第三話 異世界ビバーク
時間にしてみればそれは数秒だったかもしれない。しかしどうするか決めた。僕は意を決してじっと待つ。
嗅覚に頼ってやってきたゴブリンが茂みの前に立った瞬間、槍をそのゴブリンの細い喉に向けて突き出す。見事かまぐれかは分からない。しかし綺麗に喉の真ん中を貫かれたゴブリンは断末魔の悲鳴すら上げられず、命を落とした。僕は素早く死んだゴブリンの体を茂みの中に引きずり込む。群れは9匹になった。
よし……何とかこの方法で少数ずつ削れれば……なんて上手くいくはずがない。それくらい僕にも分かるさ。何故ならば、こうしてゴブリンの血が流れれば……
「グギャア! グギャギャ!」
奴らにバレるからだ。しかしそこは想定済み。僕は槍を引き抜き、ゴブリンの足を掴んで引きずって逃げる。方向は群れの反対側だ。全力で引き離し、奴らの姿が見えなくなったところでゴブリンの首を鉈で落とす。溢れる血を地面に撒き散らし、辺りを血の匂いで充満させてからまた走る。なんだかアルバイト時代に万引きを追い掛けたことを唐突に思い出す。
しかしそんなこと思い出している時間はない。また走った先で僕は鉈で土を掘り返す。ふわふわの腐葉土は掘りやすくて助かる……。その土を返り血を浴びた足に掛け、匂いを消す。さらにその場に寝転がって左右に往復して体臭も土の匂いに変える。これならば奴らの鼻も騙せるだろう。ついでに血で汚れた槍も捨てる。色々助かったよ。ありがとな。
僕は逃げる方向を変えてあの平原へ向かう。森の反対側に下ればいくら何でも大丈夫だろう。下った先で別の魔物に合わないことを祈りながら、僕はまた走り出した。
しばらく走り、それから歩いた。捨てた槍の代わりの棒も手に入れた。今は鉈があるから切るのも簡単だ。しかし先端の加工までは歩きながら出来ないので、棒のまま歩く。
それから更に歩いたところで森が途切れ、あの丘の麓に広がる平原に出た。後ろを気にしながら僕は丘を目指す。またここに戻ってくるとはな……行った時と帰ってきた時の姿が全然違う。あの頃は丸腰に綺麗な姿だったが、今は棒に鉈、土に塗れた姿。太陽の位置を見る限り今は昼頃。5~6時間程度しか経ってないんだな……案外、適応力というものがあるのかもしれない。
最初に降り立ったであろう場所に座り、少し休憩。結局食う物も飲む物もない。命を奪い、汚い鉈を拾っただけだった。
「疲れたなぁ……」
しかしそうも言っていられない。息を整える程度で休憩を切り上げ、僕は辺りを見回す。今は霧は全く無く、見晴らしは最高だった。言い換えれば隠れる場所がない。しかしそれも今だけで、丘を下れば森からは見つけられない。もう怖いもんなんてないね。
森を背に、丘を下る。しばらくは平原が続くみたいだ。これもこれで隠れる場所がないなぁ…敵を見つけやすいとはいえ、敵からも見つかりやすいのは如何ともし難い。はてさて、どうしたものか……。
そんな折に僕はあるものを見つけた。二本の線と、その間を何かが踏み締めた跡。
これ、馬車の轍じゃないか? 平原に引かれた土色の線は、森を背に左右に伸びている。森をなぞるように、避けるように。此奴は僥倖だ! 何故ならば、この後を辿れば町に着く。これだけ行き来した跡があるなら左右どっちに行っても町がある。
ただ、どっちが近いのか、近くてもどれだけの距離があるのかが分からない。そういう意味ではここは正念場だな。んー……悩む……。
5分程悩んだが、せっかくだから俺はこの左の道を選ぶぜ! というわけで歩きだす。踏み締められて草の上よりはましな道だ。平原を歩くよりはスピードも上がるってもんだ。何だか以前より歩く速さが増した気がする。何だかんだ言って気が急っているのかもなぁ。
□ □ □ □
あれから休むこと無く歩き続けている。太陽はだんだんと傾き、僕の後ろに落ちていく。つまり僕は東に向かって歩いていたというわけだ。ちゃんと太陽が西に沈むのならば。ということを前提に考えると……丘を中心に森は北に広がっているのだな。脳内マップに刻み込みながら、ひたすらに歩く。
ただただ歩いて辺りはもう夕方だ。そろそろ休もう。と言っても僕は鉈と棒しか持っていない。恐らく完全に日が落ちれば魔物の動きも活発になるだろう。さてさてどうしたものか……。
いや、実は選択肢は一つしかない。今も視界の端に広がる森。その森に生える木の上。見た限りそこしか安全な場所ってないんだよなぁ。何となくもう森には入りたくないんだけれど、かと言って平原に寝転がって朝を迎える訳にもいかない。寧ろ朝を迎えられる気がしない。
そうと決まれば行動は早い。何事も素早くがコツだ。僕は森に向かって走る。辺りを見回し、ゴブリンがいないことを確認して、目についた木に巻き付いている蔓を鉈で切り取る。それを何本か手に入れてから適当な石を服で包んで体に巻き付けた。蔓を使い、棒と鉈も巻きつける。後は一夜を共にする相方を見つけるだけだ。出来るだけ平原と森の境目の適度な高さに太い枝の生えた木を探す。
ウロウロと見回して、漸く発見。拙い、辺りはもう暗い。僕は慌てて木に登る。幼い頃はこれでも木登りが得意だった方だ。特に滑ることもなくお目当ての枝まで到達した。
それから慎重に巻きつけた蔓と石を降ろす。鉈を木に叩きつけて固定して棒は木と背中で挟む。石は太腿で挟みながら、蔓を捩って合わせる。此奴は天然のロープに加工するのだ。1本じゃ心許なくても、3本程捩り合わせればなかなか強靭になる。その先端に先程の石を括り付けて、準備完了。僕はそれを勢い良く真横に投げる。蔓ロープで繋がれたそれは木をぐるりと回って僕の下へ返ってきた。
よっし! 成功だ! これでしっかり結べば僕は木に固定されて落ちることはない!
体を揺らして蔓ロープが解けないのを確認してから安堵の息を吐く。辺りはもうすっかり闇に包まれていた。もう何も見えない。
そして思い出す。今日あった出来事全てだ。強盗に遭遇し、殺されて、気付けば異世界だ。ゴブリンになんとか勝利したかと思えば、群れにぶち当たり、土に塗れて遁走。ひたすら歩いて今は木の上だ。
まったく、冗談じゃない。異世界転移ってのはもっとチートチートしていて、特に理由もなくハーレムが出来上がるものなんじゃないのか? それに比べて僕のこの不遇さったら無い。可哀想だ。
「はぁ……」
でも、これからだ。町へ行きさえすればきっとどうにかなる。せっかくの異世界、楽しまなきゃ損だ。
僕は東の空を見つめ、胸に希望を抱きながら異世界最初の夜を木の上で迎えた。