「どうもです」
かなり集中して読んでいた様子を見ていたのだろう。思わず苦笑を浮かべながら頭を下げる。
「アサギ、お主、何故付与について知りたがる?」
黙っていたマクベルがじぃ、と見ながら尋ねる。カップをソーサーの上に戻してマクベルを見ながら応える。
「実は先日、ベオウルフという巨狼と戦いました」
「なんじゃと!?」
驚き、立ち上がったマクベル。その勢いにガタン、と椅子が倒れるが、すぐに侍女が椅子を戻し、すまぬと謝ったマクベルがゆっくりと座る。
「ベオウルフはフォレストウルフが長く生きた個体じゃ。というのはお主も知っておるな?」
「えぇ、詳しい者に聞きました」
勿論、ダニエラのことだ。
「うむ、なら良い。じゃがベオウルフはそれだけの個体ではない」
「というと?」
「奴は1段階、上の魔物じゃ」
1段階、上?
「よくいる魔物、弱い魔物というのは進化個体が圧倒的に少ない。ただ他より長く生きれば良いという訳ではない。昔、とある科学者が小さな魔物を育てたが進化個体にはならんかった」
「『魔物研究録』ですね。その記録は読みました」
「そうじゃ。あの研究の続きと見解が王都の禁忌書庫にある。その本には『脆弱な魔物に高濃度の魔素を与えてみたところ、死滅する中で稀に生き残る個体がいることが判明』と記されている」
「高濃度の魔素の中で……? その魔物はどうなったのですか?」
マクベルが瞑目し、ふぅと息を吐く。そしてポツリと言った。
「常識では考えられない程の爆発的な早さで成長し、そして町一つを潰したそうじゃ」
僕は息を呑む。
「王国軍が討伐したそうじゃが被害は尋常ではなかったらしい。研究者は慌てて逃げ出したが軍に捕らえられたという。その事故以降、魔物に関する研究は禁忌とされておる」
「じゃあ、ベオウルフも?」
「其奴がその気になれば、ここも危ないかもしれんな……」
そう言われ、黙り込んでしまう。あいつが本気になればこのフィラルドは消し飛ぶってことか? よく生き残れたな……。奴はこの森しか知らないと言っていた。他の地域に行き、己の実力を高めると。もしかして僕はとんでもない魔物を野に放ったんじゃないだろうか。と思い、すぐに頭を振る。あいつと話したからという訳じゃあないが、そんな危険な奴ではない気がする。なんというか、お互いに高め合う、ライバルのような……なんて、言葉を交わした相手を庇いたくなるのはお人好しだろうか。
「驚いて話が逸れてしまったな。ベオウルフとお主の間に、何が……いや待て、まさかアサギ……」
マクベルがまじまじと僕を見る。恐らく彼の考えていることは正解だ。
「えぇ、ベオウルフに付与されました」
「やはり……」
そう言って目の前の紅茶を含み、飲み込んで脱力したように深く座る。
「お主……森狼の付与持ちということか……聞いたことが無いぞ……」
「僕もです……それで付与に関する知識を得たくてマクベルさんのところにお邪魔したんですよ」
「なるほどのぅ……」
また黙り込むマクベル。その目はじっと机を見据えている。何か考えているんだろう。僕は邪魔しないように紅茶を飲みながら答えを待つ。
「アサギ」
しばらくして顔を上げたマクベルが僕を呼ぶ。
「はい」
「そのことは公にするべきではない。恐らく、いや、確実に国がお主を捕らえに来る。最悪、不穏分子として討伐隊が組まれることも考えたほうが良い」
そう言われ、今度は此方が黙り込む。ヤバいスキルなんだろうなぁとは考えていた。でもどこか他人事のように考えていた。しかし今、マクベルに言われ、実感する。此奴は本当に、マジで、ヤバいスキルだ。今頃、南の森で眷属と共にいるであろうベオウルフに恨み節を心の中で叫んだ。
「魔物とは基本的に討滅すべき対象じゃ。その魔物の付与となると人類こそ至高と考える組織や人間が黙ってはおらんじゃろうな」
「そうでしょうね……」
「その付与によって発現したスキルは他人の前であまり見せないことじゃな」
その言葉に頷く。知りたがりの冒険者なんかに見られた日には根掘り葉掘り聞かれ、背鰭尾鰭がついた噂が広まるだろう。そうすればそれは商人の耳に届き、他の町へと広がる。ゆくゆくは王都へと広がるだろう。
付与についての謎は分からなかった。だがベオウルフという魔物の真なる正体については知ることが出来た。奴は一般に知られている進化個体なんて生易しいものじゃない。まさに異常進化個体と呼べる魔物だった。
そんな災害個体に付与されたスキル《森狼の脚》。僕はこのスキルとどう付き合っていくか、今度はそれについて悩まなければいけなくなった。
三十話を記念して各話にタイトルを付けました。が、もしかしたらこの先思いつかなくなったら消すかもしれません。
※前話のステータス表記を誤りましたので、修正しました。




